ちいさなねずみが映画を語る

すきなものを好きなだけ、観たものを観ただけ—

褒め専ブログになったわけ—今更『ラ・ラ・ランド』"評"を語る—

このブログの最初の記事で、筆者はこんなことを書いている。勿論、その当時評論家に酷評されまくっていた『ボヘミアン・ラプソディ』を念頭に置いた言葉だ。一方で、これは褒め専ブログとしての決意表明でもある。

もし映画評を見て足を運ぶのを躊躇している人がいるのだとしたら、自分の目で確かめてほしい、そう伝えたい。批評家たちとあなたの感性が同じとは限らない。彼らがめためたに叩いたところこそ、あなたの心に響く場所かもしれない。

そしてこれが1番大事なのだが、あなたの心に響く映画こそ、真の意味での名作である。批評家に言わせ放題していてそういう作品に出会い損ねるのは勿体ない。このブログではそんなことを綴っていきたいと思う。

——ほれ見ろ!ゴールデン・グローブノミネートだぞ - 映画『ボヘミアン・ラプソディ』 - ちいさなねずみが映画を語る

 

こういうことを思わされた1番のきっかけは、『ラ・ラ・ランド』公開時に溢れためためたレビューの数々だったろう。勿論人間なので好き嫌いがあっても構わないし、そうあるべきだと思うのだが、ちょっと日本の状況は異様だったような記憶がある。これから話すのは、そんなとんちき評やトンデモ評論である。

 

前の記事はこちら。

mice-cinemanami.hatenablog.com

 

 

 

そもそも何故こうなったのか?

映画には当然合う/合わないが必ずあるので、この映画を好きにならなくても、正直どうでもいい。この人には合わなかったんだろうなあ、わたしは好きだけども、くらいの印象で読み流してしまうと思う。勿論酷評されるべき映画だってこの世にはいくらでもある。それでも、この映画の置かれた状況だけは、何だか異常な気がした。

何というか、心が抉られる酷評記事が異様に多い。文章のエネルギーが全然違う。

「お前まじ気に入らないから刺し殺すぞ!!!!!」みたいな勢いで、通り魔的に読み手の心を傷付けていなくなるような、そんな記事が溢れていた。

 

このことについて、自分の中でやっと消化できたのはその年の年末だったようだ。思うがままにメモしてあった文章に、こんなことを書いている。

  • ラ・ラ・ランドの批評ってなぜか『べた褒めvsこきおろし』の二極化してるけど不意に後者を読んでしまうと『俺は合わなかったんだよおおおおおおおべた褒めしてんじゃねえええええ』って殺意丸出しだからかなりえぐられる、でもそういうのってちゃんと『大人げないよね』って誰かが書いててほんといい」
  • 「そしてこういう話に関しては『ヒットしてるみたいだけど俺は合わなかったよ、ごめんね』って言えばいいのになあって1年くらい思ってる」

まあ、要するに何が言いたいかというと、こういうことだ。

  1. 「『ラ・ラ・ランド』が嫌いな自分」に酔ってる奴が*1、自分の価値観をぐいぐい押しつけてくるからえぐい
  2. そういう評論は、有名人が書けばちゃんと一般のブロガーが「ほんと大人げない」って突っ込んでくれてる

今回取り上げる2つの『ラ・ラ・ランド』評も、大概大人げないので読まなくていいレベルなのだが、この先は自己責任で……

 

こじつけレビューにも程があるぜ - 岸博幸

はい、彼である。あまりに的外れすぎる評論をダイヤモンド・オンラインに載せて、軽ーく炎上した彼である*2

b.hatena.ne.jp

筆者の感想はこれ。閲覧料払われるの癪なので是非アーカイブで読んでほしい(?)。

 

この記事の中で、岸氏は『ラ・ラ・ランド』と同時に『君の名は。』にも喧嘩を売っている。新海誠RADWIMPSのどっちに腹が立ったのか分からないが(笑)、多分単純に「売れたから好かん」のだろうし、黒澤明が同じ時代に生きていても叩きそうな勢いだ。

 

岸氏は2作共通の問題として、スマホ中毒と著作権遵守意識の欠如という訳分からない話を取り上げている。論理の破綻はさておき、原作を観た/読んだ人にしか分からないオマージュというのは、古今東西ずーっと存在してきた話だ。

例えばBBCの『SHERLOCK』なんかは、明らかに「原作搾取」と言われてもいいレベルのマッシュアップシャーロック・ホームズを現代に甦らせているが(勿論大好きなので褒めてる)、脚本家陣が自他共に認めるギーク(geek)というのもあり、これに昔からのホームジアン文化が相まって大ヒットした作品のひとつだ。また、「このドラマ面白そう!」くらいの軽い気持ちで観始めたファンの中には、ドラマを機に原作を読み始めた人もいるらしく、実際英国では原作の売り上げが伸びたとか

他にも古い例を取れば、シェイクスピアの作品には先行する類似作品があったりする*3。ちょっと話はずれるかもしれないが、芥川の『地獄変』『藪の中』を、彼は原典の搾取だと言うのだろうか。シェイクスピア・芥川まで遡ってしまうと、「著作権」という概念が定まっていない気もするが、現代だって同様の例はしっかり存在する。『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズは明らかに『高慢と偏見』の本歌取りだし、調べて出て来たところでは『シュレック』もそうらしい。更に言えばこの年『ラ・ラ・ランド』を押さえて作品賞に輝いた『ムーンライト』だって監督が……*4ってきりがないのでここらでおしまい。

 ——気になる方はちょいっとサントラのリストを調べてみてほしい。ここでユアン・マクレガーが歌う"Your Song"はエルトン・ジョンの曲だ

 

そもそもオマージュというのは、最初観た時に気付かずとも、後から別の世界を広げてくれるもの。悪ではなくてむしろ良いものだと思うし、何も最近急増したというわけでもない(「映画 オマージュ」でぐぐればいくらでも引っかかるはずだ)。勿論ぱくりだの搾取だのは完全な悪だが、そういったものとオマージュは明確に違うものだ。

 ——こないだ見たこのツイート、面白いなあと思って……

 

チャゼルもミュージカルが好きなことは認めているし(VarietyIndieWire; 但し昔は大嫌いだったようだ)、あれは単純にチャゼルの懐古趣味だろう(VarietyのインタビューではMGMへのオマージュだと明かしている)。それを無理矢理よく分からない社会問題に絡めようとするからおかしいのだ。

 

炎上記事にまともなものを求めてもしょうがないのだが、彼は何がしたかったのだろう。流行ってるみたいだから適当に叩きたかったんだろうか。それともハーバード卒の若造が夢叶えてミュージカル映画撮ったのが気に入らなかったんだろうか。こいつならマウンティングできるぜって思ったんだろうか。真相は本人しか分からないが、何だか

ラ・ラ・ランド』面白くないって言ってる俺かっけえ

みたいな厨二病臭い何かが見えてしょうがないなあと思う。それでいて論理が完全に破綻しているので、ちゃんちゃらおかしくて草も生えない

 

今更だが怒りに任せてこんなモーメントを作っていたことを思い出した。

twitter.com

 

で、結局『ラ・ラ・ランド』のオマージュってどこなん?

折角なので、分かりやすくオマージュをまとめてるサイトをいくつか。

www.youtube.com

今更『ラ・ラ・ランド』"評"を語る【後編】 - 菊地成孔氏のレビュー

※この項では『ラ・ラ・ランド』ストーリーの核心に触れるネタバレがあります※

この話を書き始めた原因は、菊地成孔氏がリアルサウンド映画部に投稿した記事群だった(「大したことないね」、「追補」)。個人的な書き付けによれば、冒頭の「『べた褒めvsこきおろし』の二極化してるけど……」論を書いたのは、このレビューのせいらしい。ところでこの連載、「アルファヴェット」ってちゃんちゃらおかしいですねえ(笑)*5

realsound.jp

 

最初に読んだ時、個人的に身につまされる部分がいくつかあってぐさぐさに刺された気分になったが*6、『ジャッキー』『ジャッキー』言ってるのも気になったし*7、こんなん好きな奴はほんとにジャズが好きな奴じゃないという決めつけ*8もあれだったし、何より

「だって、主人公2人は、共に夢を実現したのだ。大ハッピーエンドじゃないの。」

という無粋な一言が、決定的に自分の解釈と違ったので(ネタバレレビューをやる気があったら深掘りしたい)、つい「菊地成孔 ラ・ラ・ランド」で誰か書いていないか探してしまったほどだった。

 

このクエリで見つけたのが、2017年3月7日付けのこのブログ。冒頭で言ってる「有名人が書けばちゃんと一般のブロガーが「ほんと大人げない」って突っ込んでくれてる」というのはこの記事を念頭に置いている。

buhaina.blog.fc2.com - このブログでは「濃いオタク」であることでマウンティングできないとも書かれてて溜飲が下がった記憶がある

その他、リテラニコニコニュースで町山菊地論争を指摘するものも見つけ、最終的には「なーーーーーーんだ私怨かよ読んで損したわーーーーーーーー」という気分にさせられたが、最初に読んで心がぐさぐさ刺されたあの感覚だけは忘れないと思う(これもこれで私怨みたいな書き方になってしまっているが)。

anond.hatelabo.jp - ざっくり菊地町山バトルがまとめられている

 

いっぱしの映画好きとして、映画評には一家言あるクチなのだが、それは、

「このSNS社会において、冷静な視点の持てないこき下ろしでそれが好きな人まで酷評するのは宜しくない」

というものだ*9。作品そのものを批判することは構わないが、本当に好きな人をこき下ろすのは、そもそも人間として絶対アウト。この論で行くと、当然Wiredのこの記事もつかみは全然宜しくない。☞

wired.jp

theriver.jp - 安心と信頼のTHE RIVERさんより。評論家が好き勝手言えるのはおかしいという問題提起

 

確かに『ラ・ラ・ランド』にはいくつも稚拙なところがある。大勢が指摘しているように、劇中音楽が純粋なジャズかと言われればそうではないし(でもそれは当然なので今度特集する予定)、ライアン・ゴズリングの歌にまあまあな部分があるのは大ファンの筆者とて否定できない。後は脚本上ミアの友人たちの扱いが酷いとか*10、PC(後述)とかハリウッドの描き方とかそりゃあまあ。なので、こういう記事はよく理解出来る。

tofu.hatenadiary.com - とても面白かったしさっき✩押してきた

でも筆者は、そういうものを差し引いてもあのスクリプトのメッセージに何かときめくものを感じて、もう少し夢追い人でいてみようかな、と考えた。やっぱり筆者にとっていい映画だったというのは確かだ。

 

それを菊地氏は真っ向から全否定する。

「『ラ・ラ・ランド』程度で喜んでいる人々は、余程の恋愛飢餓で、ミュージカルについて無知で、音楽について無知で、ジャズについては更に無知という4カードが揃っている筈、」——「菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね」(以下「大したことないね」)、2017年3月6日、p.1

筆者の心に刺さったのは「恋愛飢餓」の部分だが(当時を考えるとこれは否定できない)、筆者はミュージカル好きだし、音楽好きだし、ジャズ好きだ。確かに英国おたくぶりと比べたらそれぞれの歴史には疎いし、好みも異様に偏っているが、でも、ここでこき下ろされるほど無知じゃない。

 

菊地氏は2回に分けて長文レビューで『ラ・ラ・ランド』をこき下ろしたわけだが、結局そのイデオロギーは単なるマウンティングだ。要するに、自分はふわっとした『ラ・ラ・ランド』ファンに比べて知識があるということをひけらかしたいんだろうと思う。そういうマウンティングって生半可な人間がやりがちだが、動物園のゴリラの方がよっぽどお上品な気すらする*11。菊地氏は記事中でチャゼルを半可通扱いしているが、そっくりそのままお返ししたいくらいに当人が映画評に関して半可通だ。うほうほ。

www.huffingtonpost.jp

 

他人の作品をこき下ろしておきながら、菊地氏の稚拙さというのは論評の中身でもバレバレだ。

例えばミアが映画/舞台/ミュージカル俳優のどれになりたいのかしつこく突いているが、そんな話は物語上どうでもいい。「『ジョン・レジェンドは悪玉なのか善玉なのか微妙なのか、全くわからないところ』である」と書いているが、これに関しては映画中で明確に答えが出されている。飽くまでセブの視点から見るので悪玉になるのであって、ジャズを愛する気持ちは変わらないけれど方向性が決定的に違う——え、そうじゃないんですか?

また、"Audition (The Fools Who Dream)"が明らかなシャンソン風だとつついているが、これは的外れもいいところだ。この曲はパリにいた叔母の話をするのだから場面に合っている。エマ・ストーンのハスキーで低めの音域に合っている。そしてそもそも、セブのおかげでジャズに目覚めたばかりのミアがここでジャズを歌う必要は無いのだ。菊地氏は、アカデミー歌曲賞のノミニーが "Another Day of Sun"ではなく「稚拙な」"Audition"だったことにどーたらこーたら言っているが(「いよいよ追補へ」追補編p.2)、作品のメッセージをよく表しているのは"Audition"の方だろうと思う……

www.youtube.com - 件の"Audition (The Fools Who Dream)"

 

そしてこの評論が決定的に薄っぺらいな、と感じたのは、この一言だった。

「だって、主人公2人は、共に夢を実現したのだ。大ハッピーエンドじゃないの。——「大したことないね」p.3

あのエピローグの意図はそうなんだろうか? 確かにふたりとも夢を叶え、「幸せな」生活を送っているように見える。でも、そこにはぽっかり穴が空いているという解釈(CARL THE POLICE!さん)の方が美しくないか? それとも最後のアイコンタクトで、「今の生活もいいけど、昔は良かったよね」と伝え合っているのかもしれない。少なくとも、あのエンドを見て「ハッピーエンド」と決定づける解釈には賛成できない*12

こういうことを持論として高らかに書いてしまう時点で、他人のことを「恋愛飢餓」だ「アホか」とぶった切れるどころか、逆に「恋愛の機微も分からん無粋者」と言われてしまいかねない気がするほどだ。

 

菊地氏の大人げなさは更に続く。彼はあそこが描かれていない、あそこが、と言い続けて脚本の穴をつつき続けている。菊地氏に限らず色んな人が脚本の穴をつつきまくっていたが、恋に落ちて友人が見えなくなるのはよくある話じゃないのか? PC関係で黒人が出て来ない話をつつくのは、あれがミアとセブふたりきりの話だってことを理解していない。セブが「白人の救世主」っぽいのはよく分かるが、あの話に無理矢理黒人を出す方がおかしな話になる。自分の幸せを差し出してでも相手に幸せになってほしいという例はチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』にだってある(この文句の後ろの方は、菊地氏の論評というより一般の批判に対する反論になってしまったが)。

このねちっこい批判に対しては、、菊地氏への批判ブログ(先述のFC2)で言われている話が実に的を射ていると思う。

「こういう別れた理由みたいなことを描かなくて説明不足っていう意見、他の映画も含めてネット掲示板で素人の意見としてもときどき見かけますが、ホント、どうでもいい。観ている人に想像する余地を与えない説明的なことをする映画は、それこそ鑑賞者をバカにしている。[中略] 1から10まで説明してもらわないと納得できないっていう受け身の人は映画なんて観ないほうがいいです。」——菊地成孔の「ラ・ラ・ランド」批評は無粋の極み - Enjoy Life, Enjoy Hobby

くだくだと説明臭い台詞を書かず、さらっと描くからこそ、あのエピローグは色んなものを観る側に想像させるのだ。もしかしたらミアとセブは、この後また燃え上がる恋に落ちたかもしれない。そんなぶっ飛んだ妄想すら可能にさせるエンドなのだ。それを私怨でぎゃあぎゃあと言われてもねえ(先述の通り、菊地町山バトルがあるらしいし)。

 

まあどうせサイゾー系のリアルサウンド映画部に載るような記事に一喜一憂してもしゃあないわけですが*13。おしまい。

 

こういう記事こそ読んで下さい

折角なので、お気に入りの記事を流して心を清らかにしておきます……

blog.livedoor.jp

www.machikado-creative.jp

 

加藤祐子さんのツイート、こういう現象をずばっと斬っている気がする。

  

news.yahoo.co.jp

 

関連:ラ・ラ・ランド / エマ・ストーン / ライアン・ゴズリング / J・K・シモンズ / デイミアン・チャゼル / ジャスティン・ハーウィッツ / ジョン・レジェンド

*1:「酔ってる」は流石に言い過ぎな気もするが、実際そういう陶酔記事みたいなのは数件読んだ記憶がある。逆に、「ぼくはこういうところが気に入らなかった、これもありきたりな表現だし、全体としては大したもんじゃないと思う」と冷静に書いている記事は、読んでいても「そうなのかあ、この人はこう感じたんだな」と思う程度だった気がする

*2:当時のメモを見たら、(この記事の後)「若干メディアから消えた気もしないでもない」とまで書いていて、自分、辛辣だなと思ったが

*3:この辺の話はこの本にまとめられている。シェイクスピアの全作品をざっと見通せるので是非ご一読を☞

*4:件の記事では「そうなると映画についても、オスカー作品賞を受賞した『ムーンライト』のように、映画に没入して能動的に考える作品よりも、気楽に観られる『ラ・ラ・ランド』のような作品のほうが、多くの賞を受賞して当然と言えます。」(1ページめラスト)とか言ってるが、この辺はどうせ気付かなかったんだろうなあ。そもそも「悪気無いオマージュ」って何なんだろう……オマージュは原典に敬意があってこそのものでしょう? 何なら最終ページの「政府がスマホの利用時間を規制することが必要と思っています」ってところ、よほどトンデモ論だ

*5:アルファベットの語源はαβなので「ベ」が正しいぞ

*6:お前どうせ色んなもののライトなファンだろ、みたいな言い草はちょっと否定しきれなかった

*7:『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』は、ダーレン・アロノフスキー監督作にして、ナタリー・ポートマンJFKの妻ジャクリーン・ケネディを演じた作品で、『ラ・ラ・ランド』と同じ年の映画賞を賑わせた作品。ポートマンの演技が絶賛されていたのは確かだが、ここまで『ジャッキー』『ジャッキー』騒ぐのは流石に私怨としか言い様がないし、途中からビーフジャーキー食べたいのかなって気分になったほどだった(違う)。

jackie-movie.jp

KARKLAND STEAK STRIPS ビーフジャーキー 300g

KARKLAND STEAK STRIPS ビーフジャーキー 300g

 

*8:菊地氏のレビューより引用☞

「『ラ・ラ・ランド』程度で喜んでいる人々は、余程の恋愛飢餓で、ミュージカルについて無知で、音楽について無知で、ジャズについては更に無知という4カードが揃っている筈、」——菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね|Real Sound|リアルサウンド 映画部

*9:実はこのメモを書いたのは、「『IQ246』が『SHERLOCK』のぱくりだ!」とトゥギャッターでぶった切っていた直後だった。メモにも「こういうものをまとめておきながら言うのもあれだが」と書いてあったのだが、これは「出典明記の無い明確な搾取」だった作品そのものへの批判だし、ここでいう「ファン批判」には当たらないだろうと思う。

ところで筆者がまとめたのはこれ☞

togetter.com筆者の手によるものではないが、第2話の演出についてトゥギャッたものもあったので合わせてご紹介:#IQ246 @IQ246_TBS 第2話と #SHERLOCK S1E1の酷似について視聴者の反応まとめ - Togetter

*10:"Someone in the Crowd"であれだけ踊り狂ったのに、次に出てくるのは数ヶ月後のシーンな上に、完全にモブ扱いされている

*11:よっぽどお上品なゴリラさんをどうぞ♡☞

東山動植物園オフィシャルゴリラ写真集 シャバーニ!

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イケメンゴリラ 君の瞳に乾杯!

イケメンゴリラ 君の瞳に乾杯!

 
シャバーニだいすき

シャバーニだいすき

 

 

*12:筆者の解釈としては「夢は叶えたけど幸せじゃない」ふたりの気持ちが "Epilogue" での白昼夢として描かれているのだろうというものだったが、同様のことを大好きなブログ CARL THE POLICE!さんも書いていたような記憶がある

*13:流石に追補編最終ページの図式的展開、論理の飛躍が多過ぎて何にも頭に入ってこなかったなあ

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