よくも悪くも比較される2つの大河ドラマ - 『鎌倉殿の13人』vs.『どうする家康』
本日12月17日は本年度の大河ドラマ『どうする家康』の最終回放送日。最後まで言うまいとは思っていたが、正直なところ、よくも悪くも昨年の作品とは比較されるよなあと思って見ていた。今年の分は15話くらいで脱落してしまい、後半はやっていれば観るくらいのテンションでつまみ食いしかしていないが、自分なりにもやもや1年考えていたことを出力しておく。
主演のふたり
主演のふたりが比べられるのはしょうがない。小栗旬は1982年生まれの今年41歳。松本潤は1983年生まれの今年40歳*1。ふたりはほぼ同い年の盟友で、作品以外にも何かと共演の多い人物である。その源流を辿れば、いやはや最早どちらも20年近く前になるわけだが、2002年のドラマ『ごくせん』第1シーズン、2005年から放送された井上真央版『花より男子』、というのは異論がなかろう。特に後者では、松本は主人公とバチバチにバトルしつつも惹かれ合っていく道明寺司、小栗旬は主人公憧れの花沢類をそれぞれ演じ、原作通りにファン人気を二分したのであった。
このドラマ化に旧ジャニーズの息が掛かっていたのは間違い無く(何なら続編漫画の映像化でも主演はジャニーズであるし)、その後も松本はジャニーズプロデュースの作品で主演を務め、アイドル的人気に拍車が掛かる。2010年くらいから活動休止までの10年間、ジャニーズの中で最も稼ぎ頭だったグループの一員として、定期的に主演ドラマをこなしていた。中でも『99.9-刑事専門弁護士-』は2シーズン+映画化までされた作品である。
一方の小栗も『花ざかりの君たちへ』などややアイドル的な作品に出演していたが、その影で『クローズZERO』など武闘派な作品、『銀魂』をはじめとしたコメディタッチな作品、更に蜷川カンパニー作品など舞台作品にも手を伸ばして*2、演技としての幅をどんどん広げていった。また、元々子役出身であったこともあり、主演作品『鎌倉殿の13人』に至るまで、のべ7作の大河ドラマに出演していたという経歴も持つ*3。というわけで、ふたりとも四十を迎え、それぞれのキャリアを経て満を持して引き受けたのが、大河ドラマの主演であったわけだ。
正直なところ、花男を観ていた当時は道明寺の、いやもとい松本のファンであって、その後数年間彼の作品を追い続けていたのは事実である。しかしながら、昨年、今年、とふたつの大河ドラマを観て、ひいき目どころでなく、ふたりの俳優としての格が最早全く異なっている、と言わざるを得ない。小栗は先述の通りコメディタッチな作品もこなせる人物であるが、同時に蜷川カンパニーで吉田鋼太郎らの背中を見つつシェイクスピア作品にも取り組んできた人物である。そのせいか、彼が演じた義時には、どこか舞台的な凄みが隠れていたものだった。一方の今年は、いや演出の影響も大きいのだとは思うが、どこか松本の軽さ、というものが目に付いたように思う。軽やかさ、ではなく、俳優としての軽さ、である。
確かに片方はアメリカ進出も目論んでいた俳優、もう片方はアイドル的人気で世間を賑わしていた、全く違うキャリアの人物である。とはいえ、約20年前に同じ作品から旅立った後、ふたりはこうも違うものを身に着けていたのだなあと、残酷にも突きつけられたのが、この大河ドラマ主演リレーであったと思わざるを得ない。
最終回ゲストはよいが
その上で、今回の最終回ゲストであるが、まあなんというか、去年よかった大河の人気を何とか引っ張ってきたいという姑息な心を感じざるを得ない。いや確かに小栗と松本は盟友なのだが、去年の最終回松潤家康サプライズ登場とはまた違って、そうじゃなかろうよ、という気持ちが残る。
脚本のふたり
作品においては主演俳優だけでなく、その演出や脚本も評価の大部分を占めるところである。昨年の『鎌倉殿の13人』は三谷幸喜、今年の『どうする家康』は古沢良太がその脚本を担当した。いずれもヒットメーカーとして多数の人気作を作ってきた後、尚且つお気に入り俳優を何度でも使いたいふたりという共通点があるが、歴史物においては格が全く違った。
コメディの才は共通だが、そもそもの背景が違う
そもそもの前提条件として、三谷は元々劇団の座付き作家出身の人物である。日大芸術学部在学中に東京サンシャインボーイズを立ち上げ(初期の映画作品は何なら舞台作品の映像化が多かった)、劇団人気を引っ提げて映像の世界に進出、今までヒット作を連発してきた人物である。だからこそ、三谷の作品には常に舞台的要素があると感じる(後述)。
一方の古沢は脚本賞出身で主に映像の世界で活動してきた人物であり、クセの強い主人公を中心にぐるぐると回していくのが得意な印象がある。その代表作と言えば堺雅人主演の『リーガルハイ』であるとか、長澤まさみ主演の『コンフィデンスマン』であって、いずれもふたりの新たな一面を見せる一作になった。
確かにどちらもコメディの才が光る人物であるが、背景が違う分、ふたりの作風は少し異なっている。三谷は同じ役者を様々な作品にちょい役で出すのが大好きだが*4、その源流としては、「舞台の端で同じやつが違う役でちょろちょろしてたらおもろいよな」という悪戯心を感じさせられる。視界の端でどうでもいいやつがちょろちょろと強烈なキャラクターで駆け回っているのが好きなのだ。
一方の古沢は、『リーガルハイ』の古美門に代表されるように、強烈なキャラクターを前にどーんと押し出すのが好きな脚本家である。色々探していたら元々古沢は漫画家志望であったというのを読んだが、然もありなんという印象である。漫画的には、強烈なやつがひとりでページを占めているのが大変効果的な演出だからだ。テレビという、カメラで切り取られた映像の世界にも、よく似合うのだろうと思う。
ところではやみねかおるの『夢水清志郎』シリーズだったかで「三人称で書けるのは3人が限界」とかいう言説があったと思うが、今作で思わされたのは、舞台出身者と映像出身者で、書き込める人数の差が如実に出ていた、というそれである。
昨年の『鎌倉殿の13人』は、いやはやタイトル通り13人が揃ったのはわずか2-3回なわけだが、その周りにそれぞれの妻子であったり家来がいて、13人どころではないメインキャラクターが縦横無尽に駆け回る展開であった。鎌倉時代は武家政権がやっとこさ成り立つところであり、結果として武士の規律は江戸時代よりも何倍も脆弱だ。その分多くのキャラクターが出ては消え、という展開であったにもかかわらず、三谷はどんどん退場していくキャラクター達に魅力的な脚本を付けたのであった*5。その源流はと言えば、東京サンシャインボーイズで、劇団員それぞれ、いや何なら客演の人物も含めて*6、ひたすらに当て書きをし続けた、舞台時代の経験なのだろうと思う。劇団員全員を輝かせるには、色んなバランスを取りながら、見せ場を作っては出したり引っ込めたりする能力が必要なのである。
一方の古沢が、メインキャラクターを強烈に置く展開が好きだというのは先述したが、その手法は家来衆の多い戦国時代を描くに当たってはなかなか厳しかった。今回の大河ドラマでしっかり描かれたのは、主演の家康を除けば、冒頭から家康の前に立ち塞がった岡田准一版信長、北川景子が1人2役を演じた市/茶々、その残像を追い求め続けるムロツヨシの秀吉、そして家康が過剰に追いすがっていた築山殿(有村架純)*7といったところであろう。いずれも歴史の教科書でどーんと描かれている人物たちであって、まあ確かに偉人たちなのだが、1年かけて描いていく作品において求められているのはそこではなかろう*8。寧ろ、脇役の、今までフィーチャーされてこなかった人々へ、偉人の影にいた縁の下の力持ちとして、輝く場を与えるのが全50話近くある作品の命題なのではと思う。
なお、一番古沢にとって不運だったのは、三谷が前作の大河ドラマ『真田丸』において、徳川家康をメインキャラクターのひとりに据え、その周りの人々を沢山書き込んでいた、という事実である。比べたくないのだが、(古沢脚本には多分に『真田丸』の影響を受けたであろう要素もあり)、前の影がちらついてしまうのはしょうがないのだろう。
並外れた三谷のオタクぶり
『どうする家康』で放送中から多分に指摘されていたのは、脚本における行き当たりばったりさだ。歴史上の大事件が各所でフィーチャーされるものの、そこに至る道筋やその後の歴史的処理も含めて、急に出て来て急に終わる感が否めなかった。なんと言うか、ゴールだけは決まっているので、取り敢えず映しときました、という感じが常に付きまとっていたのである。
そこは時代考証の腕もあるとは思うが、何より古沢はあまり歴史物に親しんでこなかったのだと思う。高校の日本史レベルの出来事をかいつまんで書いている印象、というより言われたエピソードをぽんぽんと書いている印象が凄かった。
対比で言うと、三谷は孤独な少年時代を過ごしてしまったせいなのか*9、何かにつけてオタク気質が強い。歴史物という点でそのきらいが強いのが、なんのこたない一家が日本の高度成長期の歴史に絡んでしまうという『わが家の歴史』である。松本や大泉洋、佐藤浩市などが出演したこの作品において、彼は時代の荒波に揉まれながら生きていく一家を描くふりをして、日本がのびのびと育っていた時代の様々なエピソードを、わずか3話にこれでもかと詰め込んだのだった。勿論この作品はフジテレビ開局50周年記念のドラマであったため、構想にも調査にも莫大な年月がかけられたのは間違いないが、とはいえそれを全て書き込むのは、三谷のオタク気質ならびに筆致の成せる技である*10。あとは『笑の大学』も、大変マイナーな人物を主人公に魅力的なふたり芝居にしてのけたという点で、オタク気質の成せる技だと思う。
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『鎌倉殿の13人』において話題となった上総広常、畠山重忠、和田義盛などのシーンは、確かに合戦としてはしっかり有名なものの、北条氏がのし上がっていく上で犠牲になった板東の一武者たち、という扱いであったのが事実だと思う(世間の印象は鎌倉幕府と言えば、頼朝を娘婿に据えた北条氏の成り上がりムービーだからだ)。そこに、無頼ながら頼朝と出会って書を学び始める健気な姿、どう見ても人気を二分しそうなほど凜々しく素晴らしい才の持ち主、野暮なおっさんながらどこか憎めない愛らしさなど、様々なキャラクターを付けたことで、最期のシーンが余計劇的なものとなる。
古沢も勿論そういうところには挑戦していたが、三谷の並外れたオタク気質には決して勝てなかったというのが、事実のように思う。
おしまい
というわけで去年と今年の大河ドラマ比較記事。いやはやみんなも楽しいので歴史オタクになってください。高校の日本史の教科書とか資料集読むだけでも楽しいよ。
去年のはこれ。
今年のはこれ。(まだボックスが出ていないのでこちらで)
関連:鎌倉殿の13人 / どうする家康 / 小栗旬 / 松本潤 / 三谷幸喜 / 古沢良太 / 大河ドラマ
*1:そう言えばこの作品は松潤が四十になって大河の主演に相応しい年になった、とか言われていたわけだが、その彼が未だ結婚していないところにジャニーズの闇を感じるわけだ、まあ後述の話もあるわけで
*2:この辺は実父が舞台監督なのも影響しているのだろう
*3:うち、石田三成役は子役時代と成人してからの2回演じており、小栗の再演は当時話題となっていた☞
*4:何度でも梶原善を使いたい三谷幸喜、という話は以前もちらっと出している☞
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*5:その結果人気を博したのが、「みんな武衛だぜ!」でお馴染み佐藤浩市が演じた上総広常(何なら13話くらいで退場なのに最終回までトレンド入り)、NHKが手塩にかけて育てた中川大志演じる畠山重忠(義時と最後に対峙するシーンは名シーン扱い)、文学座が誇る横田栄司を世間に知らしめた和田義盛など。
*6:「呼ばれてないのに来る」(実際には呼んでる)とまで言われた近藤芳正とか
*7:個人的には築山殿のエピソードを過剰にこすったのはかなり微妙であった。家康が泣く泣く妻を斬り殺した、最後まで追いすがっていた、というのはある意味新しい描き方であるが、彼の周りには後妻となった秀吉の妹・朝日姫であるとか、阿茶局をはじめとした側室の才女たちもいたわけで、時代背景を考えてもひとりの女性に執着するような感じではないはずだからだ。家康の◯◯といったものが多数残っている点を鑑みても、家康は多趣味であって色んなものをバランス良くこなしていく人物だったろうと思う
*8:2時間ドラマか単発映画ならばそれもよいと思う
*9:数々のエッセイでもそう公言しているのでその通り孤独だったのだ
*10:まー当の本人は遅筆も遅筆で周囲を散々悩ませているわけだが