ちいさなねずみが映画を語る

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トランスジェンダーだろうが、わたしはわたし - 映画『ナチュラルウーマン』

年末の特番で "(You Make Me Feel Like) A Natural Woman" が歌われると聞いて(歌うのは平原綾香)、ふとこの曲が流れた1本の映画を思い出した。2017年のチリ映画、ナチュラルウーマン"Una mujer fantástica" だ。チリに初めてのアカデミー外国語映画賞をもたらした本作品は、筆者の中でも大切な作品なのだが、そう言えばこのブログで紹介していなかったので取り上げようと思う。

ナチュラルウーマン(字幕版)

ナチュラルウーマン(字幕版)

  • 発売日: 2018/08/07
  • メディア: Prime Video
 

 

あらすじ

トランスジェンダーの歌手マリーナ(演:ダニエラ・ベガ)*1は、年上の恋人オルランド(演:フランシスコ・レジェス)と恋仲だ。誕生日祝のディナーで、オルランドイグアスの滝への旅を提案するが、彼はそんな矢先に急死してしまう。突然の恋人との別れに戸惑うマリーナだが、トランスジェンダーへの差別として、オルランドの死を巡り様々な偏見をぶつけられる。行きすぎた警察の捜査、葬儀への参列を拒む元妻、心無い言葉をかけるオルランドの息子……マリーナは最愛の人との別れの時を勝ち取るため立ち上がるのだった。

 

!!! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! !!!
※この先には物語の核心に触れる記述があります※

 

容赦無く向けられるトランスジェンダーへの偏見

この作品にはマリーナの味方がほとんどいない。恋人であるオルランドとその弟のガボは彼女の味方だが、この作品はオルランドの死から始まるし、ガボは立場上オルランドの家族に強くは出られない人物だ。そんな中でオルランドが亡くなり、マリーナが支えを失ったところからこの物語は始まる。

 

オルランドの死を巡り、マリーナは徹底的に糾弾される。警察に行けばオルランドの死に彼女が関係しているのではないかと疑われ、興味本位の警察官が捨てたはずの男性名を噂する。女性警官は「自分は味方」という顔をしているが、どう見ても必要とは思えない裸でのマグショットを強要する。オルランドの元妻は、マリーナがオルランドと暮らしていたアパートから荷物を運び出すのを拒否し、葬儀への参列も拒む。オルランドの息子はもっと下世話にマリーナを侮辱してくるし、この作品で彼女は言われなき偏見を常にぶつけられ続けている。

 

こういうことを言うのは失礼なのかもしれないが、マリーナを演じるダニエラ・ベガもトランスジェンダー女性だ。ベガがトランスジェンダーだと自覚したのはティーンの頃だが、その頃のチリは保守的で、トランスジェンダーというものを認めないような土壌だったという。マリーナに向けられる謂われの無い敵意も、ベガに実際向けられたものが含まれているに違いない。実際セバスティアン・レリオ監督とは、製作開始前からトランスジェンダーの現状について語り合い、その中身が脚本にも反映されているように感じると明かしている(HEART & DESIGN for ALL)。

www.news18.com

heart-design.jp

 

邦題と原題には少し乖離があるが

この作品の原題は "Una mujer fantástica" という。英題の "A Fantastic Woman" はその直訳で、つまりは「素晴らしき女 (ひと) 」という意味だ。この作品には様々な女性が出てくるけれど、マリーナほど芯が強くて憧れる女性はいない。愛する人を失ったばかりのところへ、偏見をいくつもいくつもぶつけられながらも、オルランドとの思い出をきちんと「葬る」ためにサンティアゴ中を駆け巡る。悲しみをぐっとこらえて別れに臨むマリーナの姿は凜としている。

ダニエラ・ベガ「一番初めにこの人物の役作りをするときに、ベースとなる3本の柱を自分なりに考えました。それは尊厳、打たれ強さ(粘り強さ)、そして反逆性です。この3つの要素というのは、多くの女性のなかにあるものだと私は思っています。それを基本にして、その上にマリーナの人物像を積み上げていきました」——i-D、2018年2月21日

i-d.vice.com

 

一方日本語の題名『ナチュラルウーマン』は、作中登場するキャロル・キングアレサ・フランクリンの名曲を引いたものだ。普段はクソ邦題に厳しいけれど(過去記事)、この題名は映画の中身までしっかり読んだよいものだと思う。

(You Make Me Feel Like) A Natural Woman

(You Make Me Feel Like) A Natural Woman

  • 発売日: 2011/08/23
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
(You Make Me Feel Like) A Natural Woman

(You Make Me Feel Like) A Natural Woman

  • 発売日: 2018/05/09
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

——そう言えばあーやも既にカバーとしてリリースしていたんですね

 

 "(You Make Me Feel Like) A Natural Woman" では、潤いのない生活の中で、恋人と一緒にいる時にはありのままの女性でいられる、という思いの丈が綴られている。この歌詞の内容はマリーナとオルランドの関係そのものだ。オルランドはマリーナがトランスジェンダーであることなど気にせず、ひとりの女性としてマリーナに接し、恋人として愛してくれた。偏見の多い中でオルランドと幸せな時間を過ごしたからこそ、彼女は周囲にどれだけ拒まれてもオルランドとの時間に見合った別れを望むのだ。

Life was so unkind (人生は悲愴)
And you're the key to my peace of mind (だからこそあなたは我が心の平和の鍵)

[Chorus]
'Cause you make me feel (あなたがそう思わせてくれるから)
You make me feel (あなたが思わせてくれる)
You make me feel like a natural woman (ありのままの女性だって思わせてくれる)

—— "Aretha Franklin – (You Make Me Feel Like) A Natural Woman Lyrics | Genius Lyrics" (括弧内拙訳)

 

一方でこの歌詞は、「(恋人のおかげで)自分は "a natural woman" だと思える」という文章になっている。歌詞の意味を考えて「ありのままの女性」と訳したが、文字通りの意味で取れば「自然な女性」となるだろう。マリーナはトランスジェンダーであるがゆえに様々な偏見をぶつけられる。オルランドの息子には性転換に関して侮辱的な言葉も投げかけられる。彼女の生活は、自分が男性として生まれてきてしまったことを思い起こさせる出来事で溢れているのだ。それでもオルランドとの生活は、そういったものを忘れ、ひとりの女性として歩んだ幸せな日々だった。そういった歌詞のダブルミーニングを、上手く使ったよい邦題だと思う。

 

そう言えばベガ自身は鏡のシーンを「一番象徴的」だと述べていた。その理由についての言は、アレサ・フランクリンの歌の内容に繋がるような気がする。

「両足の間に丸い鏡を入れるところも「分かった」と言いながら、どうなるんだろうと思っていましたけど、この映画の中で一番象徴的なシーンに仕上がったと思っています。鏡の中にマリーナの顔が見えることで、「その後ろにあるものは関係ない」というのが分かるシーンだから。彼女の顔を見て、瞳で、あそこで分かる。私の好きなシーンのひとつです」——フィルマガ (filmarks)

filmaga.filmarks.com

 

歌手でもあるベガの澄み切った歌声

映画の最後はベガが歌うヘンデルの『オンブラ・マイ・フ』"Ombra mai fu" で締められる*2。ベガはオペラを学んだ歌手であり(彼女の話によると、盲目だった祖母が音楽鑑賞を手ほどきしてくれたという)、このシーンも自身で歌い上げた。木陰の優しさを歌うこの曲も、オルランドの包容力を惜しむようでシーンにぴったりと合っている。作中マリーナにぶつけられた謂われの無い敵意が、ベガの澄み切った歌声で煙のように消え去るようだ。

www.wmagazine.com

もう1曲筆者が大好きなのは、冒頭マリーナがホールで歌っている "Periódico De Ayer" (昨日の新聞) という曲だ。映画を観た時から惚れ込んでいたのだが曲名が分からずじまいだったので、この記事を書きながら曲に辿り着けてよかった。この曲はベガではなくフェルナンダ・カレーニョ (Fernanda Carreño) が吹き替えている*3この曲とベガが作中で歌った2曲は、この作品のサウンドトラックに収録されている。

A Fantastic Woman (Original Motion Picture Soundtrack)

A Fantastic Woman (Original Motion Picture Soundtrack)

  • 発売日: 2018/01/05
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

おしまい

というわけで今日は『ナチュラルウーマン』を紹介した。マリーナ最愛の人オルランドを演じるフランシスコ・レジェスは、チリで多数のテレノベラ(テレビ放送のメロドラマシリーズ)に出演した人物なんだそう。ベガもチリ人にとってレジェスはとても有名な人で、そんな人と共演できるのは幸せなことです、と語っていた。ディスクは既に発売済、またAmazon Primeでも配信されている。マリーナの凜とした姿を是非観ていただきたい。

ナチュラルウーマン(字幕版)

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  • 発売日: 2018/08/07
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ナチュラルウーマン [DVD]

ナチュラルウーマン [DVD]

  • 発売日: 2018/08/03
  • メディア: DVD
 

  

関連:ナチュラルウーマン / ダニエラ・ベガ / フランシスコ・レジェス / アカデミー外国語映画賞 / セバスティアン・レリオ

*1:ベガの名前はあちこちで「ダニエラ・ヴェガ」と書かれているが、スペルこそ "Vega" であるものの、彼女はスペイン語圏の人物なので、その発音は「ベガ」である。何ならベガルタ仙台の「ベガ」と同じだ

*2:今思えばこのシーンは『スター誕生』のラストのようだなと思う☞

mice-cinemanami.hatenablog.com

*3:正直映画を観るとちょっと口パク合わせが微妙なのだが、曲がよいのでよいことにしておこう

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