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ひとりのボヘミアンが「家族」の元へ戻る話 - 映画『ボヘミアン・ラプソディ』レビュー

ネタバレ無しレビュー

クイーンが好きだと言っても、わたしの位置付けはせいぜいにわかというところだと思う。そもそもクイーンの曲から入ったわけでもない。CMや別映画で使われていた曲がいいなあ、と思っていたら、何故だかそういう曲は我が家の超絶偏向プレイリストに入っているのである(各アルバムから数曲ずつつまみ食いして収録されているのが1番の謎なのだが)。"The Show Must Go On"に"Don’t Stop Me Now"、レディー・ガガの名前の由来となった"Radio Ga Ga"、言わずと知れた『伝説のチャンピオン』"We Are The Champions"や"We Will Rock You"……そういう曲を繰り返し聴く内に、何故だかイギリスのバンドだから本腰入れて聴いてみるか、という気になってしまった。そうは言っても出不精なので、わたしのクイーン歴は、プレイリストの超絶偏向曲以上でも以下でもない。そんなにわか状態なので、これから書くことは全部妄言と思っていただいて差し支えない(はずである)。

gqjapan.jp

 

批評は大きく割れているが、指摘する場所が間違っている

この映画の批評は割れに割れていて、ちょっとした炎上状態とも言える。監督はすったもんだで降板したし、フレディ役がラミ・マレックに決まる前にはサシャ・バロン=コーエン*1の名前が挙がっていたし(それはそれで観たかったのだが)、描き方がまずいだの、メイとテイラーが関与していて何なんだ、とか言われ放題なところもある。確かにこの映画には突っ込みどころが多い。それでも、ライヴ・エイドのシーンで、クイーンの曲に心揺り動かされたことは否定できない。やっぱり、この映画は、映画としての評価と、伝記映画としての質、そして肝心なクイーンの音楽に分けて評価されるべきなのだと思う。そして、これをひとつのギグなのだとしたら、終盤のライヴ・エイドの高揚感にまで持って行く流れは、大正解なのだとしか言えないだろう。この映画はフレディのセクシュアリティを中心にしている訳ではない。確かにそれは大きな意味を持つが、ジム・ハットンの存在すらかなりぼかされているし、やはり中心にあるのは、時代を駆け抜けたフレディ・マーキュリーという男の疾走感だろう。そして本編中でも何度か触れられるように、これは「家族」への回帰という話でもある*2。だからこの映画はファミリー映画になって当然だし、娯楽映画として消費され大ヒットするのも当然だし、映画的にあんまり評価されないのも納得なのであって、何も駄作みたいにけちょんけちょんに言われる必要まではないのである(勿論描き方の拙さとかはあちこちあるのだが)。

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映画の目指したところはどこなのか

映画本編は、様々な話をつまみ取りして、割とさらっと描いている印象がある。フレディは生涯の友人となったメアリー・オースティンとあっさり出会うし(本当はメイの紹介で知り合ったのに)、メイとテイラーが加入していたスマイルと「ファルーク」(※フレディの出生名はファルーク・バルサラだ)が出会ったと思えば、次のカットでは1年過ぎてジョン・ディーコンが加入している(笑)*3。クイーンは一気にスターダムにのし上がってメアリーとフレディはすれ違うし、気付いたら『ボヘミアン・ラプソディ』が出来ているし……個人的にはメアリー・オースティンの描き方が酷くあっさりしていると思うし(フェミニストは怒るんじゃないかというくらい)、フレディのセクシュアリティについてもっと深掘りしても良かったのではないかと思う。

それでも、もう1度繰り返すけれど、この映画が目指していたのはフレディの人生の疾走感や、一度停滞したバンド活動がライヴ・エイドで再浮揚するまでの流れを描くことであって、これらは主目的でないはずだ。逆にこれくらいあっさり描いた方が、ラストの演奏シーンが活きるような気もするし……とも思う。因みに映画は5時間分撮影してあり、編集でこうなったというが(何だか『キングズマン2』*4みたいな話だが)、それだけフレディのエピソードがいちいち有名過ぎるということなのかもしれない……とも思う(ところでカットされたシーンには日本公演のシーンもあったらしく、その辺は特典盤に収録していただけないかなあと思うばかり)。
タイトルにもした通り、この作品は、フレディというボヘミアン; 放浪者が「家族」へ回帰する物語である。フレディは、ファルーク・バルサラという本名と、ザンジバル出身のパールシーだったというアイデンティティを捨て、堅実な職業に就いてほしかった家族の期待を裏切った男だ。冒頭なんか、「善き考え、善き言葉、善き行いを心掛けろ」という父の言葉を無視して夜遊びしにいく有様である。しかしながら、ライヴ・エイド*5のために帰国したフレディは、実家で出演を報告する時に、この父の教えを引く。大変効果的な伏線の回収であり、個人的には良い演出だと思った。これに加え、ライヴ・エイドでの復帰シーンには、一度ソロ活動を始めてバンドを「捨てた」男が、クイーンという「家族」の元へ回帰するモチーフも重ねられている*6。この辺りは色々と脚色が多いのだが(ソロ活動を始めた年譜が色々合わないとは指摘されているし、ミュンヘンの別宅で男狂いしているのが身の破滅みたいに描かれているのは少し酷い)、劇中「クイーンは家族」と言い続けていたように、フレディ・マーキュリーという人間は、最期までクイーンの一員として生きていたのだなあと思った。

 

ここから下には思いっきりネタバレがあるので、読みたくない人はここでそっとタブを閉じてほしい。もう公開から1ヶ月経ってるのでどうでもいい気もするが。

 

 

 

!!! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! !!!

 

 

ネタバレ込み考察

 【ネタバレゾーン】演出のお話

いくつかいい演出があったので備忘録がてら。ひとつめは先述した「父の教えに回帰するフレディ」。もうひとつは、『ボヘミアン・ラプソディ』完成後、一気にスターダムを駆け上がるクイーンの姿を、ボイントン演じるメアリーが窓から覗くように見つめる演出である。何だかこのシーンには『ラ・ラ・ランド』に通じるものを感じてしまった。ツアー先に遠距離電話を掛けるというのも何となく『ラ・ラ・ランド』っぽい。あっさり手の届かないところに言ってしまったというのが一目で分かる良演出だった。
この映画は様々な要素をあっさり描いている一方、ワンカットで時を飛ばすのが非常に上手い。ヒースローでの休憩時間に詩を書いていたファルークは、次に同じカットが現れる時には、クイーンの一員・フレディとしてツアーに出るようになっている。スマイルのギグをやっていたと思ったら、数カット挟んだ後にはクイーンが生まれている。個人的には結構好きな演出だった。

曲の使い方

メアリーへの愛を歌った "Love of My Life" に関する演出もいい。最初はフレディがこの曲を書いているところで、勘違いしたプレンターに無理矢理キスされるシーン。勿論このシーンでのフレディはメアリーへの愛を綴っているのに、プレンターは自分へのラブコールだと勘違いする。図らずも自分がバイセクシュアルであることに気付くシーンでもあった。もうひとつは、リオのライヴ映像をフレディとメアリーが観るシーン。フレディは「みんなが君への愛を歌ってくれたんだ」と言うのに、既にふたりの関係はすれ違っていて、決定的な別離へと突き進んでいく。その悲しい対比が綺麗だなあと思った。

www.youtube.com - 何故かこの曲を聴くだけで泣いてしまう自分がいる


もう1曲推しておきたいのが"Who Wants To Live Forever"の使い方である。この曲は、フレディのHIV感染が分かる前後で使用されている。「誰が永遠に生きたいと望むんだ?」というサビの歌詞が、彼の死を予感させるだけでなく、裏腹な生への執着心を表現するようでもある。因みにこの曲はサラ・ブライトマンもカバーしていてそちらも良いので是非聴いてほしい(筆者は感傷的になりたい時によく聴きます)。

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Who Wants to Live Forever?

Who Wants to Live Forever?

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好きじゃない演出もある

一方であまり好みでない演出もいくつかある。1番気になってしまったのは、フレディからバイセクシュアルであると打ち明けられたメアリーが、「あなたはゲイでしょ」と言い切るシーン。何だか決めつけ臭くて好かなかったのだが、実話という噂もであって*7*8、それなら仕方ないかなという気もする。個人的にはそういう台詞を吐かないでほしかったなと思った。というか、演出とか演技次第でもうちょっと変わった気もするのだが、この辺もさらっとしたトーンの弊害だったのだろうか。
もうひとつはやはり、ジム・ハットンの登場が唐突であることである。彼はフレディ最晩年の数年間を共にした人物であるのだが、流石にああいった登場では誰なのか分からないだろうと思う。何よりあの辺ではゲイの人物がみんな口ひげを生やしているので余計分かりにくい。全てをあっさり描くのは正解なのだが、せめて重要人物くらいちゃんと描いてほしいなあと思った。

 

【ネタバレゾーン】時系列の狂い

クイーンのファンや映画評論家からこの映画が叩かれている1番の理由は、この時系列の狂いだろう。先述の通りメンバーのソロ活動開始には年譜上の齟齬がある。また作中、フレディはライヴ・エイドのリハーサル中にHIV感染を告白するが、これも実際の年譜とは異なっている。


それでも、この映画はギグとしては見事だ。


時系列を逆転させて、ここでフレディの死を予感させることにより、彼がクイーンのヴォーカルとして駆け抜けたことがより印象的になる。彼の「死ぬまでクイーンのヴォーカルでいたい」という思いが描きやすくなるのだ。そして、エンドロールの2曲("Don’t Stop Me Now"と"The Show Must Go On")がより効果的になる。
だからわたしは、この流れもありかな、と思っている。「自分が楽しけりゃ歴史を歪めてもいいと思ってんのか?!」と叩かれそうな気もするが、この映画に関してはそういう結論にしたい。

rollingstonejapan.com - リンク先はネタバレ満載

【ネタバレゾーン】字幕のお話

何箇所か個人的に不満なところがあった……


1. 『ボヘミアン・ラプソディ』制作直前、揉めるメンバー

ロジャー・テイラー役のハーディがコーヒーメイカーを投げつけようとして「それは止めろ!」と制止されるのだが、ここ、明らかにマッゼロもリーも"Not the coffee maker!"(コーヒーメイカーは止めとけ!)と言っていて、字数としちゃ入ったやんけ、という感じ。


2. 『ボヘミアン・ラプソディ』がEMIでけなされるところ

歌詞中の"Bismillah!"(アラーの名の下に!)が理解出来ないプロデューサーが「ビミラとか何か……」と愚痴るのだが、歌詞を書いたフレディの方は「ビミラ」とちゃんと発音しているのに、プロデューサーが「ビミラ」と喋る、これ自体が対比になっているのである。何故か両方「ビミラ」になっていたので少し勿体なかった。


3. BBCに初めて出演するシーン

初出演で浮かれていたら口パク演奏しろと言われて、メンバーは激昂する*9。そこでメイが "This is BBC."(=「こちらはBBCです。」)とラジオのアナウンサーばりに喋るのだが(分かりやすくブリッツ・アクセント)、ここの字幕が「これが国営放送かよ」となっていて、ジョークの意味が損なわれていたように思う。流石にBBCが国営放送ってことくらい一般人でも分かるのではないか……?

 

 

 

関連:クイーン / ラミ・マレック / グウィリム・リー / ジョー・マッゼロ / ベン・ハーディ / ルーシー・ボイントン / 音楽映画

*1:ボラット」などの役で知られる英国コメディアンで、キャスティングされるのも分からなくはない

*2:映画.comさんの特集「炎上案件「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒット!完成まで8年間の紆余曲折」なんかを見ると、サシャの降板はファミリー映画にするしないで揉めたことらしい。この辺りの事情は「クイーンのロジャー・テイラー、映画からサシャ・バロン・コーエンが降板した理由を語る | NME Japan 」も参照してほしい。

*3:そう言えばどこかで読んだのだが、ディーコンの加入についてはちゃんと撮影されていたものの、編集段階でカットされたようだ

*4:マシュー・ヴォーン監督によれば元々は3時間40分あったのをあの尺にまで削ったらしい - 『キングスマン』ユニバース誕生へ!スピンオフの可能性あり - シネマトゥデイ

*5:1985年に英米合同で行われた、アフリカの飢餓救済を目的とした慈善ライヴ

*6:実際にソロ活動を最初に始めたのはテイラーだし、フレディはバンドを「捨てた」訳でもなかったので、この辺のずれがあちこちで叩かれる元となっているが、ま、その辺は映画の主目的ではないのでしょうがないのかもしれない

*7:実際の発言はこの記事で読める。やっぱり実話だったようだ。

www.biography.comThe Sunの記事にも同じところが引用されている - How Mary Austin was the woman who none of Freddie Mercury's male lovers could match and remained loyal to him to the end

*8:ところでフレディは結局ゲイだったのかバイだったのかというのは今でも諸説あるが、筆者はやっぱりバイセクシュアルだったのだろうと思っている。メイの証言によれば、フレディの周りにいたのは当初女性ばかりだったというし(MUSIC LIFE-20180517)、途中からそれが「“男性だけが好き”」に変わったとしても、それはゲイに「転化」したことを表さない。勝手な妄想ではあるが、婚約までしたメアリー・オースティンは、フレディにとって最上の女性で、彼はオースティンに勝る女性を最後まで見つけられなかったのではないかと思っている。何せ、フレディが遺産の多くを残した相手は、晩年ずっと傍にいた最愛のパートナー、ジム・ハットンではなく、オースティンの方だったのだから。

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*9:『今日は一日"クイーン"三昧』によると、これは当時のBBCが生演奏を許可しなかっただけで、演奏自体はわざわざ別撮りしていたらしい。何という時間の無駄遣い

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