年末に放送されたNHK特集ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』('23)を今更ながら振り返る。ある事件をきっかけに警察と手話から離れていた主人公が、ふとしたきっかけで手話通訳の仕事に戻り、事件の真相を追うというサスペンス仕掛けのドラマである。この作品では2つの人々の葛藤が描かれる。ひとつは音のない世界に生きる聾者たち。そしてもうひとつが、聾者の家族で「聞こえる」側として生まれてきたCODA; Children of Deaf Adultsたちである。
CODAと言えばそのままずばり『コーダ あいのうた』が大ヒットして有名になったところだと思うが、『デフ・ヴォイス』でも『コーダ』でも描かれていたように、自分の意思とは関係無く、健聴者として通訳に駆り出されるのはなかなかしんどい経験のようだ。『コーダ』では、唯一のCODAたる主人公女子が、父のいんきんたむしやら両親のセックス事情を通訳させられて辟易するシーンがある。『デフ・ヴォイス』でも、主人公が反抗期で手話通訳を拒んでいた頃に家族の大病が発覚し、これが家族関係破綻のきっかけになるというシーンがある。
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今作に登場するCODAはどちらも俳優で(草彅剛、あともうひとり)、実際のCODAでないのは色々言われる面なのかもしれないが(実際言ってる人たちも見たが、NHKのプライムタイムで特集ドラマを制作するに当たって、流石に求めすぎな気がする)、その辺はドラマ制作のためにはしょうがない。それより、聾者たちに実際の聾者俳優たちを集め、聾者/CODAが手話の指導をしたというのが画期的だと思った。
聞けば、今作のCODA考証や手話指導に入った米内山陽子は、人気脚本家でありながら自分もCODAだったという。彼女の熱い気持ちが溢れるインタビューはこちらから。
ドラマ中最も印象的だったのは、手話通訳の訓練シーンで、「雑談を何故翻訳しなかったのですか?」と問われる箇所。これを手話から英日通訳に置き換えてみると、細かい雑談を訳してもらえずに置いて行かれる悲しさを想像することができるだろう。本人たちは大したことはないと考えていても、訳される側は、自分は通訳者というフィルターにかけられた情報を得ているのだと考えてしまう。
総じてこの作品で描かれる聾者やCODAたちの葛藤は、当事者でない我々には決して分かり得ない。分かった気持ちになってもきっと足りていない。だからこそラストシーンで主人公兄弟はあんなに喧嘩をする。だが、この作品は、聴覚障害を抱える人たちが活き活きと生きていくためには何が必要か、そういったことを考える端緒にはなる。NHKらしいよい作品だったなと感じた。
原作本発売中、ドラマもNHKオンデマンドで配信中。
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