ちいさなねずみが映画を語る

すきなものを好きなだけ、観たものを観ただけ—

30年越しにギリアムが作り上げたのは、とびきりの悪夢だった

テリー・ギリアムドン・キホーテ』"The Man Who Killed Don Quixote"('18)を観てきた。"観るLSD"とまで言われ不穏な動きを見せている『キャッツ』の誘惑を振り切り、同日公開のこちらを選んだのに、結局観たものはとびきりの悪夢で笑ってしまう。初回制作開始から実に22年、9度と言われる挫折を乗り越え、「ドン・キホーテの悪夢」を撥ね除けたテリーGの執念には頭が下がる。つくづく彼が死ぬ前に完成してくれてよかったと思うが、今日はそんな作品を特集したい。

www.youtube.comところで本予告にもある「欧州絶賛・北米酷評」が彼らしくて笑ってしまう。つくづく何故最初からイギリスに生まれなかったのか分からない人だ……

 

!!! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! !!!
※本記事では作品の展開・結末に触れる部分があります。

 

 

 

テリーGはやはりジョニデで撮りたかった

物語の冒頭、CM監督として登場するアダム・ドライヴァーの姿を観て筆者が最初に感じたのは、「ああ、テリーGはやはりジョニデで撮りたかったのだな」ということだった。白いジャケットに身を包み、サングラスをかけて物憂げにカットをかける姿はどう見てもジョニデを意識している。ドライヴァー演じるトビーには、謎にミュージカルシーンも与えられているが、デップが元々ミュージシャンでもあることを考えれば頷けるシーンである。ドライヴァーはドライヴァーなりの演技を追求しているが、その演出には少しずつデップの面影を感じるものがある。

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上記の動画でも触れられているように、ジョニー・デップは元々1998年の初回制作時にトビーを演じるはずだった。相手役にはデップの当時のパートナーでもあったヴァネッサ・パラディ*1ドン・キホーテ役にはフランス生まれのジャン・ロシュフォールが据えられていた。ギリアムの希望もあって作品はヨーロッパ資本のみで作られることになり、ヨーロッパ映画として最大規模の予算になるとして期待されていたのだった。

しかしながら、クルーがいざスペインに乗り込んでみた所、制作を巡る状況は前途多難としか言えないものだった。砂漠のシーンを撮影しようと思えばNATOの軍事演習で音がまともに録れないし、季節外れの雨が降って鉄砲水に小道具・セット類が全て流される。本編でも季節外れの雨が降るシーンがあったが、これは恐らく初回制作時のエピソードを脚本に盛り込んだものなのではないかと思う。その証拠にステラン・スカーシュゴード演じるボスの台詞は「今月は雨が降らないことになっているぞ」だが、これは正直どこかで聞いたことのある台詞である。おまけにこの時の制作では、撮影が様々な理由で遅れている中、ドン・キホーテ役のはずだったジャン・ロシュフォール椎間板ヘルニアを発症して降板することとなり、制作はそのまま暗礁に乗り上げたのだった。

 

何故筆者がここまで制作事情に詳しいのかというと、実はこの時の顛末が全てカメラに収められ、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』"Lost in La Mancha"('02)としてドキュメンタリー映画化されているからである。この作品は、元々本編のメイキング映像になるはずだったフッテージを編集し、如何にして制作地獄に陥ったかを描いている。この作品を観てからだと、劇中のあのシーンもあのシーンもあのシーンも、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』のあれがああなったのか!と思えるのでお勧めだ。

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ドン・キホーテの呪い - テリーGの本来の意図が観たかった作品

そもそも映画界には「ドン・キホーテの呪い」という言葉がある。出所は『市民ケーン』などを手掛けた映画監督オーソン・ウェルズがドン・キホーテ映画を作ろうとして失敗したことにあるとされている。元文献を読んでいるわけではないので情報が正しいとは限らないが、ウェルズの失敗したプロジェクトに関するWikipediaの記事を流し読みすると、そのあらすじはテリーGが今回作り上げた作品にどこか似通っている。ギリアムの企画も20年間*2制作と頓挫を繰り返したことで、この噂は余計に確かなものとして語り継がれるようになってしまったのだ。

市民ケーン(字幕版)

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本作の冒頭、冴えないCM監督のトビーは、ドン・キホーテを題材にしたCMを撮ろうとして何度も失敗していることが示唆される。後ろにはいかにもギリアム趣味な巨人のオブジェが並ぶ。98年版の失敗を知る人物なら、トビーは(幾分美化されてはいるが)ギリアム自身なのだと思わされるはずだ。制作の噂が立っては消え 立っては消えていた頃、トビーの名字は「グリソーニ」であるとまことしやかに囁かれていた。勿論これはギリアムと共に脚本を書いたトニー・グリソーニから来ているものだ。この作品だけでなく、劇中劇もまた「ドン・キホーテの呪い」に巻き込まれていたのである。

 

このシーンを観ていて筆者が悟ったのは、本作の脚本は22年前の制作失敗時の脚本をそのまま使っているわけではないということだ。トビーが制作地獄に陥っているのは当然98年版の失敗を下敷きにしている。上司であるプロデューサーの横槍で思ったものが作れないというのも、今回の制作での訴訟問題を思い起こさせる(カンヌでの上映直前になって、元プロデューサーから映画の権利を巡る裁判を起こされた件)*3。先述した季節外れの雨だって『ロスト・イン・ラ・マンチャ』の映像がちらつくし、ギリアムとグリソーニは再制作に当たってこれまでの失敗談をいくつも盛り込んだのだ。おまけにイスラム過激派のテロリストを思わせる筋書きなどは、98年版撮影時には考えもしなかったような筋書きだと思う。

 

公開された映画の筋書きは、前々から言われていたものとさして変わりない。映画制作者のトビーが昔学生映画を撮影したスペインの村に赴き、彼が撮影を行った後、村にとんでもない惨劇が起こっていたことを知る、というものである。しかしながら、こういった挿入を観る度、脚本は20年ほどの間に少しずつ変わっていたのだろうなと思わずにはいられない。ギリアムが本来の意図通り作品を制作していたならば、その筋書きはどんなものだったのだろうか。完全に「でもしか」でしかないが、長年の制作地獄に陥っただけに、考えさせられることも多いなと思った。

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"ギリアメスク"な悪夢の世界

冒頭でも書いたが、『キャッツ』と迷ってこちらを取ったのに、結局悪夢を見せられたのには笑ってしまった。ドン・キホーテは現実を見失い虚構の世界で生きることを選んでしまった人物だ。そんな人物と旅をするトビーも、次第に彼の言う虚構の世界に呑み込まれていってしまう。トビーは必死に彼との旅を終わらせようとするが、その度に不都合が出てきてふたり旅の継続を余儀なくされる。そして自身の卒業映画で彼や彼の故郷を壊してしまった負い目が、彼の悪夢に拍車をかけるのだった。

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

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ドン・キホーテ (岩波少年文庫 (506))

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トビーや"ドン・キホーテ"の悪夢を描いたシーンには、正直パイソニアンとしてはただの既視感しかない。これはギリアムが大好きなクソアニメの世界だ。他のパイソンズが頭を振り絞ってスケッチを書いていた*4中、ひとりでせっせとコラージュを組み合わせて作っていたのがギリアムのアニメだった(このエピソードは『ホーリー・グレイル』Blu-ray版収録の未公開アニメに合わせて語られていたように思う)*5。何度見てもさっぱり意味の分からないギリアムのアニメは、やがて「ギリアム風味の」という意味の造語「ギリアメスク」"gilliamesque"と呼ばれるようになり、パイソンズのカルト的な人気に一役買うこととなる。パイソニアンの方々には蛇足だろうとは思うが、トビーのCM撮影セットにある巨人のオブジェは、どう見てもギリアム自らデザイン画を描いたであろう造型だ。

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!!! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! SPOILER ALERT! !!!
※この先には作品の展開・結末に深く切り込む部分があります。

 

 
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万人受けしないであろう描写のひとつが、"ドン・キホーテ"がワイン袋に顔が浮かんだと勘違いして、サーベルで何度も突き刺すシーンである。袋に目が浮かび、鼻が、口が、と次々に現れていく姿は実におぞましい。パイソニアンとしてギリアムのアニメをいくつも観ていた筆者ですら、「流石にこれは悪趣味すぎる」と思ったほどである。また、トビーが「村を壊した」という自責の念から観る夢もいちいちおぞましい。"ドン・キホーテ"を閉じ込めていた老婆や飲み屋の親父が後を付けてきて、彼は解き放ってはならない存在だったのだと語るのだ。

ギリアムはこういった悪夢の演出を通して、意図的に現実と虚構の境目を曖昧にしている。"ドン・キホーテ"がトビーの話を聞き入れずに虚構の世界で生きているのも然りだ。だからこそ、最後に悪徳なウォッカ王ミシュキンが登場した時、トビーはアンジェリカ(アンヘリカ)の命が危ないと思って様々なものを見間違えるのである。

 

正直ギリアムの悪夢表現は毎度ながら度が過ぎていると思う。欧州と北米で評価が真っ二つになったのも然もありなんだ。北米の映画評論家たちなら、この悪夢は映画の筋書き上本当に必要だったのか執拗に突いてくるのだろうと思う。しかしながらこういった描写は、ギリアムがモンティ・パイソンとして活動していた50年前からひとつひとつ積み重ねていったものなのである。

 

 

せめてパイソンズの流れにあればと思わずにはいられない

途中の悪夢を何とか乗り越え*6、エンドロールをぼんやりと眺めながら、筆者は「せめてこれがパイソンズの流れにあれば」と思わずにはいられなかった。ギリアムは明らかにパイソンズの残り香を追っている。"ドン・キホーテ"がワイン袋に顔を見出すシーン以外にも、明らかにパイソンズからの引用と思われるものがいくつかあった。

 

【ネタバレ】

例えば風車に突撃して怪我をした"ドン・キホーテ"が担ぎ込まれる壁に取り囲まれた村。その正体は隠れムスリムとしてひっそりと暮らす人々で、キリスト教徒からの迫害を恐れて閉じた生活を営んでいた。トビーは彼らが書くアラビア文字イスラム系テロリストの巣窟ではないかと恐れおののくが、その推測は完全に間違っていた。大仰な格好をしたキリスト教の支配者たちが突然馬で現れ、トビーは「この時代にこんなことが……?」と独り言ちる。しかしながら支配者の数は3人、これはパイソニアンならすぐ分かるあのスケッチだ。そう、ギリアムも出演していた「スペイン宗教裁判」"Nobody expects the Spanish inquisition!"である。何なら舞台もスペインだし。

www.youtube.com - このスケッチは登場人物から考えるにテリーJ・ペイリンコンビで書かれたのではないかと思うが、これに加えてギリアムが3人目の枢機卿役を演じている

また、アンジェリカとミシュキンの城で再会したトビーは、激昂したアンジェリカに「とんでもない男め!」"You naughty boy!" と怒鳴られるが、これはギリアムがテリーJへの追悼文でも書いていたように、『ライフ・オブ・ブライアン』にある有名な一節を引いたものだ(恐らく)。他にも、冒頭ジョナサン・プライスの朗読に載せて、カリグラフィーされた『ドン・キホーテ』物語のページを写すところは、『ホーリー・グレイル』の各章冒頭と全く同じだなと思わされるのである。また突然 "And now..." という台詞が挿入されていたが、勿論これは『空飛ぶモンティ・パイソン』の有名な決め台詞である*7

mice-cinemanami.hatenablog.com

 

ロスト・イン・ラ・マンチャ』で語っていたように、ギリアムは1980年代には既に『ドン・キホーテ』の映画化という構想を持っていた。グレアム・チャップマンが死んでパイソンズの「解散」が決定的になったのは1989年のことだから、ギリアムがこの構想を持った段階ですぐに映画化できていたなら、作品はパイソン作品の直後に来たことになる。

パイソンズというのは説明を嫌う人々だ。スケッチで心の底から笑うためには多分な前提知識が必要だが、スケッチの中でそれを説明することはしない。「スペイン宗教裁判」のスケッチでも、スペインでキリスト教の異端審問があったこと、そこに宗教裁判とは思えないほどの拷問の道具が使われたことを知らないと、ただペイリンがわめき立てるだけのスケッチになってしまう。本作のパイソン風味もそれと同じようなものだ。ギリアメスクなアニメを観ていたなら、「スペイン宗教裁判」のスケッチを知っていたなら、『ホーリー・グレイル』を観ていたなら……そういった暗黙の了解のネタが、パイソンズ放送から50周年の節目を迎えた現在では多分に薄れてしまっている

 

この作品がせめてパイソンの流れにあったならば。若かりし日のギリアムがこの作品を撮っていたならば。——勿論、歳を重ねたことにより、哀れな"ドン・キホーテ"の姿が制作の発進と頓挫を繰り返していたギリアムに重なるという効果もあるのだが、この作品が30年前に撮られていたら、人々はどんな反応をしたのだろうかと思わずにはいられない。

movies.yahoo.co.jp

【ネタバレ】原題の意味が分かるラスト

※この節には作品の結末に触れる部分があります※

この作品の邦題は『テリー・ギリアムドン・キホーテ』だが、元々のタイトルは "The Man Who Killed Don Quixote" という。制作地獄に陥っている間に、ネットでは直訳した『ドン・キホーテを殺した男』という訳題が付けられて親しまれていた。今作の字幕翻訳は安心と信頼の松浦美奈さんなのに、珍しいこともあるものだなと思う(恐らく配給であるショウゲートの意向が強いのだと思うが)。

 

最終シーン、"ドン・キホーテ"として旅を続けていたハビエルが転落し、死の間際にトビーへサーベルを託す。アンジェリカとトビーはハビエルの亡骸を故郷へ届けようとするが、その道中でトビーが風車を巨人と見間違えて斬りかかったことから*8、アンジェリカはトビーが新たな"ドン・キホーテ"になってしまったことを悟る。トビーを"ドン・キホーテ"に変えたのがハビエルが託したサーベルか、それともハビエルに「憑いていた」何かなのかは判然としないが、ここに来て原題の意味がやっと分かる仕組みになっているのである。トビーはハビエルを社会的に殺し、間接的とはいえミシュキンの城で彼が死ぬ原因を作った。そうやって『ドン・キホーテを殺した男』が、次なる"ドン・キホーテ"になるという筋書きになっているのである。

 

 

この作品で筆者が1番素晴らしいと思ったキャラクターは、オスカル・ハエナーダ演じるジプシーだ。トビーが卒業制作の映画を見つけ、ハビエルやアンヘリカの故郷を再訪し、ハビエルの死で"ドン・キホーテ"を引き継ぐまで、所々にその姿が現れては彼の旅を引っ張っていく。正直ここまで重要な役どころとは思っていなかったが、短い出演時間の割に強烈なインパクトを残していくキャラクターで大変面白いと思った。

 

ここに来て首を絞めるのもテリーGらしい

年明け早々の1月4日、こんな記事がインデペンデントから出た。記事のタイトルだけ訳せば、ギリアムが「何をしても世界中から責められる白人男性でいることに疲れた」と述べたという話だ。記事の後半では「今自分が性転換中の黒人レズビアンだと話したら、人々は俺を攻撃するだろう、何でなんだ?」と発言してそこそこ燃えた(Twitterより、1234)。元の会話を見てみたら記者すらお口ぽかんしていて笑ってしまう。

“It’s been so simplified is what I don’t like. When I announce that I’m a black lesbian in transition, people take offence at that. Why?”

Because you’re not.

“Why am I not? How are you saying that I’m not?”

Are you?

“You’ve judged me and decided that I was making a joke.”

You can’t identify as black, though.

——from Independent.co.uk, accessed 26 Jan 2020

www.independent.co.uk

 

元々ギリアムはいわゆる#Metoo運動を痛烈に批判していた。ハーヴィー・ワインスティーン問題でも声を上げた女性たちに批判的なコメントをして、ハーヴィーを擁護するのかと大批判された。その流れにあるこの記事を読めば、これはギリアムなりのきついジョークのひとつなのだと思うが、世間はそれを許さない。世間はパイソンズで繰り広げられたブラックジョークの嵐を最早忘れ去っているのに、テリーGはまだ気付いていないのだ。この記事でも何度か書いた通り、構想がまとまった段階で映画化されていれば……と思わずにはいられない。

——テリーGのきついジョークに時代にそぐわない部分があることを擁護する気は無いが、個人的には#Metoo運動がただのリンチだというテリーGの主張にも核心を突くところがあると思う。フェミニズム運動に限らず、昨今のネット上での論戦には、互いの足を引っ張ることばかりを考えていて、「今まで私たちが辛い思いをしてきたのだからお前らもそうなるべき」とでもいうような過激思想が見え隠れすることがある(そういう論理展開をするのならば、「今まで辛い思いをしてきたのだから、あなたと同じ立場に私たちを引き上げて」だろう(勿論現実はそうは行かないからこそこういう話は難しいのだが))。テリーGが例として挙げたワインスティーン問題を擁護する気も無いし、余罪は全て明らかになって粛々としかるべきところで裁かれるべきだとは思うが、裁く職権も無いものがあれもこれもと槍玉に挙げていくのはただのリンチだと思う

 

 

この辺のツイートが面白かったというのをついでに貼っておく。確かにアンヘリカの造型を考えると、ギリアムの真意は別のところにあったのだろうなあと思う。そして何でも茶化さずにいられないギリアムの作風は、偏狭な今の社会では受け入れがたいのだ。制作に苦節30年。封切りに至るまで乗り越えたすったもんだ。それを乗り越えても自らの発言で首を絞めてしまう。つくづくテリーGらしい一作だなあと思わされてならない顛末の嵐である。

 

そういえば全く関係無いがQALのツアーで日本にやって来ているクイーンのロジャー・テイラーが日本公開を祝福していた。合わせて訃報が聞かれたばかりのテリーJのことも悼んでいる。

www.instagram.com"So good to see Terry Gilliam is keeping the flag flying high with the release in Japan of his beautiful film of Don Quixote. Especially in light of the sad news of the passing of the great Terry Jones."

 

おしまい

軽ーく書くだけのつもりだったのに、気付いたらまた1万字レビューになっていた。つくづく費用対効果と燃費の悪過ぎる記事ばっかり書いてるなあと思う。色々ありましたが『ロスト・イン・ラ・マンチャ』とパイソンズ映画から『アンド・ナウ』と『ホーリー・グレイル』を観ておくと元ネタが分かって面白いと思います。つくづくテリーGがおっ死ぬ前に完成してよかったなあと思わされる作品だった。

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ざっくりまとめ

  • テリーGが死ぬ前に出来上がってよかったよ(テリーJの訃報を聞いただけにね)
  • 構想30年苦節22年でやっとこさ出来た映画だよ
  • ジョニデ主演だった98年版とモンティ・パイソン作品の残り香を追ってるみたいだね
  • 98年版の失敗エピソードがいくつか入ってるから『ロスト・イン・ラ・マンチャ』観とくと面白いよ
  • 今となっては元々どんな脚本だったかも観たいよね
  • (上の記事では触れなかったけど)アダム・ドライヴァーの演技はキレキレでとても良かったよ

 

関連:テリー・ギリアムドン・キホーテ / テリー・ギリアム / アダム・ドライバー / ジョナサン・プライス / ステラン・スカルスガルド(ステラン・スカーシュゴード) / オルガ・キュリレンコ / ジョアナ・リベイロ / オスカル・ハエナーダ / トニー・グリソーニ / モンティ・パイソン / ドン・キホーテを殺した男

*1:映画を観る前は発表されていたキャストリストからオリガ・キュリレンコの役がそれなのかなと思っていたが、むしろアンヘリカを演じたジョアナ・リベイロの方なのかもしれない

*2:ギリアムは『ロスト・イン・ラ・マンチャ』中で「構想は10年前からあったんだ」とデップに話しているため、ここが起点と考えられるとプロジェクトのはじまりは1988年まで遡ることになる。しかしながら大失敗してクランクイン後すぐに撮影中止に追い込まれたのは1998年の撮影のため、本記事では「20年」という表記を使うこととする

*3:詳しいことはTHE RIVERさんの記事で。

theriver.jp - 2019年4月

theriver.jp - 2019年5月、カンヌでの上映決定

theriver.jp - 2019年6月、まさかの敗訴

そして今に至る訳だが、つくづくよく日本公開に漕ぎ着けたと思う……

*4:「スケッチ」というのはいわゆるコントネタのこと。『空飛ぶモンティ・パイソン』は、30分尺の1エピソードに、5〜10編ほどのスケッチ・アニメを組み合わせて作られていた。このため「書いていた」でも誤字ではない

*5:筆者イチオシのパイソン映画だが、開始早々の嘘字幕だったり、「本編が嫌いな方用」と称して『ヘンリー四世』第2部の字幕が付いてたりとなかなかぶっ飛んでる特典集である。というかソニーは何で『ライフ・オブ・ブライアン』を下敷きにした『ノット・ザ・メシア』とこれを抱き合わせにしたの……?

*6:何故筆者がギリアムの悪夢表現にこだわるかと言えば、「逃れたいのに逃れられないものが追ってくる」という筋書きが、筆者が時折見る悪夢にやたらと似通っているからである。だからこそ本作の悪夢表現は筆者にとってはある種の"真実"のようで、目を逸らしたいが逸らせない謎のものであった。勿論観客として第四の壁のこちら側にいるのだから、登場人物たちに見えないものも全て見えているわけだが、観客側にはだからこその悪夢もまたあり、それはそれでしんどい作品であった

*7:正確には"And now for something completely diffrent." 第1シリーズ・第2シリーズの人気スケッチを繋いで作られた映画第1作『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』の原題でもある。スケッチの転換時に、クリーズ演じるアナウンサーが言う台詞として有名で、日本語では「それでは打って変わって」などと訳された。

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*8:因みにこの巨人のシーンの撮影は『ロスト・イン・ラ・マンチャ』でも映されていることから、本来の意向に沿ったラストシーンなのだろうということが想像できる。そう言えば『ロスト・イン・ラ・マンチャ』には工芸品の人形が大勢闊歩してくるシーンがあったが、あれはどこに行ってしまったのだろうか

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