ちいさなねずみが映画を語る

すきなものを好きなだけ、観たものを観ただけ—

ふたつの "Stand Alone" を考える

筆者は映画だけでなくいわゆる映画音楽も好きなのだが、最近ふと思い出して映画音楽ばかり集めたプレイリストをかけてみた。『坂の上の雲』の主題歌である"Stand Alone"が入っていて、好きな曲なのでついリピートしてしまう。

 

実はこの曲、第1部から第3部にかけて、3人の歌手が歌い継いでいる。第1部は世界の歌姫サラ・ブライトマン。第2部は日本が誇るソプラノ歌手森麻季。そして第3部は作曲家・久石譲の実娘である麻衣だ。

——これは麻衣バージョン

 

筆者のプレイリストに入っていたのはブライトマンと森のものなのだが、ヴォカリーズのところはふたりとも大変素晴らしい。でも日本語歌詞の部分になると、やはり森に軍配が上がってしまうなと思うのであった。

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サンディの夢は夜ひらく - 映画『ラストナイト・イン・ソーホー』

もう3週間ほど前になるが*1エドガー・ライト10年間企画を温めていたという新作『ラストナイト・イン・ソーホー』"Last Night in Soho"('21)を観てきた。今まで冴えないギーク寡黙なドライバーを主人公に据えていたライトが、自らも敬愛する60年代カルチャーを背景に、2人の女性が体験する「悪夢」を描いたノワール映画だ。エドガー・ライト作品らしく、その作品には当然のように音楽が散りばめられていて、過去と未来を繋ぐ鍵にもなっている。しかしながら、懐古主義のよう作品で、彼が結末に選んだのは何とも現代的なテーマであった。結末は映画館で観ていただくとして、今回は純粋にレビューのみを送りたい。

www.cinematoday.jp

あらすじ

エロイーズ・"エリー"(演:トーマサイン・マッケンジー)は60年代ファッションと音楽を愛する19歳*2イングランド南西部・コーンウォールの実家を離れ、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションで学ぶことになるが、同級生とは何とも馴染めない。そんな折、霊感のある彼女は夢の中で見たサンディ(演:アニャ・テイラー=ジョイ)の姿に心をときめかせる。自らの愛する60年代を謳歌するサンディに感化されていくエリー。ところがエリーの見る夢は次第に惨めになっていき……

www.youtube.com - 予告編

 

!!! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! !!!
※本記事はネタバレ記事ではありませんが、新鮮な気持ちで映画を観たい方にはお勧めできません※

*1:また忙しさにかまけて出さずにいた

*2:彼女が愛するファッションは「スウィンギング・シックスティーズ」"Swinging Sixties"と呼ばれている

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当直のよしなしごと

先日の当直中、上の先生が患者にこう声を掛けていた。

「大怪我してるんですよ!」

隣でふと思ったけれど、……「大怪我」って定義は何だろう?

 

こういうやつはさわりくらい考えられるようになったけれど(ほんのさわりだけれど)、一般の人に「大怪我なんですか? 重傷なんですか? 重体なんですか?」と言われても答えられる自信が無い。

 

ある日の救急隊

またある時は、運ばれてきた人の状態について、救急隊にやたら食い下がられた。救急隊は患者を搬送してきた後、諸々の状況について救急カードを書いて帰るのだが、結構真面目な救命士の方が多く、「後学のために」と搬送後の状況を聞いていく人もそれなりいる。

この時は運んできて即手術だったので、手術のために麻酔をかけることになった。かけ終わったくらいのタイミングでカードを書き終わった救命士の方が戻り、今はどういう状況ですか、と聞かれた。手術のために麻酔をかけたところです、と話した。

救命士「え、じゃあこの方の意識はどういう状況なんですか?」

わたし「え、手術のために麻酔をかけたところなので、鎮静していて、意識も何も……」

救命士「お話とかできる状況なんですか?」

わたし「(???)いや、鎮静をかけているので今はあれですが、最初運ばれてきた時は話していたと思いますけど、その辺は近くにいた人でないと正確なことは分からず……」

救命士「意識って、ちゃんと戻りますか……?

わたし「???????」

これは麻酔の定義を学んでいる人なら分かると思うが、麻酔たるもの、薬を使って逆性の鎮痛・鎮静・筋弛緩を行う行為を指すものである。勿論当直で診ているので、予定手術とはまるで状況が違うし、麻酔以外の理由で(例えば搬送理由となった疾患とか)救命できないこともあるが、でも患者を診ている間はこの人をきちんと救うのだという気持ちで診ている。集中治療して意識を戻すのは当たり前のことなのだが、どうもこの人の中では、意識が無い、それすなわち死にかけているということだったらしい。

 

実はこの話には後日談があって、翌日ふとニュースを見ていたら、「この方の意識は朦朧としております」との救急発表があったと報じられていた。やたら食い下がってくるなと思ったらそういうことだったのか。それなり医療知識があるはずの救急隊ですらこれなのだから、いわんや一般の方に医療の話をする時や……と思ってしまう。

 

※分かりにくい話なのでもうちょっと解説すると、運ばれてきた方の「意識が無い」のは当然で、それは麻酔をかけたためである。麻酔なので、薬が切れれば当然覚めるもので、全身状態が悪いから意識を無くしたというのとはまた違う話だ。

 

こないだもこんなニュースがあったが

そんなことを考えていたらこんなニュースがあって、また考えさせられてしまった。郵政民営化の辺りから色んな党を渡り歩いて、維新の重鎮としてかすがい的に動いていただけに残念な話だ。

www.mbs.jp

これも見る人が見れば、心停止後の一般的な管理として色々と奔走していることが考えられて、例えば何故心停止したのかと考えたりとか、神経予後を考えたりとか、様々なことをやっているはずなのだが、そういうめんどくさいことは普通は書ききれない。結果として、「蘇生したものの今も重篤な状態が続いている」という文章に落とし込まれる。きっとそのように医療者側が説明しているのだろうと思う(説明としてはかなり誠実だと思う)。

 

筆者はこの「説明する側」なので、何をやっているのか患者家族たちに説明しなくてはならない、と考えてしまう。どこまで噛み砕いて喋るのがよいのだろう? やっていることを全て誠実に話すのも大事だが、分かりやすくするためにある程度取捨選択しなくてはならない。簡単なまとめを作ることも大事だ。はてどうしよう? 自分に出来るのだろうか?

 

コミュニケーションは難しい

医療というのは難しい世界で、医師と言えどもその全てを理解できるわけではない。何なら科が違えば常識が非常識というものだ。そんな中できちんと医療知識を分かりやすく説明するというのもなかなか難しい。この世にはびこるニセ医学も、医療界隈では叩かれているが、それっぽいことを言われたら信用してしまうのもしょうがないのかもしれない。

 

我々も誤解がないように気を付けて話をするものだが、相手がどのくらい理解してくれたのか推し量ることは難しいし、自分の話が分かりやすいのかどうか知ることも難しい。そもそもコミュニケーションは難しいものだが、こと医療となると余計厄介で、そういうスキルが必要なのだろうなあと思わされるばかりだ。

 

……やっぱりこの辺は第1段階として学んでおくべきなのかもなあ(救急隊が現場で何をしているのか知る必要はあるようで)。おしまい。

 

関連:JATEC / 救急 / 当直 / 研修医

すこぶる内省的でさざ波のように去る物語 - 『貝に続く場所にて』

ここ2ヶ月ひどく忙しかったのでブログと距離を置いていたが、文化の日ということで久々に筆を執った。人間忙しい時には文化からこぼれ落ちていくというのは真理であるなあと思う。忙しかった代わりに、今日紹介するのはひどく静かな純文学だ。石沢麻依氏が第165回芥川賞に輝いた『貝に続く場所にて』(2021年、講談社)である。

——はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

あらすじのようなもの

簡単にあらすじを言うと、ドイツはゲッティンゲンに留学している主人公の元に、9年前の東日本大震災で行方不明になったはずの同門生が突然やってくるという物語である。COVID-19のせいで外出もままならない中、彼の出現と同時に不思議な現象がゲッティンゲンで繰り返されるようになる。街の人々が娯楽のように超常現象を楽しむ中、主人公はひとり9年前の自分たちに思いを馳せる……という話だ。

主人公と同門生・野宮の生前の付き合いがやや希薄なのが個人的には面白いポイントであった。野宮と共に、実際にゲッティンゲン訪問経験があった寺田寅彦の姿も重ねられるのがもうひとつの味噌である。

 

  • あらすじのようなもの
  • 作者の話
  • 階層化される被害の度合い
  • 不在者たちの感じる罪
  • さざ波のように去るもの
  • おしまい

 

作者の話

筆者がこの作品を手に取ったのは、久々の(、なのだろうか)、宮城県が輩出した芥川賞作家であり、加えて石沢氏の経歴に自分と似通ったものをいくつも感じたためだ。石沢氏は仙台市出身で東北大学の文学部に学び、大学院で西洋美術史を学んで現在はドイツに留学している。この小説はすこぶる内省的で、石沢氏の経歴ともよく重なっているので、小説中の記載を参考にすると、仙台市仙台市でも内陸の出身らしいということが分かる(もっとも仙台市の人口は大半が内陸の平野部に集中しているが)。主人公がドイツに留学しているというのも、彼女の経歴を重ね合わせた設定だ。

kahoku.news

宮城県民が書いた震災の話、というだけでも手に取りたくなるのだが、読み進めていくにつれて、主人公が内陸出身の宮城県民である、という事実が静かに迫ってくる。これは地元民でないと分からない感覚だと思うが、宮城県民の中でも、震災に関する思いは、沿岸部の住民と内陸部の住民で大きく異なっていると思う。石巻に実家があった野宮、そしてベルギーに住む同級生・晶紀子の震災体験に対し、主人公は少し距離を置いた見方をしている。前者ふたりが津波の被害を目の当たりにし、更に言えば野宮は命を奪われた(だろうと考えられている)中で、後者が感じたのはただ大きな揺れと、その後の騒乱だからだ。これは実際の宮城県民でも同じであって、沿岸部の復興は未だ道半ばな一方、内陸部、特に仙台のような市街地は、最早震災の影も無いような生活が当たり前のように続いている。わたしも後者の側であり、主人公、ひいては石沢氏の視点からこの物語を眺め続けることになるのだ。

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誰も聞いていない10の質問

誰も聞いていないだろうけれどやってみます。こういうの何気にすきなのです。

 

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名の「ちいさなねずみが映画を語る」だが、ねずみちゃんが大好きで、映画に関するブログをやりたいなあ、それならねずみちゃんが語る形式にしてみたらなあ、と思って付けた。全然ねずみちゃん関係無い感じの書き口なのだが……

 

ハンドルネームは元々昔聞いていたラジオ番組の掲示板で使っていたものを流用して、これと"cinema"を足してドメイン名にした。しねまなみさん。

はてなブログを始めたきっかけは?

もう3年前の声が聞こえてきそうでびびっています。当時めためたに叩かれていた映画『ボヘミアン・ラプソディ』の擁護記事が書きたくて始めたのがきっかけ。

mice-cinemanami.hatenablog.com

ボラプを観に行ったのは丁度3年前の今頃だと思う(日本公開は2018年11月9日だそうで、その直後のサービスデーにIMAXで観た)。当時、クイーン世代の批評家たちにはこの物語の「歴史改竄」がいたく不評で、海外でも日本でも作品の出来としては酷評に次ぐ酷評という状態だった。後からこの筋書き変更はブライアン・メイロジャー・テイラー(特に前者)が望んだファミリー映画化だったことが分かるが、当時はそんな事情など知るよしもない。アーリーレビューは国内外問わず「こんなものメンバーが観たらどうするんだ」と言わんばかりだった。おまけにブライアン・シンガー監督の降板劇も尾を引き、斜に構えて観た人たちが酷評を書き連ねるというような状況だったのだ。個人的には映画館で楽しんで観たので、何とも言えずぐずぐずとしていたわけだが、まさかのゴールデングローブでドラマ映画部門にノミネートされてしまい*1、どやどやという記事を出すためにブログを始めたというわけ。

 

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

自分で今感じたことを文字に起こしておく、というのを心掛けているのと、自分がいいなと思ったものを紹介するのがこのブログのコンセプトなので、あんまりそう言えるものはないような気がする。ただ、このブログで1番アクセスされているのは外付けHDDを救ったこの記事だ。Stellarありがとう……

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あとよくアクセスされているのはあのカードボード・ベンの記事だろう。ビニールタッキーさんの「この映画宣伝がすごい!」でも紹介されてしまって結構びびった。

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読み返していたら『アナと世界の終わり』とか『シング・ストリート』の紹介記事も結構好きだなと思った。単に映画自体が好きなだけかもしれないけれど。あとポール・ラッドおじさんも愛おしい

※投稿後追記:熱量という点でいったらコマちゃん記事もすゑ記事も負けてない。

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ブログを書きたくなるのはどんなとき?

*1:これはどこかでも触れているが、GG賞作品賞にはミュージカル・コメディ映画部門とドラマ映画部門の2部門がある。ボラプはクイーンの楽曲を多用した音楽映画なので前者ノミネートだと思っていたところ、まさかの後者であり、その時点でもひとつ驚き。後者にノミネートするということは、こういった分け方のないBAFTAやアカデミー賞で作品賞の本命として戦える作品だと自負する証拠でもあるので、映画界がざわついたのだった……

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罪を持った者たちの中で絡みつく戯曲たち - 映画『ドライブ・マイ・カー』

【断り書き】この記事はネタバレ考察記事です。

カンヌ国際映画祭脚本賞などに輝いた濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』"Drive My Car"('21)を観てきた。村上春樹の同名小説が原作で、実際観に行く前に文庫本も仕入れたが、3時間の大作に対して原作は短編集の一作に過ぎないという点から、全く違うものなのだろうと思って敢えてシャットアウトして観に行った。この記事でも当然のように原作小説には触れないつもりだ。忙しさにかまけて読まずにいるので、そのうち気が向いたら別の記事を出そうと思う。

www.youtube.com

  • 追求され続ける「罪からの救済」
  • 救う人、ソーニャ
  • 加えて絡みつく音の脚本たち
  • くっきりと強調された音の美しさ
  • 音にも越えられなかった壁を越えたみさき
  • おしまい

 

追求され続ける「罪からの救済」

突然妻を失った主人公が、自らの車を他人に運転させてこれまでの人生を見つめ直す。この筋書きから言えば、恐らくはロードムービーというくくりになるのだろうが、『ドライブ・マイ・カー』はその枠組みには収まりきらない異質な作品だ。カンヌ国際映画祭でエキュメニカル審査員賞を獲得した時、キリスト教的救済を重視するこの賞に選出されるだけの要素があることは分かったが*1、この作品には性だとか怒りだとか、もっと原始的な欲望がどろどろと渦巻いている。長旅を通じて人生を振り返っていくというのが一般的なロードムービーの作られ方であるにもかかわらず、この作品で一番長い旅は第2幕と第3幕(後述)の間にさらっと挟まっていて、旅路で振り返られるのはチャラ男の不祥事である。第1部でも家福は車を走らせているものの、このシークエンスでは寧ろ夫妻の情事の方がメインに据えられている。どうも人生を振り返るというのは二の次だ。

 

自らの人生を振り返り、前向きに生きていく糧にするのが多くのロードムービーである中、この作品では様々な人物の罪がクロースアップされていき、救われない家福とみさきがひたすらに救いを求める、という構図になっている。冒頭何の接点もないように見えるふたりだが、実はどちらも罪を目の前に見逃したという過去を持っていた。家福は偶然妻の浮気を目撃するが、その事実を胸にしまい、自分自身の「罪」のせいだと*2納得させる。みさきの過去にも悔恨の念があることが分かって、家福の赤い車で過ごす時間は、似たもの同士何かを探している時間なのだと思わされる。

 

「罪からの救済」というテーマが横たわる中、家福とみさきがそれを追い求める人ならば、他の重要人物にもまた意味合いが与えられている。家福の妻・音には罪の告白というモチーフが重ねられているが、物語上それに気付くのは夫である家福のみである。第1部で顔を出した後第2部の主要人物となる高槻には、我々の中にある罪を自覚させるという大きな役割がある。そして、パク・ユリム演じるユナ、もとい『ワーニャ伯父さん』のソーニャには、救済というこの作品で一番の役割が与えられているのである。

 

*1:過去の受賞作にはテレンス・マリック復帰作でナチス・ドイツ時代に殉教したいち農夫を描いた『名もなき生涯』"A Hidden Life"や、余命宣告を受けた同性愛者の男性が家族に自分の人生を打ち明けるべきか葛藤するグザヴィエ・ドランの『たかが世界の終わり』"Juste la fin du monde"などがある☞

*2:ふたりの娘に関する事柄がどうも古傷になっているようだ

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ユーナ・スタッブスが亡くなりました

ユーナ・スタッブス(Una Stubbs)がエディンバラの自宅でひっそりと亡くなりました。84歳でした。元々はシットコムで人気を博した女優でしたが、近年では専ら『SHERLOCK』に登場するお茶目な大家・ハドスン夫人役で知られていました。彼女の演じたハドスン夫人に敬意を表してこの記事を贈ります。

www.bbc.com

  • 8月13日の朝
  • 元々は人気シットコムの出演者
  • 「お手伝いさんではな」かったけれど、間違いなくお母さんでした
  • おしまいに

 

8月13日の朝

8月13日の朝、ふとInstagramを開いたところ、ルイーズ・ブリーリーによるスタッブスの美しいモノクロ写真が載せられていました。元々ブリーリーはセットでモノクロ写真を撮ってはInstagramに挙げていたので、その中のひとつだったのだとは思いますが、一瞬で彼女が亡くなったことを悟りました。英語圏でモノクロの写真を挙げることはその人への追悼を意味する行為だからです。

www.instagram.com - ブリーリーの美文は後から紹介します

今でも続編が強く望まれている『SHERLOCK』ですが、あそこまでダークにしてしまったのならもう救いようはなく、おまけにこの作品をきっかけに売れっ子となったキャスト陣のスケジュール問題も大きくて、製作の話はさっぱり聞こえてきません。おまけにシリーズ唯一の良心(?)だったハドスン夫人役のスタッブスもこの世を去ってしまったとあれば、ますます続編の製作は難しいのかもしれません。

 

元々は人気シットコムの出演者

www.youtube.com - 最後が本当にずるいですね(大好きです)

スタッブスは元々 "Till Death Us Do Part"*1という人気シットコムで、主人公のとんだ偏屈親父の娘・リタを演じていました。1965年から1975年まで約10年続いたシリーズにおいて、主要キャラクターのひとりだったこの役は大変人気を博し、別のシリーズでもリタ役を演じるほどでした。1979年から1981年にかけては、子ども向けシリーズ『ウォーゼル・ガミッジ』"Worzel Gummidge" でサリーおばさん役を演じ、ジョン・パートウィー演じる主人公と渡り合いました*2。パートウィーはイギリスが誇るご長寿番組『ドクター・フー』の3代目ドクターなので、若き日のモファティス*3がこの番組を見ていたことは想像に難くありません。スティーヴン・モファットは1961年生まれ、マーク・ゲイティスは1966年生まれですから、スタッブスはふたりにとってハドスン夫人のような存在だったのかもしれません。彼女がちょい役のように見えてすこぶる重要なこの役に選ばれたのも、そういう事情があったのかしら。

 

「お手伝いさんではな」かったけれど、間違いなくお母さんでした

 彼女のキャリアで捨てては置けないのが、2011年から放送されているBBCの大人気ドラマ『SHERLOCK』です。シャーロック・ホームズ物語を21世紀のロンドンに置き換えたこのドラマで、スタッブスはベーカー街221Bの大家・ハドスン夫人役を演じました。思い込みが激しくてシャーロックとジョンのことはずっとゲイカップルだと思っているけれどとってもチャーミングで、その上シリーズが進むとよく分からない恐ろしい過去が一枚ずつ玉ねぎの皮を剥くように判明するというキャラクターです。

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*1:本来は『死がふたりを分かつまで』という成語です

*2:因みにこの番組には我らがパイソンズのジョン・クリーズと結婚していたコニー・ブースも出演しています

*3:モファティスはふたりとも筋金入りのDWオタクとして知られています

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