ちいさなねずみが映画を語る

すきなものを好きなだけ、観たものを観ただけ—

どん底のダブリンから羽ばたく珠玉のアオハル映画 - 『シング・ストリート 未来へのうた』

厨二病? そう呼びたいならそう呼べよ」そう言わんばかりに筆者の中で燦然と輝く傑作作品がある。その映画の名前は、2016年公開の『シング・ストリート 未来へのうた』"Sing Street" だ。ジョン・カーニー監督が、自らが青春時代を過ごした1985年のダブリンを舞台に、バンド活動を通して様々な意味でもがきながら成長していく少年たちを描いている。筆者にとって映画館で観たことを誇れる作品のひとつだが、この度ちょっとした上映会を開くことになったので、そのために書き下ろしたしおりの内容を公開したいと思う。(今回の記事はネタバレフリー!)

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あなたのルーシー・ボイントン歴はどこから?わたしは『シング・ストリート』から

 あなたのルーシー・ボイントン歴はどこから? 日本だけで興行収入100億円を叩き出してしまった『ボヘミアン・ラプソディ』(’18)で、フレディ・マーキュリーを陰で支えた生涯の盟友メアリー・オースティン?*1 サー・ケネス・ブラナー版『オリエント急行殺人事件』(’17)で演じた、幸薄そうなアンドレイニ伯爵夫人? はたまた、『ミス・ポター』(’06)での、レネー・ゼルウィガー演じるタイトルロールの子ども時代? これだけ書いているのだから筆者の場合は当然『シング・ストリート』なのであるが、この中で彼女が演じたラフィーナは、コナーに鮮烈な印象を残したように公開から3年経った今でも筆者の心を掴んで放さない。

mice-cinemanami.hatenablog.com - この記事のサムネイルこそ本作のラフィーナである

この物語はダブリンを舞台にした『あまちゃん』だ

 ラフィーナの出自については細かいことを書くとネタバレになってしまうので割愛するが、かいつまんで言うとロンドンでモデルとして大成することを夢見る勝ち気な少女だ。そんな彼女に「モテない・冴えない・お金無い」という「3無い」少年コナーが一目惚れしたことから物語は動き出す。3年後*2に出演した『ボヘミアン・ラプソディ』同様に、彼女の存在はバンドマンの心をかき乱して、創作の源となるのである。そんなラフィーナを演じるボイントンの姿に、筆者は橋本愛と似たものを感じずにはいられない。思えば橋本愛朝の連続ドラマ小説『あまちゃん』(’13)で演じた足立ユイも、東京でアイドルとして大成することを夢見る勝ち気な少女であった。『あまちゃん』が描いたのは3.11前後で、過疎と震災の爪痕に喘ぐ東北の姿。この舞台背景すら『シング・ストリート』に重なってしまう。

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 この作品の舞台となった1985年のアイルランド・ダブリンは、不況に喘ぎ失業率は20%越え*3、多くの若者が仕事を求めてブリテン島へ渡るという有様だった。勿論ロンドンに行ったところで、アイルランドなどという片田舎からやってきた若者たちに職は無いわけだが(本作でもそういう人物が登場する)、それでも彼らは一縷の望みにかけてアイリッシュ海を渡ったのである。また、元々アイルランドは痩せた土地が多く、1840年代のジャガイモ飢饉を経て、多くのアイルランド人がアメリカへと移民したことは世界史としてよく知られた話である。元々の時代背景もよく似ており、ふたつが重なってしまうのも無理は無い。首都ダブリンに住むロウラー家ですら貧困に喘ぐ姿は、さながら冷夏の年に悲鳴を上げる東北の首都・仙台、そして東日本大震災の後に大きく冷え込んだ東北の姿そのものである。東北人の心の中には、否定しようがないほど東京への憧れがあるし、その様子は吉幾三の代表曲『俺ら東京さ行ぐだ』でも歌い上げられている(奇しくもこの曲の発表は映画の舞台と1年違いの1984年である)。そういう意味で言ったら、この映画の字幕は東北弁っぽく訳した方がよいのかもしれない*4

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 台詞を東北弁で訳すのは冗談にしろ、この映画を観る上では、粋がってるコナーも、有名モデルになりたいラフィーナも、みんなダブリン出身だということを忘れてはならない。喋る言葉は同じ英語でも、アイリッシュ海の向こうのブリテン島とも、大西洋の向こうのアメリカとも大きな経済格差が横たわっている。コナーが自分のための音楽を探して見続けるMTVだってアメリカのもの。ラフィーナが憧れるモデル界もロンドンのもの。そして、モチーフとして何度も登場する『バック・トゥ・ザ・フューチャー』もハリウッドのものなのである(詳細は後述)。つまりは全て田舎者の憧れであり、本質的には手に入らないものを一生懸命求めているわけであるが……そんな彼らにカーニーが用意した結末はいかばかりか、是非自分の目で確かめてほしいと思う。

 

アイルランド出身の音楽映画の天才、ジョン・カーニー

 『シング・ストリート』は日本で公開された3作目のジョン・カーニー監督作品だ。元々バンドマンでもあるカーニーは音楽で映画を紡ぐのが大変上手く、2007年の『Once ダブリンの街角で』ではアカデミー歌曲賞獲得 (米国外のインディ映画にしては信じられないほどの快挙である)、2013年の『はじまりのうた』でも同賞ノミネートという結果を叩き出している。そんなカーニーが次回作の舞台として設定したのは、1985年のダブリンという半自叙伝的なものだった*5

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 1972年ダブリン生まれのカーニーにとって、作品の時代背景は彼が過ごした青春時代そのもの。作品の舞台となるシング・ストリート高校 (Synge Street High School)も、実際に彼の母校である。そのため、作中で使われる当時のヒット曲も、カーニーの青春を実際に彩った名曲たちだ。そんなわけでそれを真似て曲を作るコナーたちのセンスにも、多分に監督自身の過去が投影されている(実際にカーニー自身もオリジナル楽曲の作曲に関与している)。
 彼の楽曲制作を影で支えたグレン・ハンサードとアダム・レヴィーンは、カーニー映画に縁深い人物だ。ハンサードは『Once ダブリンの街角で』でミュージシャンの男役を演じ、マルケタ・イルグロヴァと書き下ろした "Falling Slowly" でアカデミー歌曲賞を獲得した。カーニーが元々バンドマンだったことは先述の通りだが、実はハンサードはこの当時のバンド仲間である*6。レヴィーンの方はマルーン5のメンバーとしても知られるが、実は『はじまりのうた』でキーラ・ナイトリー演じるグレタの恋人を演じていた人物でもある。『はじまりのうた』からアカデミー賞にノミネートされた "Lost Stars" も彼が歌っていたが、『シング・ストリート』のラストを飾る "Go Now" も素晴らしい1曲だ。

シング・ストリート 未来へのうた (オリジナル・サウンドトラック)

シング・ストリート 未来へのうた (オリジナル・サウンドトラック)

 
Ost: Sing Street

Ost: Sing Street

 

——コナーたち「シング・ストリート」が作った設定のオリジナル曲と、作品を彩った当時のヒット曲の両方が収録! 海外版歌詞カードはコナーによる手書き歌詞になっている

 

 『Once』でかつてのバンド仲間であるハンサードを使って自らのバンド生活とダブリンでの生活を振り返ったカーニー監督。『はじまりのうた』では、縁もゆかりもないニューヨークで撮影したように見せて、マーク・ラファロ演じるプロデューサーに自身の兄ジムを投影していた。『シング・ストリート』は、『はじまりのうた』の完成を見ることなく急逝した兄への献辞なのだとも述べている。カーニー、ハンサード、レヴィーンが手掛けた最終曲 "Go Now" は、コナーの兄ブレンダン(演:ジャック・レイナー)がかけた言葉を引いた曲だが、カーニーが自身と兄ジムとの関係を投影していると考えると感慨深いものがある。

"“That’s a real tribute to Jim. He’s really alive in the film. It is about a young kid and his relationship with his older brother,” he says."

(拙訳:「[『シング・ストリート』は]ジムに対するトリビュート作なんだ。彼はこの映画の中で実際に生きてる。少年と兄の関係を描く作品なのさ」)——"John Carney goes urban musical Once more"、アイリッシュ・タイムズ、2014年7月12日

 

かっこ悪いからこそ等身大のキャラクター

本作の主人公であるコナーは、どこまでもかっこ悪い人物だ。転校先では早々に目を付けられていじめられるし、一目惚れしたラフィーナの気を惹くためだけに組んでもいないバンドのPVに出ないかと誘う有様。何とか寄せ集めでバンドを組んでみたが、メンバーのやりたいことはバラバラのままで、その姿は "The Riddle Of The Model" のPV衣装で見て取れる。バンドマンらしい格好で登校しようと粋がるが、そのファッションセンスはあまりにぶれぶれで*7、モテたい一心で始めたバンド故に自分のやりたいことすらよく分かっていない。唯一彼がかっこよく映るのは"Drive It Like You Stole It" のPVシーンだが*8、結局「ゆっ、ゆ∑®†¥ø¬µ∫ƒ†¥˙©˙˙∆˚¬」(自主規制)*9であるし、折角のギグにも校長が茶々を入れにくるし、バンド活動にのめり込んだ挙げ句成績はがた落ちだし(私立学校でフランス語を学んでいた高学力層だったというのに!)……カーニーはこれでもかと言うほどに、「人生そう上手くはいかないぜ」というモチーフを繰り返してくる。

www.youtube.com - 筆者は『スッキリ!』でこのシーンを観て映画館行きを決意しました
 脇を固めるバンドメンバーだっておんなじだ。マネージャーを買って出たダーレンは歯列矯正のワイヤーが痛々しいほど目立つチビだし、リズム隊のラリーとギャリーの顔からはあどけなさが抜けきっていない。ンギグの加入に至っては完全なる人違いな上に、「黒人だから英語をまともに話せないに違いない」というダーレンの偏見は二重の意味で「イタい」。コナーとよきコンビになるエイモンは楽器の名手だが、音楽の師だった父親は現在絶賛塀の中だ。冒頭でコナーをいじめるバリーは荒んだ家庭の内情をコナーに八つ当たりして晴らしている*10。全員どこまでもかっこ悪い。しかしながら彼らはかっこ悪いからこそ等身大だし、そんな姿に青かった自分を思い出す人も多いだろう。
 コナーはバンド活動の中で、うわべを装うのではなく自分の内面そのものを出すことこそが成功の鍵だと気付いていく。学園祭のギグの後、ラフィーナの手を引いて走り出すコナーの顔には素の自分をさらけ出した爽快感が乗っているのだ。不純な動機で始めたコナーのバンド生活が、ラストでどのように着地するのか是非ご覧いただきたいと思う。

 

最後に

作中でもラフィーナへのラブソング、またコナーの失恋ソングとしてふたつの意味で使われている "Up"。筆者はサウンドトラックを回す度に泣いてしまうのだが、その曲をコナー役のウォルシュ=ピーロとエイモン役のマッケンナがLAで歌った素晴らしいビデオがあるのでご紹介。これは作品のプロモーションでふたりが旅をしていた時の映像で、YouTubeでは他にも別会場での弾き語り動画や、ウォルシュ=ピーロがピアノで弾き語る "To Find You" などがアップされている。作中のオリジナル曲はサウンドトラックにも収録されているが、弾き語り版もまた違う味があっていい(歌詞はこちらのサイトにて!)。

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シング・ストリート 未来へのうた (オリジナル・サウンドトラック)

シング・ストリート 未来へのうた (オリジナル・サウンドトラック)

 
Ost: Sing Street

Ost: Sing Street

 

こちらがギャガによる日本版予告編。今見返すとなかなかにネタバレが多いので、未見の方はご注意を! 名作なので予告編を観ずに観に行っても問題無いぞ!

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紙幅の関係で詳しくは触れなかったが、カーニーは『シング・ストリート』の前に『Once ダブリンの街角で』と『はじまりのうた』という2作の傑作音楽映画を送り出している。前者ではアカデミー歌曲賞を獲得したほか、後者ではキーラ・ナイトリーマーク・ラファロのコンビが主演という豪華ぶり。こちらも合わせてご覧いただきたい。

ONCE ダブリンの街角で (字幕版)
 

 

関連:シング・ストリート 未来へのうた / ジョン・カーニー / フェルディア・ウォルシュ=ピーロ / ルーシー・ボイントン / ジャック・レイナー / エイダン・ギレン*11 / マリア・ドイル・ケネディ / ケリー・ソーントン / マーク・マッケンナ / ベン・キャロラン / パーシー・チャンブルカ / イアン・ケニー / ドン・ウィチャリー / アダム・レヴィーン / マルーン5 / グレン・ハンサード

*1:絶賛交際中のラミ・マレックとはこの映画を通じて出会ったのだが、パパラッチされつつも幸せな時間を過ごしている様子が見て取れて本当に微笑ましいカップルである(末永くお幸せに……!)✩

*2:『シング・ストリート』の公開は2016年だが、撮影自体は2015年

*3:パンフレット中「3. Ireland in 1980’s」(山下理恵子)より

*4:本作でボイントンがアイリッシュ訛りで喋っているわけではないので多少話はずれるが、そう言えば『あまちゃん』のユイちゃんも、アイドル志望の可愛い女子高生ながら、北東北弁丸出しという設定だった

*5:裏話を言うと、この設定には2013年の『はじまりのうた』制作が大きく関与している。この作品はキーラ・ナイトリー&マーク・ラファロのダブル主演にしてニューヨークを舞台にしたものだったが、トップ俳優を擁し、大都会で撮影した制作スケジュールはカーニーにとって大変ストレスフルなものだったという。

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*6:カーニーは1990年から93年まで「ザ・フレイムス」(The Frames)のメンバーとして活動していた。ハンサードはこのバンドの創設メンバーで、現在もヴォーカル・ギターを務めている。

*7:コナーのぶれぶれファッションも楽しみのひとつだが、うっかり実際のフェルディアくんを検索してしまうと普通に今どきのイケメンでギャップにどきどきしてしまう……

www.youtube.com - ルーシーちゃんも地毛はブロンドなのです

*8:筆者を映画館へ連れて行ったこの作品いちの名曲。コナーが撮影前に指示を出すように、このPVは1985年公開の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(以下BTTF)のプロムシーンを下敷きにしている。バンド活動に目覚めて新しいものを追いかけまくるコナーに対し、田舎者ダブリンっ子の同級生たちは「それ何?」なのもちょっとした見どころ。因みにBTTFネタとしてはBTTF2の「グラビティ・ブーツ」が "Brown Shoes" にも登場

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*9:自主規制の内容を正直に述べてしまうと、「夢オチ

*10:そんなバリーを「シング・ストリート」のメンバーがどうするか、というのがこの映画の素晴らしさのひとつでもある

*11:ボヘミアン・ラプソディ』でクイーンの初期のマネージャー、ジョン・リード役を演じていたが、この作品でもルーシー・ボイントンとすれ違っていたことに!

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