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今、三谷幸喜が最も観たいキャスティングの『笑の大学』(仙台公演レビュー)

PARCO劇場50周年記念笑の大学仙台公演 (2023年4月6日〜9日、電力ホール) を観劇してきた。堅物な検閲官・向坂役に内野聖陽、向坂に無理難題を吹っかけられる座付き作家・椿役に瀬戸康史を迎え、1998年以来の国内舞台再演となった。オリジナルキャストに加え、映画版もよく知られる作品を、今改めて舞台で観る。

 

あらすじ

戦時色の濃い1935年、浅草の舞台作品は当局の検閲を経ないと上演できない状況にあった。劇団・笑の大学の座付き作家・椿一(演:瀬戸康史)が持ってきた喜劇は、堅物の新任検閲官・向坂(演:内野聖陽)に次々と無理難題を吹っかけられてねじ曲がっていく。しかしながら、諦めない椿の改稿と、向坂の気付かぬセンスの中で、戯曲はどんどんと"面白い"方向へ向かうのだった……

 

 

初演から実に30年、三谷が紡ぎ続ける作品

役所広司稲垣吾郎による映画版('04)が有名ではあるが、元々この作品は1996年/1998年に上演された舞台作品で、三谷の作品群では比較的前期のものに当たる*1。公式パンフレットによれば、原案は近藤芳正(舞台初演時の椿役)による「西村雅彦とふたり芝居を書いてくれ」という要望によるもので、三谷が前後して戦前の浅草舞台関連作品を追っていたことから、この設定になった。1994年にはパイロット版的にラジオドラマが制作され(三宅裕司/五代目坂東八十助(当時)出演)、1996年と1998年の2回PARCO劇場で上演されている。

 

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当て書き脚本家として有名な三谷であるが*2、舞台版、映画版、そして今回の再演版のキャスティングを見ると、その時々で三谷が観たい人選なのだなと思わされる。舞台初演版はそもそもの要望であったので近藤芳正と西村雅彦。近藤は非劇団員ながら東京サンシャインボーイズの作品に数多く客演し、サンシャインボーイズの活動後期には「俺はれっきとした劇団員だ」と公言して三谷幸喜に「呼ばないのに来る」と言われていたほどの人物である(勿論、ちゃんと呼んでいる、この辺の話は「気まずい二人」参照)*3。一方、向坂を演じた西村雅彦は、三谷にとってはある意味「劇中でぞんざいに扱ってもよい存在」であるサンシャインボーイズ時代からの盟友である。『王様のレストラン』の少し間抜けなディレクトール、一躍有名になったきっかけでもある『古畑任三郎』の今泉巡査、『真田丸』の「黙れ小童!」しかり、ここぞという時に三谷にやたら振り回される役どころだ。

 

そして三谷の中期円熟期である2004年の映画版は、役所広司稲垣吾郎を迎えた作品であった。役所の芸名が区役所勤めであったことを思うと、向坂には本当にうってつけの役だと思わされる。劇の中盤、椿に唆された向坂は脚本の本読みに熱中してしまうが、本職の警官として名演技を見せる向坂の様子は、劇中劇(の劇中劇)として実に素晴らしい。ほぼ同年齢のふたりが演じた舞台版と比べて、堅物な検閲官と若い座付き作家という印象に変わったのもよかった。映画化された三谷作品の初期〜中期にあって、ファンの多い作品でもある。

 

三谷は元から不条理作品が好きな作家だ。主人公が無理難題で振り回されるという構図は、監督第1作の『ラヂオの時間』、第2作『みんなのいえ』で繰り返された構図でもある。『笑の大学』もその流れにはあるが、主人公を振り回しているつもりの向坂が実は逆に振り回されている、というのも演出の妙と言えよう。

 

2本の大河ドラマを経て、今

監督作品『THE有頂天ホテル』や『ギャラクシー街道』が『新選組!』を経た後の作品であるように、今回の舞台化も、2本の大河ドラマを経た後の作品である。

30年の時を経てこの作品を舞台化するにあたり、三谷は最初に「大河ドラマ真田丸』で、僕が思う完璧な徳川家康を演じてくださった内野聖陽さんで「向坂が見たい」と思ったことから」この企画を始めたという(公式パンフレット)。真田の戦略、ひいては豊臣の動きに翻弄されながらも、最後は天下人として徳川幕府を打ち立てた家康役。食えない男でありながら、真田の奇策にしてやられては臍を噛む姿を演じ、新たな家康像を打ち立てたと言えよう。内野版家康の姿は、どこか今作の向坂に重なるものがあるように思える。

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相手役の椿には、『鎌倉殿の13人』での好演が記憶に新しい瀬戸康史。登場人物が次々暗躍する鎌倉殿において、どんな働きをしても満点の愛嬌で乗り切ったトキューサ(北条時房)役である。今作においても、向坂に無理難題を吹っかけられる中で、持ち前の愛嬌と明るさで乗り切っていく様が、トキューサの演技と重なるようなものがあった。三谷の当て書きも大分筆が乗ったことと思う(※三谷は遅筆で有名だ)。

同じ俳優を繰り返し使いたがる三谷にとって、瀬戸は『23階の笑い』『日本の歴史』(再演版)で既に2回の舞台を共にした人物だった。三谷にとって今最も信頼が厚い若手俳優のひとりと言えよう。だからこそ今作は、今、三谷幸喜が最も観たいキャスティングの『笑の大学』だ。

 

 

ほぼ同い年のふたりが演じた舞台初演、ほぼ20歳差のふたりが演じた映画版と俳優が変わっていく中で、当て書き作家の三谷は当然ながら沢山の書き換えを施してきた。同じ台詞、同じ流れであっても、演じる役者が異なればその意味合いも異なってくる。映画版と同じく20歳差のふたりを据えた今回の再演版で、三谷は内野と瀬戸の姿に父子のようなものを感じたのだという。公式パンフレットによれば、それもあって三谷はラストシーンを今回書き替えている。

映画版のラスト、出征が決まった椿を向坂が引き留めるのは同じだが、映像では椿はもう2度と帰ってこないのだな、と予感させるだけの終わり方になっている。一方今回の舞台版では、椿が検閲室を立ち去った後、脚本を握り締めて読んでいた向坂が顔を上げると、向坂が元々座っていた椅子に手を掛けて、椿が立っている、という終わり方になっている。

椿のモデルとなった劇作家・菊谷栄は、実際に第二次世界大戦へ出征し、戦地で命を落とした人物だ。だからこそ映画版の終わり方も、事実を知っている我々には分かる、そんな終わり方である。再演版でもその事実は変わらないが、向坂が椿の帰還を心から願っていたというのがより明確にされた。

 

三谷の前妻・小林聡美には大分酷な話だが*4、三谷は明らかに再婚して子を儲けてから考えが変わった。今までの上演/映画では、堅物と喜劇作家の間に生まれた奇妙な友情、というのがメインであったのに、父子のイメージを重ねてきたのである。幼い頃に父を亡くした三谷にとって、今まで全く分からなかった父という存在を、やっと劇作に落とし込むようになった。2016年の『真田丸』、2022年の『鎌倉殿の13人』にもその影響は見て取れる*5

 

結局は舞台に戻ってくる三谷

地方民として初めて三谷の舞台作品に足を運んで*6、三谷は映画やドラマなどどんなに仕事をしても、結局舞台に戻ってくるのだな、と思わされた。

大学在学中に劇団・東京サンシャインボーイズを立ち上げ、評価のきっかけは劇団で重ねた自主公演であった。初期の映画作品も、サンシャインボーイズの舞台の映像化が多い。『振り返れば奴がいる』をきっかけにテレビドラマでも評価されるようになり、既に大河ドラマを3本も書いた売れっ子作家でもある。しかしながら、その原点である舞台作品には定期的に戻ってくる(実際大河ドラマ放送と並行して『ショウ・マスト・ゴー・オン』をやっていたわけだし)。

 

その中で、いわゆる三谷組と呼ばれる常連を沢山使いながらも、新たな役者の発掘に勤しんでいるのも三谷らしい。映像作品と並行して、そういった役者に舞台の経験を積ませるのも、三谷が舞台人である所以なのかと思う(今回の瀬戸康史しかり)。

 

おしまい

PARCO劇場50周年記念作品として上演された今作。東京での1ヶ月公演は終了し、現在は巡回として兵庫公演、沖縄公演を残すばかりになっている。役所広司稲垣吾郎による映画版に加えて、PARCOから近藤芳正・西村雅彦版もDVD化されて販売されている。今回の上演も、どこかでディスク化してほしいと思う(記念作品なのできっと用意されているだろう)。

 

関連項目:笑の大学 / 内野聖陽 / 瀬戸康史 / 三谷幸喜 / PARCO劇場

*1:東京サンシャインボーイズで舞台作品を中心に活動していたのが初期、映画作品に手を伸ばし始めたのが中期、近年が後期(現状)という印象で書いている

*2:帰り道の会話にも出たが、『鎌倉殿の13人』における梶原善(善児)は、三谷作品群の流れを考えると白眉とも言える当て書きである。今まで便利屋として使ってきた梶原に、究極の便利屋役を当てたのが善児だからだ☞

*3:どうでもいいが近藤芳正は眼鏡を掛けるとちょっと菊池寛みたいなところがあるので、見た目としても劇作家としてとてもよい

*4:小林が子を望んでいたにもかかわらず、三谷の意向で子を儲けずにいた、というのは有名な話だ

*5:どちらの作品でも、主人公と父・息子の関係が重要な鍵となっている

*6:東京に行けばよいだけなのだが、時間に加えてコロナ禍もあって機会がなかなかになかった、そのため今回の仙台公演は(よく仙台飛ばしをされる仙台民であることもあり)大変嬉しかった

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