ちいさなねずみが映画を語る

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ヒュー・グラントをスターダムに押し上げた伝説の一作 - 映画『モーリス』

自分にとって今年1番のニュースと言えば、『モーリス』"Maurice"('87)の30年ぶりとなる復刻上映だろうと思う。この作品はヒュー・グラントを一躍スターダムに押し上げた作品ながら、長らくVHS/DVD共に絶版であり、入手不可能だったのだ。ところが、今年大ヒットした『君の名前で僕を呼んで』"Call Me By Your Name"; CMBYN('17)でジェイムズ・アイヴォリーが久々に復帰したことにより、この映画も脚光を浴びることになる。気付けばあれよあれよという間に復刻上映が決まり、わたしが観に行こうかとしている内に吹替音声を探しているとのニュースがあり、遂には4Kレストア版のディスクも発売された。

 

アイヴォリーの手による作品でヒュー・グラントがスターダムへの階段を駆けのぼった姿は、CMBYNで名演を見せたティモシー・シャラメの姿にも重なる。今回はそんな『モーリス』をご紹介したい。

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!!! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! !!!

 

 

そう言えば言い忘れていたが、この映画はれっきとした学園もののゲイ作品なので、そういうものが苦手な人はくるっと足を返してほしい。

それとゆるっと『アナザー・カントリー』のネタバレもしているのでご注意いただきたい。

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あの『モーリス』を観た

あの『モーリス』を観た。ヒュー・グラントのほぼ(この辺はよく知らないが)初主演作で、ケンブリッジで互いに恋に落ちる学生同士の禁断の愛を描いた、ちょっとした伝説作。英国俳優は「ゲイと女装と全裸を演じて一人前」みたいな話もあるが、『アナザー・カントリー』しかり、コリン・ファースの『裏切りのサーカス』しかり、カンバーバッチの裏切りのサーカスイミテーション・ゲーム』しかり、レッドメインの『リリーのすべて』しかり、という気がする(何だかメジャーラインが随分並んだが、勿論他にもやってるのだろう)。それより何より、この頃のヒュー・グラントは、数多の人間の心を狂わせそうなくらい美男子である(勿論今のしわしわおヒュー様だって好きなのだが)。


英国俳優沼にどっぷり浸かってから早3年近く、やっとこの作品が観られるようになった。VHSもDVDも原作本も高いくせにみんな売り切れで、どうにも手に入らなかった。今回の公開はCMBYN("Call Me By Your Name"『君の名前で僕を呼んで』)公開記念だというが、本当にジェイムズ・アイヴォリーさまさまである。おまけに光文社古典新訳文庫から原作の復刊も決まったと聞いて余計さまさまだ。

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モーリス (光文社古典新訳文庫)

モーリス (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

詳しい物語

あれだけポスターにおヒュー様だけ載せておいて、実は真の主人公はグラントではない(笑)。あのポスターだけ観たら彼の役名がモーリスだと勘違いするだろうが、真の主人公は、ジェイムズ・ウィルビーが演じるタイトルロールだ。

 

モーリスとクライヴの出会い

モーリス(ジェイムズ・ウィルビー)は口の上手い先輩の誘いに乗って、偶然彼のルームメイトだったクライヴ(ヒュー・グラント)に出会う。クライヴは音楽やギリシャ思想に明るく、とにかく博識な学生である。そんな彼に突然告白される瞬間は、実に自然だ。ヒュー・グラントだからなのか、相手の性別なんかどうでもよくて、告白された瞬間に受け入れてしまいそうな何かがある。モーリスは一瞬戸惑いつつも、後から部屋を訪ねて自分の思いの丈を伝える。何だかんだ言って、このふたりは最初から相思相愛だったのだ。そして、この時のヒュー・グラントは、会う人会う人の未来を狂わせそうなほどの妖艶さを放っている。

狂い出す友情

ところがモーリスの放校後、ふたりの友情は大きく狂い出す(放校の理由がクライヴとの「ピクニック」三昧で授業をすっぽかした末、ディーンへの謝罪を拒否したためというのがあれだが)。まずクライヴと同室だったリズリー(マーク・タンディ、実はモーリスを誘った彼)が同性愛の罪で裁判にかけられる。弁護士資格の取得目前だったクライヴはこの一件に大きなショックを受け、モーリスとの関係を考えあぐねてしまう。彼の心労はとても大きなもので、バリスタ*1になった記念のパーティで倒れ込んでしまうほどだった。それから程なくして、クライヴは「普通の結婚」に思いを至らすようになり、モーリスとの関係を保つため、彼の妹エイダとの結婚を口に出してみる。その時のモーリスの反応たるや、世間知らずもいいところという号泣っぷりである。クライヴはクライヴなりに、モーリスとの「友人関係」を維持したくてそう言ったのに、モーリスはクライヴの愛が醒めたのだと言わんばかりにきつく詰る。モーリスは知らず知らずの内に、モーリスが差し伸べた永遠の友情を踏みにじるのだ。

結婚を機に変わり始める友情

その後クライヴは、モーリスとの愛を永遠にしまい込み、ギリシャで知り合ったアン(フィービー・ニコルズ)と結婚する。世間体なんてどうでもよくてわがままなモーリスにとっては、クライヴの結婚だけでも相当なショックだ。自分でクライヴの差し伸べた手を振り払っておきながら、自分たちの愛は永遠ではなかったのかと穿った見方をしてしまう。おまけにクライヴは結婚を知らせる電話を掛けてくるが、アンのせいでモーリスは「8番目」だったことが分かって落胆する。勿論、クライヴはこの話をどう伝えていいか分からなかったから後にしたとか、電話が繋がらなかったとか色々な理由が考えられるのだが、モーリスはこれを絶望のしるしと受け取る。

——クライヴの結婚を機に、物語は彼の居館であるペンダースリーを中心に動くようになる。モーリスはクライヴの家を訪ねた折に猟場番のアレック・スカダー(ルパート・グレイヴス)に会うのだが、このグレイヴス、若いのもそうだし、まつげがばっさばさなのでとにかくえろい。おヒュー様の比じゃないくらいにえろい。この時期モーリスは自分がゲイであることに悩んでいて、催眠療法を受け始めるのだが、その矢先に彼はスカダーと関係を持ってしまう。スカダーは教養の無いそこらの田舎者であるというのに、だ。モーリスは一時スカダーとの関係に酔いしれ、同時にプラトニックな関係を保ったクライヴを思い返す。しかしながら、翌日のクリケット*2で別の使用人と談笑する彼を見て、ふとあれは強請りのための詭弁だったのではないかと思い至る(この浅はかさこそモーリスがモーリスたる所以で、聡明なクライヴとの大きな違いである)。ここでは「教養の無い粗野なやつに淫らな心が宿る」というイメージが何回か繰り返されているが、イギリスの歴史が証明するように、それは全くの正反対である。ともかく、モーリスは急いでペンダースリーを離れ、クライヴとの一夜を必死で忘れようとする。勿論、忘れようと思えば余計、というのが世の常であるのだが。


ところがこの話はこれで終わらなかった。モーリスの嫌な予感が「的中」し、スカダーはモーリスに迫るためわざわざシティまで出てくる。スカダーが田舎者であるというモチーフは、よそ行きの服を着ながらも、ロンドン行きの汽車に乗ろうとして、改札の通り方すら知らないというところで更に繰り返されている。それでも、そんなスカダーですら日本で見たら「ちゃんとした」一張羅を持っているのは、イギリスらしいと言えばそうである。閑話休題、「脅迫」(blackmail!)しに来たスカダーを穏便に返すはずが、モーリスは地位の差を盾に恫喝するような羽目に陥る。スカダーの田舎者モチーフ、クライヴの聡明な臆病さというモチーフに続き、モーリスの浅はかさというモチーフも、何度も繰り返されている。

 

モーリスに待ち受けるのは、陰鬱な未来ではない

※この節には映画『アナザー・カントリー』のネタバレがあります※

 

それでも、モーリスに待ち受ける展開というのは、陰鬱な未来ではない。同時期の『アナザー・カントリー』と決定的に違うのは、この後の展開である。後者では同性愛に走ったベネット、そしてマルクス主義者だったジャッドの両方に破滅が待ち受けている。一方の『モーリス』は、というと、大英博物館にスカダーを連れていった彼は、初等学校(恐らく、プレップスクール)時代の恩師と出会う。物語の冒頭、パブリック・スクール進学を控えたモーリスに対し、恩師は忌むべき同性愛を避け、異性との愛を育むよう教え、10年後に妻を連れてうちに来るよう述べていた。10年後の彼はモーリスの名前すら覚えていなかったが、これはモーリスにとって「妻」を連れてきたことに変わりなく、このままスカダーと共に生きる未来を予感させるのである。
そのモチーフ通り、スカダーはアルゼンチンへの家族移住を撤回し、ペンダースリーのボートハウスを勝手に使うようになる。見送りに来て引き止めようとしたモーリスは、スカダーが姿を現さないことで事実を察し、ペンダースリーへと急ぐ。そして夕飯時のクライヴをこっそり呼び止め、軽率にもスカダーとの関係を明かしてスカダーとの逢瀬に走って行くのだった。この時のヒュー・グラントの表情たるや。自分があそこで勇気を出していれば。モーリスともっと話し合っていれば。あの固い友情が続いていたのではないか。様々な思いを巡らしているであろうことを、一瞬の憂いで表現する。「イギリスの高田純次」と言われるくらいの適当おっさんになってしまっても、「ラブコメの帝王」にはそう言われるだけの技術があるのだ(ところで、"A Very English Scandal"の放送後、ルパート・グレイヴスが「ヒュー・グラントは『モーリス』の頃から過小評価されてきた。彼は凄い名優なんだ」とツイートしていたが、まさにその通りというのが、この一瞬に込められている)。

 

追記:"A Very English Scandal"はBBC Oneで2018年5月に放送されたミニシリーズ。ヒュー・グラントが実在する政治家ジェレミー・ソープを演じ、ベン・ウィショーがソープの元愛人で彼を脅迫するノーマン・スコットを演じた。グラントにとっては久々の英国テレビドラマ界復帰であり、グラントとウィショーの名演も話題となった一作である。その放送時にグレイヴスがツイートしたのが以下の文章。

「『ヒュー・グラントは意外な新発見だ』なんて書いてある"A Very English Scandal"のレビューを読むのには飽き飽きだ—彼はずっと、俳優としてひどく過小評価され続けている。『モーリス』の時から素晴らしいだろう? 勿論ラッセル・T・デイヴィスの脚本も魅力的だ」

 ところで、この作品はゴールデン・グローブ賞にもノミネートされた名作なのであるが、邦題は『英国スキャンダル〜セックスと陰謀のソープ事件』という何ともださいものでいやはや、という感じだ。☞WOWOWオンライン

 

この先をもっと考えさせるような余韻を残す終わり方

ところでこの話は、本当にハッピーエンドなんだろうか。アイヴォリーの脚本は(というか原作がここまでなのかもしれないが)*3、モーリスがスカダーの待つボートハウスに入っていくところで終わっている。それでも、ふたりの関係がこのまま続くかどうかは分からない。「待っていたのに踏みにじられた」と感じたスカダーは、大英博物館でぽろっと「訴えてやる」と漏らす(その後身分の違いを盾に粉砕されるが)。モーリスはどう見ても軽率なので、どこかでスカダーとの関係を漏らし、同性愛の罪で投獄されるかもしれない。
何より重要なのが、迫り来る第一次世界大戦の影だ。劇中、(確かモーリスの母だったと思うが)、「クライヴは戦争さえなければ議員になる未来が開けるでしょう」と言う。モーリスの妹エイダだって、迫り来る戦争を見据えて応急処置の勉強をしている。後半、ペンダースリーが物語の中心になってから、クライヴはずっと選挙の準備をしているが、時代は1912年に設定されているので第一次世界大戦の開戦はもうすぐそこだ。
クライヴは本当に議員になれるのか? スカダーは徴兵されないのか? 何より、モーリスはこの関係をうっかり漏らしたりしてしまわないのか? そういう疑問への答えはどこにもなくて、だからこそ悲劇的な未来も、理想の未来も、どちらも想像させる。

 

※追記:実は第一次世界大戦の影を感じさせるこの脚本は、アイヴォリーによる脚色部分で、原作には存在しない。しかしながら、このシーンがあることによってもっと登場人物に深みが出るし、何より物語の厚みが増す。ここがアイヴォリーの本領発揮という気すらする。

CMBYNやアナカンと比べてみて

※この節には映画『アナザー・カントリー』のネタバレがあります※

 

CMBYNは、美しい映画だった。単なる風景を美しく撮るだけでなく、生活音すら美しく録ってしまうような作品で、素晴らしかった。それでも、何となく長回しのせいか間延びしているところがあって、130分余りの尺が長く感じられた。勿論、スタールバーグだって、アミラ・カサールだって、主演のシャラメ・アミハマだって素晴らしくて、それはそうなのだが、何となく、長かった。同じアイヴォリーの脚本なのに、何の違いなんだろう。何となく、『モーリス』の方が好きである。
『アナザー・カントリー』とこれと、どちらが好きかと言われたら、迷わず『モーリス』と言う気がする。アナカンは最後まで陰鬱だった。モーリスには最後に希望があった。単にその差という訳ではない気がするが、何となく、好みというものがある。モーリスも、ベネットも、自分勝手な人物だ。クライヴは高潔でいる余り愛を失ってしまうのだが、ジャッドはベネットのために軽率にも信念を曲げたところで裏切られてしまう。『ブリジット・ジョーンズ』でも、『ラブ・アクチュアリー』でもコリン・ファースに軍配が上がったのに、この作品たちだけは、逆だ。


イギリスの同性愛には、暗い歴史がある。ずっと罪とされてきたが、パブリック・スクールを始めとした上流階級のコミュニティの中では存在し続けていた。そういった人々には名誉があり、彼らはそれをもかなぐり捨てる危険を冒してまで、秘められた同性愛生活を送っていた。先日"A Very English Scandal"でグラントが演じていたジェレミー・ソープだってそうだ。そんな人は上流階級にいくらでもいた。逆に、相手がストレートだったりして、同性愛を暴露されかねないという恐怖から、自分の思いを心の中に閉じ込めた人だって沢山いただろう。英国俳優の登竜門が「ゲイと女装と全裸」なのは、それがイギリス文化と切っても切れない存在だからだ。
今でこそシヴィル・パートナーシップも結婚制度もあるイギリスだが、それまでの時代の人々は、自分の中の心の葛藤を必死に隠して生きてきた。そんな暗い過去の贖罪であるかのように、イギリスはこういった映画の製作に割と熱心だ。そこはハリウッドとちょっとした違いである*4
人生で、この人なら、と思って愛し合える人に出会うことはなかなか無い。片想いで終わることも、燃え上がったのに燃え尽きてしまうことだってある。命をかけて愛したいと思った人が同性だっただけで、こんなにも叩かれる時代だってあった。でも、そこに何の問題があったのだろう? 逆に制約が多かったからこそ、これだけ美しい愛の物語になったのか? その辺は全くわからないが、とにかく、この映画は、妖艶で、美しかった。

 

----------------------------------------------------------------観劇レポートおわり

クライヴの性指向について

因みに映画のクライヴは原作のクライヴよりずっとずっと聡明な人物として描かれていて、「クライヴの聡明さ、モーリスの愚鈍さ」というモチーフが原作以上に分かりやすい。

観てみたい人はこちら

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 ——勿論観るだけならDVD単体でいいのだが、折角ならば欲しいのはグラントやウィルビーのインタビューであって、そう考えると特典の入ったこっちということになる

関連:ヒュー・グラント / ジェイムズ・ウィルビー / ルパート・グレイヴス / ジェイムズ・アイヴォリー / E・M・フォースター

*1:バリスタと言ってもネスカフェのあれではなくて、コーヒーを入れてくれる人でもなくて、イギリスで言う「法廷弁護士」のこと。イギリスでは事務弁護士と仕事が大きく分かれていて、事務弁護士の方は「ソリシター」という別の名前で呼ばれるほどだ。

 だからこれじゃありません

*2:ここでアンクレジット登場しているのが当時のヘレナ・ボナム=カーターである。何とも若いが既にヘレナ様が確立している。

*3:先程原作をチェックしたところ、原作はモーリスがクライヴへスカダーとの関係を明かしに来るところで終わっていた

*4:実はアイヴォリー、CMBYNにエリオ・オリヴァーの全裸シーンを入れられず悔やんでいたようなのだが、「女性のヌードには何も言わない癖に」「これがアメリカ的態度だ」と随分辛辣な発言をしている。これに対しグァダニーノ(監督)は「市場で成功する基準を満たさないと思って」と返しているが、この辺の温度差は意外と明確である。(でもアイヴォリーはゲイってだけで完全なアメリカ人なんだけどな〜〜〜〜〜!)

www.indiewire.com - 出典はここ

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