ちいさなねずみが映画を語る

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サンディの夢は夜ひらく - 映画『ラストナイト・イン・ソーホー』

もう3週間ほど前になるが*1エドガー・ライト10年間企画を温めていたという新作『ラストナイト・イン・ソーホー』"Last Night in Soho"('21)を観てきた。今まで冴えないギーク寡黙なドライバーを主人公に据えていたライトが、自らも敬愛する60年代カルチャーを背景に、2人の女性が体験する「悪夢」を描いたノワール映画だ。エドガー・ライト作品らしく、その作品には当然のように音楽が散りばめられていて、過去と未来を繋ぐ鍵にもなっている。しかしながら、懐古主義のよう作品で、彼が結末に選んだのは何とも現代的なテーマであった。結末は映画館で観ていただくとして、今回は純粋にレビューのみを送りたい。

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あらすじ

エロイーズ・"エリー"(演:トーマサイン・マッケンジー)は60年代ファッションと音楽を愛する19歳*2イングランド南西部・コーンウォールの実家を離れ、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションで学ぶことになるが、同級生とは何とも馴染めない。そんな折、霊感のある彼女は夢の中で見たサンディ(演:アニャ・テイラー=ジョイ)の姿に心をときめかせる。自らの愛する60年代を謳歌するサンディに感化されていくエリー。ところがエリーの見る夢は次第に惨めになっていき……

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!!! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! !!!
※本記事はネタバレ記事ではありませんが、新鮮な気持ちで映画を観たい方にはお勧めできません※

 

エドガー・ライトなりの「今ツボ」音楽たち

物語の本筋に触れる前に、やはり触れておかねばならないのがこの作品の選曲と映像美であろう。自身もエリーのような田舎のギークだったエドガー・ライト*3、自らの愛する60年代音楽を集めて作ったのが本作のサウンドトラックだ。実際、パンフレットに掲載されたインタビューでも、子どもの時貪るように聞いていたのがこの年代の音楽なのだと話している。ライトと『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で知られるジェームズ・ガンは深い親交を結んでいるが、このふたりが同じような映画を撮るというのもなかなか面白い*4

 

物語に登場するエリーは60年代ファッションと音楽をこよなく愛するギークガールだが、ライトもまた音楽と映画を愛するギークボーイだった。意気揚々とロンドンにやってきたエリーが感じる疎外感は、きっとそのままライトが感じていたそれである。そして、ファッションに対するエリーの飽くなき探究心を描くように見せかけて、彼が様々な映画からの引用を持ってきていることが指摘されている*5。かつてのソーホーの闇を描くだけの作品ではなく、枠組みとしては今までのエドガー・ライト作品と何ら変わらないのだ。

 

その中で最も顕著なのが、そこかしこに出る『007』シリーズへのオマージュだ。物語序盤でサンディが意気揚々と入るカフェ・ド・パリの上には、でかでかと『サンダーボール作戦』の特大ポスターが飾られている。今作が惜しくも遺作となったダイアナ・リグ(コリンズ役)だが、彼女は名作『女王陛下の007』のボンドガールである。押しも押されぬ名シリーズでありながら、ボンドガールをはじめとした女性たちの扱いについては、常に議論の的となってきた事実がある。ライトはこれまでも『ホット・ファズ*6などで『007』シリーズへの愛を示していたが、サンディの人生の影にこのシリーズを置くことで、今までとはまた違う意味を持たせたのである。

 

変態ちっくな映像美

エリーにとってのファッションがライトにとっての映画であることは既に述べた通りだが、勿論その撮影に関しても彼はかなり腐心している。一番美しいのは、カフェ・ド・パリで主人公ふたりが代わる代わるジャックと踊るシーンである。このシーンはカット割りではなく、実際にテイラー=ジョイとマッケンジーがカメラの画角に出たり入ったりを繰り返して撮影されたものだった。他にも、このシーンの直前で主人公ふたりの前に現れるウェイターは、ハリー・ポッターシリーズのウィーズリー双子で知られるフェルプス兄弟がガラスの両側でシンクロ演技をして撮影されたものである。変態的な撮影手法であるが、映画ギークなライトらしいといえばらしい演出だと思う。

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もうひとつ、ハロウィンの夜エリーを悩ませる悪夢たちも、イタリアホラー映画であるとか、『イナゴの日』を思わせるような古いホラーの演出で作られていて、如何にもライトらしい。ライトがジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』を偏愛し、自作『ショーン・オブ・ザ・デッド』のエンドタイトルに曲を使用したことは有名な事実だが*7、今作でも同様のオマージュを展開している(もっともその演出は過去作と違って随分洒脱だが)。

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エリーを悩ませる「悪夢」たち

キュウソネコカミばりに「幽霊なんていませんから」と言えばよいのだが、エリーにとって「悪夢」は現実でもあり、自分の目の前でサンディの人生が凌辱されていく姿に彼女は心を痛めていく。冒頭祖母が警告したように、エリーと同じ能力を持っていた母は、この「悪夢」が元で精神を病み、遂には命を絶っていた*8。エリーも心優しき少女であって、サンディを救おうとするばかりに「悪夢」に飲み込まれそうになってしまう。

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エリーとサンディの物語がどのような終焉を迎えたかは映画館で観ていただくとして、多くの人の心に残るのは、果たしてエリーはサンディを救うことができたのだろうか、という問題だ。物語の最終盤、絡み合ったふたりの人生は、ライトの愛するイタリアホラーのように急展開するが、最も大事な人物の生死は明かされないままに終わる。

 

 

 

!!! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! !!!
※この先には映画『ラストナイト・イン・ソーホー』の結末に関する記載があります※

 

 

ラストシーンの医療行為がよく見ているとちょっと滑稽な話はさておき、エリーがサンディの秘密を知ったことで、物語はあらぬ方向に転がっていくことになる。物語が大どんでん返しとなる中、我々の心には先述のような疑問が浮かぶわけだが、筆者にはどうも『圭子の夢は夜ひらく』が思い出されてならなかった。宇多田ヒカルが鮮烈なデビューを果たした後、交代するように芸能活動を畳んでいった藤。彼女の死もどこかエリーの母に重なるものがあり、そして大ヒットしたこの曲の歌詞は、どうなぞってもサンディの人生に重なるものだ。夜の街にひらく蝶となることを夢見たサンディだったが、その夢は凌辱されて終わっていた。エリーがその事実に気付くのは、物語が回帰不能点を越えた後なのである。燃えさかる炎の中、主人公たちが恐怖に戦く一方で、ミズ・コリンズは静かに全てを受け入れるようにじっと身動きしないのだった。

"十五、十六、十七と 私の人生暗かった 過去はどんなに暗くとも 夢は夜ひらく"

——藤圭子『圭子の夢は夜ひらく』

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炎燃えさかるシーンの後、インサートされるのはロンドン行きに心躍らせる冒頭のよううな明るいシークエンスだ。自分なりのドレスを完成させ、ファッションショーを大成功に導いたエリーは、鏡の中にサンディの姿を見る。サンディ、もといアニャ・テイラー=ジョイが美しく手を振る姿に、我々はどちらの結末を見ることもできるのだ。

ここから先は最早筆者の個人的感想だ。ミズ・コリンズの生死は、テレンス・スタンプ演じる謎の男と同様、意図的にはぐらかされている。しかしながら、エリーがサンディの心を救えたのかどうか、という疑問に関しては、ラストシーンのテイラー=ジョイの美しい挨拶で明確に答えが出ているように思う。ライトは決してバッドエンドが好きな監督ではない。『ベイビー・ドライバー』のラストシーンも、もう少し正しい終わり方があったのではないかと言われていたほどなのだから、無理なバッドエンドはどうもお好きでないようである。そう考えれば、エリーの心優しさが、サンディの心を救ったと考えるのが筋なのだろう。そしてそれは、彼女の母と違い、エリーが「悪夢」を乗り越える力を持っていた証拠なのかもしれないと思わされるのだ*9

 

おしまい

『ラストナイト・イン・ソーホー』は年末の大型作品として現在も映画館ロードショー中。同日公開だったはずの『ウエスト・サイド・ストーリー』は2022年2月にスライドしてしまったので、今年中にこちらの映画が観られてよかったなと思う。本作関係では既にサウンドトラックが発売中。作品を彩る60年代音楽がまた聴ける機会だ。

 

今年は私生活でもそれなりに変化があって、映画館に足を運ぶ機会がめっきり減ってしまった。来年はもう少し余裕を持って色々な映画を観るようにしたいものだと思うばかりである。それではみなさんよいお年を。2021年最後の記事でした。

 

関連:ラストナイト・イン・ソーホー / エドガー・ライト / トーマサイン・マッケンジー / アニャ・テイラー=ジョイ / マット・スミス

*1:また忙しさにかまけて出さずにいた

*2:彼女が愛するファッションは「スウィンギング・シックスティーズ」"Swinging Sixties"と呼ばれている

*3:誰かのレビューで『ベイビー・ドライバー』も本作も基本的には同じ構図なのだとあって確かになと思わされた。エリーも『ベイビー・ドライバー』の主人公であるベイビーも、現代の音楽にはまるで興味がなくてつまらなそうな顔をしている。パンフレットのインタビューを見ればライトも「一世代前の音楽」を聞いてきた人物であって、ふたりと同じような気持ちを抱えながら生きてきたのかもしれない……☞

*4:さすれば『NISSAN あ、安部礼司』の今ツボ選曲のような感じだろうか

*5:何気なくエリーの部屋に飾られている『ティファニーで朝食を』のポスターだが、実はカポーティの原作ではホリーの造型は娼婦であり、サンディの人生を暗示するようである→

*6:いわゆるコルネット3部作第2本目、優秀すぎるが故に田舎の警察署に飛ばされてしまったおペグちゃんと、警察署長に懐柔されてダメダメになっていたニック・フロスト御大たちの奮闘を描いた作品。主要人物のひとりを4代目007となったティモシー・ダルトンが演じている。

*7:何なら『ショーン・オブ・ザ・デッド』"Shawn of the Dead" というタイトル自体、『ゾンビ』の原題である"Dawn of the Dead"のパロディである

*8:話は逸れるがジョカスタみたいな何でも自分が中心じゃないと気に入らないやつはどこにでもいるものだなと思わされた

*9:勿論その影には献身的なジョンの存在や、娘を亡くした故に孫娘を気にかけ続ける祖母の存在があるわけなのだが

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