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箱根路をゆく、三浦しをんを読む - 小説『風が強く吹いている』

東洋大学が往路連覇を成し遂げ、青学の総合5連覇に黄色信号が点った1月2日となった。筆者のお気に入り・5区山登りは区間新が3人も出る素晴らしいレース。意外に接戦なところに各チームがひしめいていて、今年は最終順位の予想も難しそうな印象がある。

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毎年この箱根路を見ながら読みたくなってしまうのが、三浦しをんの『風が強く吹いている』である。箱根好きな読書家がいらっしゃれば「ああやっぱりな」というベタな選択だろうとは思うが、やぱり読みたいものは読みたい。そして良作なのでみんなに紹介したいのである。

風が強く吹いている (新潮文庫)

風が強く吹いている (新潮文庫)

 

 

 

導入

寛政大学入学直前の蔵原走(かける)は、パンを万引きして遁走するところで、同じ大学の4年・清瀬灰二(ハイジ)に自転車で尾けられる。走のフォームを見て惚れ込んだハイジは、金をすって一文無しの走を言葉巧みに引っ張り込み、自分の住む安アパート・竹青荘(アオタケ)に入居させる。走が入ってアオタケの住人は丁度10人に。ハイジはその10人に向かい、全員で箱根駅伝出場を目指すのだと言い放つ……

 

個性豊かな登場人物

……というのが導入である。この作品の主人公は走で、杜の都出身という設定でもあり、そこもこの作品が好きな理由だ。箱根を目指すためアオタケに10人入居させようと画策していたハイジも陰の主人公。適格なマネジメントで10人それぞれの力を伸ばし、運動音痴からニコチンまみれまでいる無茶苦茶集団を箱根まで導いていく。

 

箱根あるある……で終わらない

三浦しをんの上手いのは、「箱根にいるいる!」という設定の人物を上手く混ぜ込みつつ、肝心な所で「そう上手い話は無い」と手の平を返して、リアリティとコメディタッチの両方を実現しているところだ。

例えば走と同級生の双子、ジョータとジョージ。箱根の双子と言えば、東洋大学の設楽兄弟、駒沢/城西大に分かれつつ、今では旭化成で共に走る村山兄弟(実は彼ら宮城県出身である)辺りが有名であるが、この作品は彼らを先取りしたような形になった。

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もうひとつ箱根の名物(?)と言えば、黒人留学生によるごぼう抜き、という人もいるだろう。アオタケにも例によって黒人留学生のムサがいるのだが、彼は「ただの国費留学生」で特に足が速いわけでもない。走るよりむしろ日本語を喋る方が上手いという設定になっていて、三浦女史の「そう上手くはいかないんだよなあ」というしたり顔が見える気すらする。

 

大学にそういう人いるよね

もうひとつの特徴は、「大学にそういう人いるよね」といった感じの、ちょっとかっこ悪い登場人物が描かれているということである。

例えばニコチンまみれのニコチャンは、浪人して大学に入って更に留年を繰り返し、気付けばハイジの下の学年になっていたという設定だ。ところが煙草をもうもうとふかしている彼、実は陸上部崩れだったということが後から発覚する。このニコチャンが陸上への情熱を取り戻していくところも見どころだ。

 

もうひとり紹介したいのは「神童」。ムサに俗語を解説してあげる優しさも持ち合わせる彼だが、元々は片田舎で大天才ともてはやされ、鼻高々で東京にやってきた人物である。ところが大学デビューに失敗し(?)、自分と同じレベルの人間などいくらでもいるのだと挫折を味わっている。ハイジはそのマネジメント力で、神童本人も知らなかった彼の強みを見つけ出す。

 

確かにちょっとかっこ悪い人揃いなのだが、この小説の素晴らしさは、彼らが箱根路への練習を通して、諦めていた自分にも強みがあったことを再確認するという筋書きである。『神去なあなあ日常』もそうだが、三浦しをんはこういう筋書きを書かせたらピカイチだ。人生って素晴らしいなという気にさせてくれるし、そのちょっとしたかっこ悪さをリアリティという武器に変えてしまうのが三浦女史の魅力だと思う。

神去なあなあ日常

神去なあなあ日常

 

 

いい話で終わらせない、それこそが三浦作品の魅力

三浦作品の魅力は、「人生何事上手く行きすぎない」ということである。寛政大学の駅伝部は休部状態でグラウンドもまともに使わせてもらえないし、予選会だって1度で上手く行くかといったらそうじゃない。タイムを仕上げきれない選手だっているし、何よりレース本番だってアクシデントの連発だ。

でも、こういう一瞬一瞬をいい話で終わらせないからこそリアリティが出る。何より登場人物たちの人生は、こういった小さな挫折の積み重ねで、確実に成長して良い方向に向かっているのだ。だからこそラストが華々しく光る。静かな感動が胸に走る。

 

箱根路は筋書きの無いドラマだ。メディアがどんなに筋書きを作ろうとしても、想定を超えるアクシデントがあったり、ナイスランがあったりして、往々にしてその予想は覆される。他人が無理矢理作ろうとした筋書きは、真剣勝負の前では勝ち目が無い。

真剣勝負の箱根路に挑んで、いい勝負ができるのがこの作品の良さだと思う。その理由は、細かい挫折を上手く織り込んで起伏の多い筋書きにしているからだろう。確かに「そんなにタイム縮むかいな」というようなところはあるのだが、メディアが無理矢理作ったお涙頂戴よりはよっぽど共感できるのである。

 

気になった人は

2006年に発売された単行本だけでなく、現在は新潮文庫版も刊行されている。どちらも良いのだが、個人的には単行本の装丁が好きなので是非手に取ってほしい。日本画の屏風のようなデザインで、アオタケの住人たちが箱根路を走る様子が描き込まれている。装丁を担当したのは山口晃氏。中には山口氏の手でアオタケの見取り図も描かれていて、これも何とも可愛らしい。

kangaeruhito.jp - 表紙の装丁はここでも見られる

 文庫版にはアオタケの見取り図こそ収録されているが、見開きで描かれた単行本の表紙は残念ながら別絵に変わってしまっているので、出来れば単行本をチェックしてほしいなあと思う(何なら両方買えばいいのだが)。

風が強く吹いている (新潮文庫)

風が強く吹いている (新潮文庫)

 
風が強く吹いている

風が強く吹いている

 

 

関連:箱根駅伝 / 三浦しをん / 山口晃

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