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ホロヴィッツは「信頼できない語り手」がお好き - 『メインテーマは殺人』ゲラ読み企画

先日、こんなツイートを目にして、出来心で応募してみた。(実は)ホームジアーナの筆者にとって、アンソニーホロヴィッツと言えばシャーロック・ホームズ財団公認の続編を書いた人物。そう言えば昨年『カササギ殺人事件』も話題になっていたな、と思ってちょっと興味が湧いたのである。

そんなこんなで応募してみたら何と当選。今回全編を読み切ったので、ネタバレない程度にレビューをお送りしたいと思う。

 

あらすじ

ダイアナ・クーパーは自身の葬儀の段取りを申し込みに行き、それから数時間で殺害された。脚本家として働くアンソニーホロヴィッツは、以前のドラマで監修を依頼した元刑事デイヴィッド・ホーソーンに依頼され、顛末を小説に起こすことと引き換えに捜査に巻き込まれることになる。クーパーが依頼した葬儀屋のコーンウォリス、息子デイミアンなどから話を聞くうち、ホーソーンらはクーパーが10年前に交通事故を起こしていたことを知る……

 

 

ホロヴィッツは「信頼できない語り手」がお好き

筆者がホロヴィッツの作品として既読なのは、シャーロック・ホームズ財団公認の作品として書かれた『絹の家』、そして『モリアーティ』の2作である。この2作に共通するのは、どちらも一人称視点の書き口であるということ。いわゆる「信頼できない語り手」によって読み手が最後まで騙され、どんでん返しの結末が待っているというわけだ。(話の枠組みを述べただけなので、このくらいのネタバレは許していただきたい)

 

「信頼できない語り手」というのはミステリ作品でよく使われる手段である。一人称視点は必然的に語り手の見たものが全てとなるので、読み手を欺きやすい構造になるのだ。下手に例示するとネタバレしそうだが、例えばホームズもの後期の『ライオンのたてがみ』なんかがこれに当たる。書き口にけちを付けるホームズにワトスンが辟易し、「何なら書いてみろ」とけしかけられてホームズ自ら筆を執るのだが、結局はワトスンの使ってきた「大事なことを秘匿しておく」という書き口が素晴らしいことに気付くという裏プロットがあるのだ*1

 

また、ホロヴィッツは長年映像作品の脚本も手掛けてきたが、小説は文章のみで全てを語るという点でこれらと大きく異なっている。本作にも、小説ならではのミスリードがふんだんに含まれていて、筆者はにやりとしてしまった。また作中には、メインの犯人捜しだけに留まらない勢いで多数の謎が散りばめられている。最終章では、本筋には大きく関係無いものの、「そこを最後に回収するのね」と思わされる謎がひとつ回収されていた。ミスリードに次ぐミスリードと謎の回収、という枠組みが最後まで貫かれていたのは個人的に好みの展開である。

(——そう言えばちょっと脱線するが、時を駆けたミスリードが得意なのが、ご当地仙台在住の伊坂幸太郎氏である。『アヒルと鴨のコインロッカー』、『ラッシュライフ』などでその筆致を見せているが、最近執筆スピードを上げているようでファンにとっては嬉しい悲鳴だ)

ラッシュライフ (新潮文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)

 
アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

 

 

今作の語り手は、自分自身

ホロヴィッツが今作で語り手に据えたのは、2011年の自分自身である。ホーソーンの存在はどう考えてもフィクションであるが、実際にその頃取り組んでいた作品をいくつも織り交ぜ、フィクションと現実との境目を意図的に煙に巻いている。例えばスピルバーグとピーター・ジャクソンの『タンタンの冒険』第2作に取り組んでいたのは実話だし、『刑事フォイル』、ホーソーンと知り合ったきっかけとされた "Injustice" への参加も事実だ。

 

本作のラストで匂わされた通り、ホロヴィッツホーソーンものをシリーズとして展開していく心づもりのようだ。既にシリーズの第2作は上梓されているようだが、自分の身の回りで起きた実際の出来事を上手く絡めつつ、全くのフィクションを紡いでいくのは難しい作業である。ホロヴィッツがこの作風を維持したまま、どこまでこのシリーズを展開できるのかも楽しみなところだ。

 

これだけは不満な人物造型

ホロヴィッツ作品読破3作目にしてこんなことを言うのはおこがましいのかもしれないが、どうしても気になってしまうことがある。『絹の家』、『モリアーティ』、そして今回の『メインテーマは殺人』において、「サイドキックは真の主人公の知性を決して上回れない」展開が繰り返されたのだ。ホームジアーナでもある筆者にとっては、多少残念と言わざるを得ない。

 

優秀な探偵と、それを支える少し愚鈍な書き手、という枠組みは、言うまでもなくドイルの描いたシャーロック・ホームズシリーズで確立されたものである。しかしながら、ドイルの描いたワトスンは、ホームズに手取り足取り教えてもらわないと全てが理解出来ない愚鈍な人間というわけではない。ワトスンの思いつきがホームズの捜査を進める鍵になることもしばしばだし、第1作『緋色の研究』では同居人の特徴をリストアップするような探究心を持ち合わせていることが分かる。何より、ワトスンはロンドン大学*2で医師となった人物であり、それなりに知性を持ち合わせた人物であることは間違い無いのだ。(『SHERLOCK』が大好きな理由も、ワトスンの知的な一面を見せてくれたことにあるのだろうと思っている)

 

そんなワトスンのイメージを、「ホームズに手取り足取り教えてもらわないと全てが理解出来ない愚鈍な人間」に変えてしまったのが、ベイジル・ラスボーン版ホームズであった(と言われている)。ナイジェル・ブルースは間違い無く名優なのであるが、「ホームズ、君は凄いね!」と繰り返す様子はパロディにもされるほど有名である。そして本作でのホロヴィッツ像は、どちらかというとこちらのワトスンに引き摺られている感じがする。彼はシャーロック・ホームズ財団公認の作品を執筆しているが、彼の抱いているワトスン像は、ドイルの原作よりラスボーン版に近いように思えるのだ。

www.youtube.com - 筆者の大好きなロシアンパロディ

確かに、「信頼できない語り手」という視点を用いるのならば、自らの愚鈍さによって真実が多少マスクされている方が物語は書きやすい。しかしながら、これほどの作品を書き上げる人物なのだから、そのような構図に頼らずとも傑作が書けたのではないかと思わざるを得ないのだ。ホーソーンものは先述の通りシリーズ化されるようだが、第2作以降で描き方が変わるかどうかも楽しみにしたい。

 

流石は数多のミステリを生んだイギリス

瑕疵について直前で触れたが、イギリスの見せる多彩な表情を題材にし、ホームズものやクリスティをはじめとしたイギリスの傑作ミステリーを混ぜ合わせたような筆致に落とし込んだことは賞賛されるべきだろう。細かい謎が多数出現し、後半にかけてひとつずつ回収されていくのも面白いところ。ラストでは、『モリアーティ』ばりにホロヴィッツが窮地に立たされるのも見どころだ。(そう言えば今週のお題は「人生最大の危機」だが、筆者の場合危うくプールで溺れかけたことだろうか*3。)刊行は来月末とのことなので、是非是非お手にとっていただきたい。

メインテーマは殺人 (創元推理文庫)

メインテーマは殺人 (創元推理文庫)

 

東京創元社からは、昨年同じく山田蘭氏の翻訳によって、『カササギ殺人事件』も出版されている。昨年の年末ミステリランキングを総なめなど高い評価を受けているので、こちらも合わせてどうぞ!

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

 

 

 筆者のTwitterより。

 

 

関連:アンソニーホロヴィッツ / メインテーマは殺人 / 山田蘭 / 東京創元社

*1:因みに、そうやってホームズが書いた体の『白面の兵士』とこの作品、敢えて三人称視点を取った『マザリンの宝石』は、いずれもちょっと駄作扱いされているのは面白いところである

*2:『緋色の研究』準拠。外典相当の『競技場バザー』ではエディンバラ大学出身に変わっているが、エディンバラはドイルの出身校でもあるので、うっかり間違ってしまったのだろう。ドイルが自身をワトスンへ投影していたことの裏返しではないかと思わされるエピソード。

 

——そう言えば『競技場バザー』と『ワトスンの推理法修行』、河出に入ってるんですね?!

*3:無駄に水深の深いプールにて、泳げず止まろうかと思ったタイミングで上げ底板を踏み外した筆者。脚力が無さ過ぎて浮き上がれず、溺れそうになったというわけ(実話)——今週のお題「人生最大の危機」——

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