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DEN社をめぐる顛末 - 『アトランティック』ブライアン・シンガー訴追記事その2

本日は『アトランティック』誌; The Atlantic で掲載されたブライアン・シンガー監督訴追記事特集の第3弾だ。前提整理した第1弾記事の半分少し手前程度まで扱った第2弾に引き続いてお送りする。申し訳無いことに続きを書く書く詐欺で実に4ヶ月放置していたのだが、筆者自身も過去の記事を読み返しながら進めていきたいと思う。

www.theatlantic.com - 『アトランティック』の訴追記事はこちら

mice-cinemanami.hatenablog.com - 第2弾

 

※以下、「アトランティック」/「『アトランティック』誌」と書いてリンクの無い場合は、シンガーの訴追記事を指す。また一部の出典は英語版Wikipedia(Bryan Singer - Wikipedia-Permalink付き)から移入している。※

  

DEN社を巡る騒動

『アトランティック』誌の記事も、大体この話くらいまでで半分だ。

この話の影にあるのはデジタル・エンターテインメント・ネットワーク社(Digital Entertainment Network、以下DEN社)を巡るスキャンダルだ。この会社は元々青少年向けコンテンツのオンライン配信を手掛けようとしていたが、創業者3名が未成年者と性的関係を持っていたと報じられ、突如彼らの辞任と株式公開の中止に追い込まれた(ブルームバーグ)。この話を中心に据えて作られたのがエイミー・J・バーグの"An Open Secret"である。

vimeo.com - 本編はR指定だが、PG-13版がVimeoで公開されている。映画の製作自体は映画.comで既報

シンガーはこの会社に深く関わっている。彼はこの会社への出資者だっただけでなく(ハリウッド・レポーター)、 創設者となった元子役のブロック・ピアース(Brock Pierce)をほかふたりに紹介したのもシンガーだったというのだ(バーグの映画に関連したIndieWireの記事)。ちなみにDEN社の創設者はマーク・コリンズ=レクター(1959年生まれ)、コリンズ=レクターの恋人でもあったチャド・シャックリー(Chad Shackley)*1、そして創業当時当時18歳だったピアースの3名である。

gawker.com - こちらもバーグの映画に関連してシンガーの噂をまとめた記事

Marc Collins-Rector
マーク・コリンズ=レクター(Marc Collins-Rector)のマグショット、2007年撮影、Wikipedia Commons

 

子どもだけのポルノ上映会

DEN社は『アトランティック』誌によると、ベヴァリーヒルズで旗揚げした後エンシノにある「M&Cエステート」へと移転した。会社の事務所というのは名ばかりで、実際は高級住宅街にある大邸宅であり、夜な夜な少年たちを集めては不適切なパーティを行っていたという。『アトランティック』誌でDEN社について触れるパラグラフの前半にはこんな文章すらある。

"(前略) But according to a series of lawsuits, criminal complaints, and a federal investigation, the company’s Encino mansion became a party house where teenage boys were allegedly given alcohol and drugs, encouraged to have sex with older men, and in some cases raped."

拙訳) 「一連の訴訟、刑事告訴、また連邦政府の捜査によれば、エンシノにあった会社の大邸宅はパーティ・ハウスと化し、そこではティーンエイジの男子たちが、アルコールやドラッグを与えられていた疑いがあるほか、年上の男性とセックスをするようけしかけられ、一部ではレイプまで起こっていた」——『アトランティック』誌

この話だけでもかなりむちゃくちゃなことが分かると思うが、事実DEN社はこういった少年たちを名ばかりの従業員として雇用していたらしいことがこの後で仄めかされている。M&Cエステートにあった映画館では、そういった少年たちを集めてポルノ上映会が行われていたが、成人の職員はこの部屋に入ることも許されなかった(『アトランティック』誌)。

 

アンディが見たブラッド・レンフロ

次に記事に登場するのは、DEN社の創設者コリンズ=レクターを通じてシンガーと知り合ったというアンディという男性である。この話の舞台である1997年当時アンディは14歳であり、再び話は『ゴールデンボーイ』へと戻っていく。

 

アンディはコリンズ=レクターと何度か性的関係を重ねた後、ベネディクト・キャニオンの大邸宅(the Benedict Canyon mansion)でシンガーと一夜を共にすることになる(『アトランティック』誌によると、彼の証言は売りに出されたこの邸宅の間取りと一致しているという)。この邸宅の寝室に入った時、アンディは先客がいることに気がついた。先客の正体は——ゴールデンボーイ』の主人公を演じたブラッド・レンフロであった。

"Singer had brought along Brad Renfro—the star of Apt Pupil, who was now 15. (According to two sources, Singer sometimes referred to Renfro as his boyfriend.) Renfro sat sheepishly next to the waterbed, looking unsure of what to do while Singer and Andy fooled around."

拙訳) 「シンガーはブラッド・レンフロ—『ゴールデンボーイ』の主人公で、当時15歳—を連れ込んでいた。(2つの情報源から、シンガーが時折レンフロのことをボーイフレンドと呼んでいたことが分かっている。) レンフロはウォーターベッドの脇におどおどと座っており、シンガーとアンディが浮気しているのにどうしていいか分からないような様子だった」——『アトランティック』誌、強調筆者追加

 

レンフロは15歳でこの作品に出演した後、東京国際映画祭最優秀男優賞を獲得するなど高く評価され、将来を渇望される俳優のひとりとなる。しかしながら私生活ではドラッグ絡みや窃盗未遂、飲酒運転などでトラブルが絶えずじまいであり、2008年にはオーバードーズで25歳にて急死した。そんなレンフロについてアンディは「ブラッドのことをゲイだと思ってはいなかったし、バイだとさえ考えなかった。彼は流れに乗ってしまっただけなのだと思う」(Andy says. “I don’t think Brad was gay, or even bi. I think he was going with the flow.)と語っている(『アトランティック』誌)。そんな彼がシンガーに「ボーイフレンド」と呼ばれるような関係を結んでいたというのは衝撃的な話だ。レンフロの早過ぎる死にはもしかしたら『ゴールデンボーイ』撮影時の出来事が暗く影を落としていたのかもしれない。

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心が壊れてしまったのはアンディも同じだった。売春にドラッグ、高校退学、刑務所暮らし、ポルノ映画出演と荒んだ少年時代を送ったことが『アトランティック』誌のインタビューで振り返られている。20代になってからは、シンガーにドラッグ代をせびったこともあるようだが、最終的には着信拒否されてしまった。現在は更生しているというが、彼はインタビューの結びにこんなことを話している。

"“I sort of wonder,” he says, “if I’d never met Marc and then Bryan, if I would have ever got into the drugs.”"

拙訳) 「考えてみることがあるんだ」と彼は言う、「もしマーク、そしてブライアンに出会わなかったら、そしてドラッグなんかに手を染めなかったら」——『アトランティック』誌

 

エリックの場合

続いてもM&Cエステートの常連だったエリックという男性の話である。彼はDEN社の社員として働きつつ、会社のパーティに参加しては、年上男性とベッドを共にしたと述べている。彼がシンガーと初めて会ったのは、『ゴールデンボーイ』の撮影で未成年キャストに不適切な演出があったとして訴訟を起こされた後のようだ。彼の言によれば、シンガーは訴訟のことなどなめてかかっていたという(『アトランティック』誌)。そしてその後、エリックは自分が未成年だと明かした上で、シンガーと性的関係を結んだと述べている。

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"Eric understood that he had no purchase on Singer: The director, he says, had people who brought him other boys just like Eric. “If you weren’t young and cute enough to be their boy, you could still ingratiate yourself by bringing boys to them,” he says. “That’s how I met Bryan, and that’s how I wound up at the DEN estate—people trying to ingratiate themselves.”"

拙訳) 「エリックはシンガーをしっかりつなぎ止めてはおけないことを理解していた:彼の言によれば、監督は自分にエリックのような男の子を紹介してくれる人物を周りに抱えていたという。『もし彼らの男の子になるには若さと魅力が不十分だったら、彼らのところへ男の子を連れて行って機嫌を取るという手段だってある』と彼は言う。『そうやってブライアンに会ったし、そうやってDENに巻き付いた—自分自身のご機嫌取りをしようとする人々に』」——『アトランティック』誌

記事の前半では、シンガーが性的関係を結んでいたのは主に未成年の男子であり、彼らが大きくなるとシンガーの関心は失われたようだと仄めかされている。そうした彼の交友関係を維持していたのは、DEN社のパーティに入り浸る大人たちに少年を紹介する人々であり、その中にはかつての「少年」も含まれていたということになる。実際にエリック自身、シンガーと関係を結んだ人物と会ったこともあると述べている。エリックの名前は、アンディ同様DEN社創設者のシャックリーが保有していた交遊録に残っているらしい。

"Eric goes to regular Alcoholics Anonymous meetings now, and he says he’s met other men there who have their own stories about Singer. “There’s a bunch of us,” he says. “It’s like, ‘You were one of Singer’s boys? Me too.’ ”"

拙訳) 「エリックは現在定期的なアルコホーリクス・アノニマスの集会に参加しており、シンガーとの逸話を持つ別の人々にも会ったことがあると述べている。「ここには僕たちの集まりがある」と彼は言う。「『君もシンガーの男の子のひとりだったのか?僕もだよ』ってな感じでね」」——『アトランティック』誌

 

DEN社の顛末

『アトランティック』誌の記事で取り上げられていたのは『ゴールデンボーイ』撮影前後の1997年頃のこと。同記事ではこの後のDEN社についても触れられている。

 

創設者のひとりであるマーク・コリンズ=レクターは、2000年8月に、セックス目的に州を越えて未成年者を連れ出したとして連邦大陪審に起訴された。彼は出国して2年余り逃亡していたが、スペインで逮捕され、潜伏先からは8,000枚以上の児童ポルノ写真が見つかったという。起訴案件に関しては有罪判決が下り、現在は性犯罪者として登録されている(=registered sex offender)。2007年に『ザ・サン』紙に写真が掲載され、2011年にアメリカ市民権を再取得したところまでは分かっているが、2014年現在で消息不明とされている(BuzzFeed英語版)。

コリンズ=レクターが逮捕されたスペインのヴィラへは、シャックリー、ピアースも同行していたが、ふたりが罪に問われることはなかった。ピアースは後のインタビューで、DEN社でそのような性的虐待が行われていたとは知らなかったと回答しているという。

 

シンガーの場合

DEN社を巡る捜査でシンガーの名前が出ることはなかった。彼はX-MENシリーズで大成功を収め、人気監督への道をひた走ることになる。一方で『アトランティック』誌によれば、『X-MEN2』('03)、『スーパーマン リターンズ』('06)撮影中に、それぞれ鎮痛剤の飲み過ぎ、「薬物の過剰摂取」(“heavily medicated”)疑いで現場を空けることがあったと述べられている。彼の不品行は薬物だけかと思っていたところで——2014年に、ハワイ連邦裁判所で、マイケル・イーガン (Michael Egan) と名乗る人物がシンガーを相手取った訴訟を起こしたのだった。

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関連:ブライアン・シンガー

*1:『アトランティック』誌の記述では"Shackley had been 16 when he’d started dating Collins-Rector, who had been about 32."とあるからコリンズ=レクターより16歳年下か

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