ちいさなねずみが映画を語る

すきなものを好きなだけ、観たものを観ただけ—

感染症対策に個人の人権はありません

結構ショッキングなタイトルを付けたけれど、意外にこのことを認識していない人が多いように思うので、敢えてセンセーショナルな題名を付ける。

 

武漢で見つかったコロナウイルスによる肺炎の話で世間は持ちきりだ。やっと「COVID-19」という名称がWHOから付けられたが、それでも日本語には落とし込みにくい名前だなあと思う。昔と違ってウイルスには地名を付けないようにしよう、とは言われているが、そうやって悩んだ名前ゆえに仮の名前っぽいし、逆にノロウイルスとかサポウイルスが不憫になってしまう*1

wired.jp

こんな大騒ぎになっているのは、勿論日本で患者が出たから、そのひと言である。SARSもMERSも基本的には対岸の記事だったけれど(細かいことを言うとSARSの時は陽性者が入国していて、接触者調査も入念に行われているが)、今回はクルーズ船での集団感染、武漢からの観光客をキィとした感染連鎖などが起こっていて、とても他人事と言うことはできない。中でもクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の一件は本当に毎日報道されている。早く下ろせと言う人も、下ろさずに船内で隔離せよと言う人もいて、正直どうすればみんなが納得するのか分からないくらいだ。結局日本政府は船内に旅客を留め置くことを選んだわけであるが、それに対して人権侵害だと言う声もある。

toyokeizai.net - 書いているのはナビタスクリニックの久住英二医師

news.tv-asahi.co.jp

気持ちはよく分かる

筆者もソシオパスではないので、気持ちはよく分かる。家に帰ることもままならぬまま、船室やホテルの部屋に押し込められていれば当然辛い。暇つぶしに何かを頼むことも自由にはできないだろうし、鬱屈とした気持ちで過ごすことになるのだろうとは思う。ましてや自分が感染しているかどうか分からない状況では……と考えてしまう。

 

しかしながら、普通に家に帰って、そのままいればいいかといってもそうでもない。帰宅するまでの道をどうしたらよいだろう。仕事や学校は当然休むことになるのだろうが、食事ははてどうしようという問題がある。宅配を使えばいいだろうという声もあるかもしれないが、接触感染で二次感染を起こさないとも限らない。もし同居の家族がいたとすれば、厳重な装備をして一緒に暮らすのか、家庭内で隔離部屋に籠もるのか、どちらかを選ぶことになるのかもしれない。

 

このように、医療には「気持ちは分かるがそうはいかない」ということが往々にして存在する。手術は嫌だが、放置しておけば死ぬ確率の方が高い。苦い薬は嫌だが、治すためにはこれしかない。今回のことも、国内パンデミックを防ぐには少数の人権を踏みにじってでも、という判断である。そのために苦労を強いられている皆さんの心労はいかばかりかと思う。

 

そもそも感染症法は人権を侵害できる法律

今回のCOVID-19は既に指定感染症となっている(官報)。その際の拠り所となっているのがいわゆる感染症法だ。COVID-19は一般の枠組みからは少し外れた「指定感染症」というカテゴリに入っているが、それ以外に致死的な感染症、流行するとまずい感染症などが1類〜5類感染症に分類されていて、平常時でもサーベイランス(=流行状況の監視)されている。

 

このうち、致死性・感染力の高い1類・2類感染症では、患者を強制入院させられるチフス腸管出血性大腸菌; EHEC(O-157など)など、特定職業の人(例えば飲食業など)が感染すると撒き散らすおそれがある感染症も、就業制限をつけられる(3類感染症)。厚労省が出した厚生労働白書には、そういった入院の際も、「患者等の人権を尊重した入院手続の整備」ができるように、とあるが、個人の自由な生活を制限するという上では、平たく「人権侵害」と言ってしまうのが1番分かりやすいと思う。

www.nikkei.com

 

ここで皆さんには義務教育の頃を思い返していただきたい。インフルエンザになった時、はしかに罹った時、おたふくかぜになった時……必ず言われたのが「出席停止」のひと言だったと思う。これは学校保健安全法(旧:学校保健法)に定められている「学校感染症」に対する措置で、クラスや学年、部活といった学校特有のコミュニティでの流行を防ぐために決められている。感染症法はこれの大人版だと考えていただければ分かりやすいと思う。

 

ワクチン政策も根本は同じ

近頃問題になっているのがいわゆる「反ワクチン」の話である。勿論昔からそういう人は一定確率でいたのだろうが、SNSが発達して余計目に見えるようになってきた。村中璃子医師にジョン・マドックス賞が与えられてから2年余りが経つが、日本でのHPV(子宮頸癌ワクチン)の施策は進歩も後退もしていない*2

10万個の子宮:あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか

10万個の子宮:あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか

 

 

ワクチンも、「気持ちは分かるがそうはいかない」もののひとつである。気持ちはよく分かる。本当によく分かる。健康なのに針をぶすりと刺されてワクチンを打たれる。接種前の質問票には起こるかどうか分からない副反応*3の話が書いてある。受けなくていいなら受けたくない。それは筆者とて同じである。ぐちゃぐちゃ書いたけど「痛いのは嫌だよね」、そのひと言だ。

 

しかし予防接種法はそれを許さない。生まれてから1年半の間に怒濤のように現れるワクチン接種スケジュール。集団予防が目的なので、「打ちたくない」という個人の願いは無視され、必ず打つようにと努力義務が発生する。基本的には全員接種するものとして考えられている。日本では打たなかったところで特に罰則などはないが、世界に目を向けると、罰金が科されたり託児サービスが受けられなかったりすることもある。

www.niid.go.jp - 国立感染症研究所ウェブサイトより

実は、打てない人がいることを前提にしている

ここで筆者はわざと「基本的には全員」と書いた。ワクチン施策というのは、必ず打てない人がいることを前提にしている。

 

疫学には「基本再生産数; R0」という考え方がある。簡単に言うと、ある病原体に感染した人が、どれくらいの人数にその病気をうつすか、という数だ。1人の感染者がいて、R0が20人だった場合を考えよう。感染者の周りの20人が全員免疫を持っていたら感染連鎖は理論上ここでストップする。どれくらいの人がワクチンを打てばいいかという理論値は、この値から計算出来る。一般に、ある感染症の流行を防ぐための推奨ワクチン接種率は、「1-1/R0」で算出されるのだ。麻疹の場合はR0が12〜18とされているので、(1-1/15)×100≒93.3[%]の接種率が必要だ。意外にも100%ではない(それでも必要量は結構高いけれど)。

全員が打っていなくても、1人が周りに撒き散らさなければ大流行は起きない、という考え方を、「集団免疫」という。免疫を持っていない人が仮にいたとしても、集団としてある程度免疫を持っていれば大丈夫、という考え方だ。ワクチン政策も基本的にはこの考えに則っている。

 

この世にはワクチンを打てない人が沢山いる。例えば白血病とか、原発性免疫不全症などでまともな免疫がない人は基本的にワクチンを打てない。ワクチンには大きく不活化ワクチンと生ワクチンに分けられるが、生ワクチンは毒性が下がってるとはいえ生きてる病原体なので、感染して困る人には打てない。その代表が妊婦である。昨今流行している風疹は生ワクチンなので、妊娠中にこのワクチンを打つことはできない。しかしながら風疹は胎児に心奇形や難聴、白内障などの重大な合併症を起こす怖い感染症*4。だからこそ予防が必要で、30〜50代の男性を対象としたキャンペーンも展開された*5

comic-days.com - 期間限定とありますが今でも読めます

www.1101.com

「打てない人」と「打たない人」は違う

ワクチン政策で考えられているのは「打ない人」である。決して「打ない人」ではない。痛いから、怖いから、有効だと思えないから、打ちたくない。どの理由も分からなくはないが、感染症対策というものはそれを許さないのである。確かに接種率は100%でなくてよい。しかしながら、"打たずに済む"数%に、「打ちたくない」と言う人々は入っていない。そこに入るべきは、「よんどころない理由があって、接種を受けられない」人々なのである。つまりは、強い言葉で言えば、お前じゃない

 

ここでタイトルに立ち返る。「感染症対策に個人の人権はありません」。あなたの嫌だという気持ちは、そういう風に考えることこそ自由でも、それを振りかざして公の施策に乗らないということは許されない。残念ながらそういうものなのである。

 

どんなに健康に気を遣っていても、感染症とは「罹る時には罹るもの」である。今回の2019-nCoVのように、未知の病原体が現れれば人間たちは為す術を持たない。既に撲滅された感染症であっても、天然痘のワクチンである種痘はとっくに廃止されているので、今バイオテロとしてまかれたら相当数が亡くなると言われている。

newsphere.jp

ワクチン政策がしっかりと軌道に乗り、ワクチン対象疾患をほとんど診なくなった今とあっては、副反応と呼ばれる接種後の有害反応のリスクの方が高く見えてしまう。しかしながらこれは、ワクチンを打ったことによる効果である。パンデミックを防ぐために、副反応という少々のリスクには目をつぶる。個人単位でも、社会単位でも。勿論運悪くそういった副反応が起きてしまった方には「何ということを!」と言われてしまうが、社会がそういう風になっているのである。

 

そう言えば今週のお題はバレンタインデー関係で「大切な人へ」だそうだが、「大切な人に伝えたいこと」でもいいらしいので、お題記事ということにしておく。——今週のお題「大切な人へ」

 

おしまい

前の記事。

mice-cinemanami.hatenablog.com

国立感染症研究所の特集ページ。既に多数の記事が掲載されていて、一般向けから医療関係者向けまで幅広い。日本語なので有り難いところ。

www.niid.go.jp

あとなんかそれっぽい映画貼っとく。

感染列島

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  • 発売日: 2017/06/16
  • メディア: Prime Video
 
アウトブレイク (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

関連:COVID-19 / 2019-nCoV / 新型肺炎 / コロナウイルス / 感染症対策 / 医学

*1:ノロは最初に見つかったアメリカの地名「Norwalk」(ノーウォーク)からだし、サポは札幌で見つかったことが語源

*2:HPVの話は色々言われたけれど、やっぱり筋肉注射でめちゃくちゃ痛いというのが1番の原因な気がする。この時期までに受けるワクチンで、筋肉注射というもの自体がほとんど無いし、他のワクチンの比じゃないくらい痛いもんね

*3:よく「ワクチンの副作用」と言う人がいるけれど、あれは医学的に厳密な話をすると間違っている。ワクチンに使われるべき単語は「副反応」。

*4:妊婦が罹って怖い感染症は、頭文字を取って「TORCH症候群」と呼ばれるが、風疹(rubella)はそのひとつ。いっつも思うけど、TORCHの2文字めが"other"(その他)とかほんとびっくりしません?

*5:先天性風疹症候群の存在は昔から知られていたが、日本のワクチン政策の空白期間があり、その期間に育った男性にはワクチン接種が行われていなかった。この年代でも女性には接種されているはずだが、風疹が少なくなった今では、どこかで風疹ウイルスに曝露してブースト効果がかかるという機会も減っている。当然ながら、曝露しなければワクチンの効果が薄れることもある。妊婦が風疹にかかる場合、当人はワクチン接種世代なので、基本的な感染経路としては同居する夫が持ち込むことが考えやすい。このためワクチン接種空白世代だった30〜50代の男性を対象としたキャンペーンが展開されていたのである

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