今季の月9はまいんちゃんこと福原遥主演で児相(児童相談所)を扱ったドラマ*1。最終話を目前にした第10話は、ぶっきらぼうで人付き合いの苦手な児童福祉司・蔵田(演:林遣都)の過去を掘ったエピソードだった。身につまされる描写があったので、ネタバレゴリゴリで記事を書く。
それと、この記事を読む知り合いの皆さんにお願いなのですが、どうか筆者の両親に、この文章を絶対に読ませないでください。優しさでどうぞお願いします。
目次さん
ネタバレの第10話あらすじ
蔵田の前に突然実父の総一郎(演:板尾創路)が現れた。総一郎は半年ほど前から、蔵田の養父だった南野(ジョーさん、演:柳葉敏郎)へ息子に会いたいと手紙を送っていたが、南野はその手紙を蔵田に見せられずにいた。蔵田本人は突然現れた父親に食事に行きたいと誘われて動揺する。誘い通り親子で食事に向かい、身体を壊して過去の自分を恥じ、謝罪に来たのだと言う総一郎に、蔵田は複雑な思いを抱く。蔵田は、店に向かうまでの道で衝動的に父を殺したいと思い動揺していた。
翌日、南野は総一郎を呼び出して蔵田を預かってからずっと付けていた成長記録を渡す。同日総一郎は倒れて救急搬送され、駆けつけた蔵田に、お前がいるから孤独死は免れたとにやにやする。
翌々日、門司行きのフェリーで総一郎が発つ前に、蔵田は実父との絶縁を宣言する。南野夫妻の家へ戻り、自分の両親は最早南野夫妻しかいないと話すのであった。
遂に描かれた蔵田の過去
9話までちょいちょい匂わされていた蔵田の過去が遂に主眼になった。これまでの放送でこんなことが分かっていて、勿論手紙の差し出し主が、蔵田の実父であろうというのも明白だった。
- 幼少期、父親からの身体的虐待の過去がある
- 母は小学校中学年前後に病死した
- 児童相談所に一時保護され、南野が養父として蔵田を引き取った
- 向日葵と過去に交際しており、結婚間近だったが、蔵田の個人的理由(虐待の連鎖への危惧、家庭を持つことへの恐怖)から破局した
- 北九州の、蔵田と同じ名字の男性から南野宛に何通か手紙が届いていた
自分語りになるけれど
ここから脱線して完全に自分語りなのだが、実は蔵田の置かれた状況は自分の実体験と強く重なる。
幼少期、自分が寝静まった(と思った)時間になると、両親は激しく口論をしていた。このドラマでも取り上げられた、今で言う「面前DV」というやつである。こどもながらに布団から起きていって、「けんかはやめて」と泣いていたのを思い出す。程なくして両親は離婚して、片方が出て行った。出て行った方には愛着はまるでなくて、お見送りの日も、車の中から満面の笑みで「バイバイ!」と見送り、別れられてせいせいしたという気分でいた。帰ってきたら空は雨模様になっていて、メランコリックなマセガキよろしく、何かがすっぽ抜けたような気持ちでぼんやりと空を眺めていたのをよく覚えている。
出て行った方は結構なヤツで、自分がやったことを子どものせいにしたりとか、平気で家で嘘を吐きまくったりとか、およそ親とは思えないようなことを沢山された。後から聞くと自分の親もそういう人だったようなので、可哀想なところはあるのだが、だからと言って自分にされた仕打ちは許せない。詳細を書くと本人にバレそうなので伏せておくが、物心もつかない内に、何度か殺されそうになっていたんじゃないか? という事案もある。
大人になって大学で色々勉強して、ああ自分はちょっとADHDっぽくて、成人女子なので不注意だけ目立っているのだな、と思っているが、もしかしたらその端緒は軽い愛着障害なのかもしれないと思う。今でもカスハラで怒鳴りつけられると、理不尽がこの世で一番嫌いなのに、身体が萎縮して言いたいことが言えなくなる。そういうトラウマを植え付けられたことを決して許していない。
別れから数年後、突然の諸々
片親が出て行って数年後、学校からの帰り道で、家まであと少し、というところで、待ち伏せをされた。自分の気持ちはここに書いてあるから、と手紙を押しつけられ、相手はすっと帰って行った。
……身体がすくんで動けなかった。
通学路で待ち伏せされていたという事実が恐ろしかった。一緒に帰っていた友人に後から聞くと、こちらが気付かなかっただけで、相手は何分も前から同じ場所にいてこっちをじっと見つめていたらしい。
手が震えながら渡された手紙を持って家に逃げ帰り、何も出来ずにわんわんと泣いた。家人が血相を変えて追いかけに行ったが、その時には既に姿をくらましていた。手紙の中身は家人に読んでもらったが、自分では恐ろしくて全く開けなかった。一文字も読みたくなかった。
前後してされた諸々から考えると、ヤツはヤツなりに、「あなたのことを愛している」というアピールであったらしい。どの口がそういうことを言うのでしょうか?
円満に手紙を渡しただけだから、と自己満足していますか?
気付かずに刺し殺されていたらとぞっとした気持ちを忘れません。
しかもちゃんと約束された手段があったのに、自分のエゴのために、その手段を反故にして取った行動なので。
更に数年後、自分の家庭を持って
それから更に数年後、たまたまいいご縁があって家庭を持つことになった。程なくしてこどもも生まれた。
自分が生まれた時、立ち会い分娩だったらしいのだが、ヤツはその場で、自分に対して「早く出て来いよ!」と怒号を飛ばしていたらしい。お産が究極なのは分かるが、その時に人間の本性が現れるというのは得てして妙である。
翻って自分のこどもが生まれる時、お産が上手くいかなくて、自然分娩から急遽切り替わってしまった。それなりリスクがあるのも分かっていたので(まあリスクのないお産というのもゼロなのだが、自然分娩よりはリスクが上がるのは正直なところ)、我が子にごめんなさい、ごめんなさい、と謝りながらお産に臨んだ。心の中で我が子に謝りながら、ずっと心に過っていたのは、自分が我が子に「早く出て来いよ!」と怒号を飛ばしやしないかという、その一点である。こんなに心配して、ごめん、ごめん、と思いながらお産に臨んでいるのに。
それから今に至るまで、育休中も、仕事復帰後も、(当然疲れているのでちょっと放っておいてしまうことはあるのだが)、ネグレクトにならないか、こどもを怒鳴ったりいじめたりしないか、そういうことばかり考えてヒヤヒヤしている。……そのくらい、幼少期に植えられたトラウマというのは根が深いのだ。
何でこちらがこそこそと生きなければならないのだろう
ヤツのことはもう本当に嫌いだし(うっかり本人がこの文章を読んだときのために強調しておく、これは引き取られた方の親の教育ではなく、お前さん本人の行動の積み重ねで、筆者の中では絶許になっています)、金輪際こちらの人生に絡まないでほしいと思っている。とはいえ、社会活動をしていく中でぽろぽろと名前や職歴はあちこちにたゆたうもので、辿ろうと思えば、筆者の人生も容易に辿ることができる。
相手からの遺産は一銭も要らないし相続放棄すると決めているが、そういうことは生きているうちにはできないらしい。
住民票の閲覧制限は1年ごとに更新が必要らしい(総務省|住民基本台帳等)。
今いる場所や家族との生活はSNS上では意図的にぼかしているけれど、それも何も、通学路で待ち伏せされたあの日の恐怖があるからだ。……でも待って? 何で何も悪いことをしていないこちら側が、日々の生活を楽しく生きることに色々と我慢をしなければいけないの? どうして自由に家庭が楽しいと言ってはいけないの???
断ち切ろうと思っても断ち切れないのが血縁であって、苦しむのは、エゴを持つ側でなく、エゴを押しつけられる側なのである。
……というのをしみじみと感じる。
翻って蔵田くんのおはなし
第10話で蔵田は、突然現れた実父に深く動揺し、どうするべきなのか逡巡する。
肝臓を壊して死が見えたので、昔虐待した息子に悔いに来たなんていうのはおためごかしだ。実際には、自分がひとりで死なないために、息子に繋がりたいとすがりにきただけである。
これはいじめっ子・いじめられっ子の理論なのであろう。小さい頃いじめっ子だった人間が、大人になってから昔いじめた子に、罪悪感もなく「あの頃はよかったよな」みたいなことを言うのはままあることだ。彼らの中で、過去の所業は楽しかったあの時の1ページでしかないか、忘却の彼方だが、いじめられっ子の中では苦しくて仕方がなかった、忘れられない苦い過去である。社会生活上のいじめなら、本人かコミュニティがそっと離れればひとまずの解決を得るが、血縁だとそうはいかない。
久々に実父を目の前にして身体を硬くする蔵田の描写は妙にリアリティがある。……何故なら自分もそうされた側だからだ。想定外の事態に出会ったとき、傷付けられた側は、じっと身体を硬くして思う通りに動けない。そして後から、うまく動けない自分と、自分勝手な相手方にひたすらイライラする。
親が子を虐待することは人生の一時なのかもしれないが、それは子の人生に深い傷を負わせる。蔵田は児童福祉司になって「虐待の連鎖」(虐待を受けた児が、次の世代の実子に同様の虐待を行うこと)という概念を知り、深く傷付く。向日葵と別れたのも、虐待の連鎖で向日葵や向日葵との間の子を傷付けないかと恐れてしまってのことだ。蔵田はひどく内省的な人物だし、向日葵と結婚しても、きっとそういうことにはならなかったのではないかと思う。……でも、虐待を受けた側には、そういう瞬間が、ふとした時に過るのだ。
筆者だってそういうことをしないだろうと頭の中では分かっているけれど、お産がこじれた時も、はたまた子育てをする今も、ヤツと同じことをしてしまうかもしれない自分に、怯えている。虐待をした側には決して分からない、深い傷なのだ。
npojcsa.com久保田まり「児童虐待における世代間連鎖の問題と援助的介入の方略」国立社会保障・人口問題研究所
実父との会食に向かう道で、蔵田はふと交差点に入ってくるトラックへ実父を突き飛ばせば……と考える。理性があって絶対しないだろうと思うのだが、でも心の中にそういう衝動性とか暴力性が隠れていることに気付かされて、自己嫌悪に陥る、そういうところも含めて妙にリアルである。
虐待した親の側は、しでかしたことも忘れてまた会いたいなあくらいにのんびりのほほんと考えているかもしれないが、ある意味人生を壊された子の側にとって幼少期のトラウマは想像以上に深刻な問題で、最悪殺してやるくらいのことを思っていてもおかしくはない。……それくらいのことを子にしているのだということをしっかり自覚してほしい。
第10話の後半、蔵田はしっかり実父を拒絶して、自分の両親は今や南野夫妻しかいない、とジョーさん夫妻の家へ戻っていく。血の繋がりか心の繋がりか? というのは常に創作物の主眼になるけれど、心の繋がりが上回るというのは明白な事実だ。
このドラマにおいて、蔵田が実父をきっぱり拒絶する機会があって、本当によかったと思う。勿論フィクションなのである意味ご都合主義なのだけれど、現実にはこういう機会はほとんどないからだ。
ドラマそのものの評価
このドラマでは様々な児童相談所の仕事が描かれてきたが、一時保護後の親子面談、里親探しなど「事後」の様子が取り上げられる中で、蔵田のような虐待サバイバーの大人がしっかり描かれるのはとてもよかった。
日本の現状としては、外から目で見える身体的虐待は減少傾向で、「外から見えない虐待」の割合がとても高いと言われている。このドラマでもそういった事案が沢山取り上げられているので、他の話も是非観てもらいたい。
もしもうっかり誰かがこの文章を読むのならば
この文章は筆者の自由意志として綴っています。
筆者は幼少期にあなたにされたことを決して許しません。これは筆者を引き取った側の育て方では決してなく(寧ろ、望むならば連絡先は教えなくてはならないので、その時は教えてくれと何度も言われていました)、筆者個人の意志として、頑なに、あなたの所業を許しません。
あの時待ち伏せされた時の恐怖、約束を守れない人に何をされるか分からない恐怖、とずっと闘っています。
筆者を引き取った側の家族を、悪く言うことは許しません。片親である負い目を感じさせまいと必死に育ててくれました。
筆者はこの先の人生にあなたが闖入することを望みません。
あなたから大小にかかわらず何を得ることも望みません。
どうか筆者とその家族の人生に関わらないまま、別の場所で生きていてください。
おしまい
『明日はもっと、いい日になる』の最終回は明日放送。クリフハンガーで描かれた団地の虐待事案が最終主題だ。階段で突き飛ばされて頭を打った向日葵の運命やいかに……? 翼ちゃんの出向はどういう結末になるのか……? 最後まで目が離せない展開である。あと、JUJUの主題歌いいですよね〜今も頭の中で主題歌が流れています。

