サム・ロックウェルのキャプテンKを語らせろ - 映画『ジョジョ・ラビット』
映画『ジョジョ・ラビット』"Jojo Rabbit"('19)で最もいい役は、と聞かれたら、多分サム・ロックウェル演じるキャプテンKことクレンツェンドルフ大尉で間違いないと思う。ジョジョが入隊するヒトラー・ユーゲントのキャンプで、酒を片手に破天荒な指導を続けるやつかと思いきや、終盤にかけてその姿ががらりと変わる人物なのである。彼を演じるサム・ロックウェルは、サーチライトが手掛けた『スリー・ビルボード』('17)でオスカーに輝くなど、この会社とも蜜月を築いている。オスカー直前企画として、そんなキャプテンKにロックオン……!
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www.youtube.com - じゃれ合う監督とロックウェル、かわいいかよ
以下、「パンフレット」と表記した場合は、「FOXサーチライト・マガジンVol.16 ジョジョ・ラビット issue」を指します。
ただの破天荒親父じゃなかった
キャプテンKはある作戦中に「完全に避けられた敵の攻撃で片眼を失い」、現在はヒトラー・ユーゲント・キャンプの教員に甘んじているという設定。初登場からその姿は少し異様で、ライフルだのピストルだのをユーゲントの子どもたちの前でぶっ放してはフロイライン・ラームにドン引きされる。
"I’ve asked it myself every day since Operation Screw-Up, where I lost a perfectly good eye in a totally preventable enemy attack."——Deadline掲載の最終脚本より(5頁)
しかしながら彼の軍服には、過去の戦功を示す多数の勲章が踊っていることが指摘されている。ユーゲントの前でもおちゃらけながら見事な射撃の腕前を示していたし、彼の戦功も伊達じゃない。
#ジョジョラビット のキャプテンKこと、クレンツェンドルフ大尉、ああ見えて軍服には二級鉄十字章、一級鉄十字章、戦傷章金賞、白兵戦章銀賞、そして戦車撃破章銀賞とかなりのやり手。
— ペプシ准将 (@pepsigeneral) 2020年1月18日
しかし最期のあのド派手な格好はなんなんだ(笑) pic.twitter.com/qmq1RpWZTj
——ここで示されてる「最期のあのド派手な格好」に関しては後述
サム・ロックウェルが演じる、ただの破天荒に見えて実はスゴいやつ……筆者には最早既視感しかない。勿論あいつである。『銀河ヒッチハイク・ガイド』のゼイフォードである。
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『銀河ヒッチハイク・ガイド』とは何ぞや
『銀河ヒッチハイク・ガイド』はこのブログでも何回か紹介しているが、2005年に製作されたイギリス映画である。元はダグラス・アダムスの同名小説を下敷きにしており、アダムズは映画版の脚本にも大きく関与していた(執筆中に急逝したため事実上の遺作である)。ブリティッシュジョーク全開の原作はカルト的人気を誇っており、映画版でもスティーヴン・フライがナレーションを務めるなどイギリスコメディ界が全力を挙げて制作した作品となった。アラン・リックマン、ビル・ナイという名優が出ているのが本当に解せないほどである*1。
サム・ロックウェルがこの映画版で演じているのは、誰彼構わずいい顔をしてはサインを押しつけていく銀河帝国大統領ゼイフォードである。ほんと誰彼構わず色目を使う。大統領としての書類もサイン色紙だと思っててろくすっぽ読んでない。この作品は、朝起きたら自宅と一緒に地球まで消し飛ばされた地球人アーサー・デントが流浪の旅に出るという枠組みなのだが、その道中にゼイフォードが加わるだけでもとんだカオスになるのは容易に想像できると思う。最早アーサーが故郷を取り戻せる気すらしない(笑)。
ゼイフォードは普段のロックウェルとはかけ離れた人物だと思うが、こういう振りきった役は彼の十八番であって、オスカーノミネートも獲得した『バイス』でのブッシュ大統領役にも似たものを感じる*2。最早ゼイフォード役と『スリー・ビルボード』のディクソンが同じ役者だと言われてもほんとわかんない。本人も「誰も観ないような映画にたくさん出演してきたから」と自虐していたと言うが(パンフレット44頁)、そういった小さな積み重ねが、演技の神様に愛されたとしか思えない今のキャリアに繋がっているのである。というわけでおバカ元首ゼイフォードが大活躍してんのかしてないのかわかんない映画版、どうか観てやってくれよな。ところで何でアマプラには吹替版しかないんですか……?
サーチライトとの蜜月
さっきもちらっと話が出たが、ロックウェルとサーチライトとの関係は『ジョジョ・ラビット』が初めてではない。サーチライトは自社作品に出演した名優や映画制作者を次回作でも起用する傾向にある。何ならワイティティもサーチライトからの次回作が決定している。
ロックウェル×サーチライトの組み合わせで最も成功した映画と言えば2017年の『スリー・ビルボード』だろう。ロックウェルはうだつの上がらない中年警官ディクソンを演じ、貧困に喘ぐ中レイシスト発言を繰り返す荒廃ぶりと自身の救済に至るまでの演技が高く評価され、アカデミー助演男優賞などを含む各地の映画賞を総なめした。
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パンフレット44頁でも、そんなロックウェルとサーチライトとの蜜月ぶりが特集されている。最初の登場は99年の『真夏の夜の夢』 で演じたフランシス・フルート。以来パンフレット掲載だけでも8作品に出演している。ヒラリー・スワンク主演の『ディア・ブラザー』('10)では、無実の罪で投獄される主人公の兄を演じている。軽妙な役を演じている時でさえ、人間の奥底に眠る闇を演じるのが上手い俳優なので、是非他の作品もチェックしていただきたい。
深くは語られなかったある事実
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www.youtube.com - そう言えばこのシーンに出ている「クローン」はローマンくんの双子の兄弟
キャプテンKはナチの軍人なのに大分異質な人物だ。戦時中にあって華やかに着飾ったジョジョの母ロージーにやたらと親近感を感じている。ナチの人物なのに、彼女が処刑された後、ジョジョに寄り添って慰めるのは彼だ。ジョジョのことは何かと気に掛けており、ゲシュタポがベッツラー家に乗り込んできた時も、エルサの窮地を救うのは彼である。そしてラストシーン、キャプテンKは自ら描いたデザイン画通りのド派手な軍服を着て果てていく。どこまで行っても異質である。最早ラストシーンの衣装など、派手好きなゼイフォードの服装を思わせるくらいだ(だからこそこの記事で『銀河ヒッチハイク・ガイド』を取り上げたのである)。
しかしながらその人物背景にはある設定が隠されていた。台詞で明示されることはないが、キャプテンKには「ナチスに幻滅したゲイ」という設定が与えられているのである。この話はロックウェル自身も日本向けインタビューで明言しているし、海外メディアでも深く考察されている。
www.banger.jp - 自身の演技論についても語る良インタビュー
この次のツイートでsailさんが示したワイティティのインタビューで、彼は「キャプテンKは戦前ならキット・カット・クラブや類似の店に通っていたような人物」と語っている(Why Taika Waititi's 'Jojo Rabbit' Includes a Queer Storyline | Jojo Rabbit Interview | Raffy Ermac - YouTube、該当部分は2:47〜)。ワイティティの言うキット・カット・クラブ(KitKatClub)というのは、1994年にベルリンに作られたナイトクラブのことだが、創始者がポルノ監督ということもあり、単なるナイトクラブというよりはLGBTQにも開かれている場所だし、平たく言えば各自の性に対して大分奔放なクラブである*3。質問に答える中で、ワイティティはこの設定の意味について、戦時中であったとしても様々な背景を持つ人物がいたはずだという思いで付け加えたものだと述べている。
『#ジョジョラビット』
— sail (@hysknttnkk) 2020年1月18日
キャプテンKの人物像が、初見時に感じたものからどんどん深くなっていく。彼のセクシャリティについて分かる描写が控え目ながらあることから、彼がユースキャンプで戦況に触れた言葉や、ステレオタイプな党員とはかなり異質な態度、とある非協力的な行動の理由が分かってくる。 pic.twitter.com/Z23NJ00yB2
そういう意味で読むと興味深いのが長谷川町蔵氏のツイートだ。確かにヴァイマル時代*4は多くの芸術が花開いた時期で、時代の名前を取って「ヴァイマル文化」とも呼ばれる。その後に続いたナチス・ドイツは、揺り戻しのように「退廃的」な芸術を弾圧し、ヨーロッパ中で多くの芸術作品を強奪しまくったことでも有名だ。ロージーにヴァイマル時代を謳歌したと豪語させ、美しい化粧を施して画面上でヴィヴィッドな印象を残したのと同様(この話は既に拙記事で特集済)、キャプテンKのひそやかな設定にも、彼女と対になるようなヴァイマル時代の影があったのだなあと思わされる。(※但し、男性同性愛自体は刑法175条によって公には禁止されていた。この条文はドイツ帝国樹立後の1872年から東西統一後の1994年まで実に100年以上も有効であり、ヴァイマル時代でも勿論有効だった条文である)
ワイマール時代はLGBTに寛容な時代でもあった。(おそらく)職業軍人でありながらこの頃、解放感を感じていただろうクレンツェンドルフ大尉は、同じ時代に青春を過ごした者としてスカヨハに密かにシンパシーを抱いていた。それが命をかけてジョジョを庇う行動へと繋がっていくのだ。 pic.twitter.com/ccaDsDEyWC
— 長谷川町蔵 (@machizo3000) 2020年2月2日
更にキャプテンKが描いていたイケイケな軍服のデザインにも隠された設定がある。Teatro dell'asinoさんの指摘通り、フィンケルの帽子に付いているのは、男性同性愛者の識別に使われた「ピンク・トライアングル」だ。よく見るとキャプテンKも美しいアイメイクをしている。今でこそLGBTQを扱った作品は花盛りで、彼らの権利もよく議論されてはいるが、この当時はある意味「無かったもの」として強く抑圧されていたのだということを端的に示すシーンだと思う。負け戦だと分かったからこそ、キャプテンKとフィンケルは一張羅で戦場に赴くのだ。このシーンも今思えばロージーのファッションと対になっているのだなと思わされる。
ジョジョ・ラビット、フィンケルが敢えてピンクの下向きの▽をつけてる。
— Teatro dell'asino (@robasuke2015) 2020年1月19日
ナチスが同性愛者も迫害して強制収容していたことは有名ですが、その時男性同性愛者に義務付けられた識別胸章でした。ナチがやったことを一つ一つ皮肉ってる映画ですけど、これもそのひとつ。https://t.co/YYMkFR9VSk pic.twitter.com/ax6RVxz4tB
なぜキャプテンKはナチであり続けたのか
あちこちでこの作品への反応を見ていて、ちょっと考えさせられたのがこの引用である。元の記事をゆっくり読むと、筆者であるエステル・ローゼンフィールドは、ワイティティのクィアに対する考え方はあまりに前時代的だと切り捨てている。そして、最後の行動こそ自己犠牲的で美しく見えるが、彼がヒトラー・ユーゲントのキャンプで戦争のためのすべを教えていたという事実は、決して消えない汚点だし、ナチであるという事実を曲げることはできないのだというようなことを書いている。
"He goes from being an irresponsible drunkard to a compassionate savior, but never once does he stop being a Nazi."——Esther Rosenfield, 'How Jojo Rabbit’s Gay Nazis Denigrate Queer History'
海外の方のジョジョラビの考察でなるほどなーって思ったものを耳が痛くてたまらないけど引用
— るび/つうはん中 (@rubyrubidium) 2020年1月30日
「クレンツェンドルフ、彼は無責任な酔っ払いから最後は慈悲深い救世主になるが、彼はナチであることをただの一度もやめなかった」https://t.co/NTf5RiG1b6
確かにこの意見にはもっともな部分も多いと思う。筆者だってエルサとジョジョを救ったキャプテンKの行動が、ナチとしてヒトラー・ユーゲントを指導し、戦地へ赴かせていたという事実を帳消しにするものではないと考えている。ジョジョは飽くまで「偶然」助かった子どもなのだ。そして酸いも甘いも持つ人間性が、キャプテンKをキャラクターとして深くしているのではないかとも考えている。
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こういう話を読んで筆者が考えずにいられないのは、東ドイツ崩壊直前を舞台に、東西に引き裂かれた家族を描く『グッバイ、レーニン!』"Goodbye, Lenin!"('02)だ。主人公一家は、医師だった父のみが西ドイツに、残りの家族が東ドイツで暮らしている。父の亡命を機に母は秘密警察から厳しい追及を受け、憤慨して当局に見せつけるように熱心な社会主義運動家として過ごすようになる。息子で主人公のアレックス*5は軽い気持ちで反体制デモに参加し、偶然目撃した母が卒倒して看病生活になる……というのが主なあらすじだ。
思い出すだけでも胸が詰まる作品だが、折角なのでネタバレを書いてしまうと、母の行きすぎた社会主義は、東ドイツ側に残された家族を守るための隠れ蓑だった。物語の中盤、父の亡命に隠された秘密を知ったアレックスは、父は家族を棄てたのではなく、今でもひとり西ドイツに逃れてしまったことを深く後悔していると知る。その時画面のこちら側の人間たちは、母の行動が、父の失敗による秘密警察の粛清の危機から子どもたちを守るためのものだったことを悟るのである。
筆者は『ジョジョ・ラビット』のレビュー記事に「生きてこそ」というタイトルを付けた。この作品は、どんな手段を使ってでも、最後まで生き延びたものこそが勝ちなのだというメッセージを持っている。キャプテンKがずっとナチで居続けたのにも、そういう背景があるのではないかと思う。
確かにキャプテンKは架空の人物である。その人物造型は実際のナチ将校とは全く違うし、実在の人物として扱うことはできない。しかしながら、敢えて当時の社会情勢を考えながら彼の行動を振り返ってみる。彼はゲイという当時差別されていた集団の一員だ。そのままでいればなぶり殺される可能性がある。キャプテンKは生き延びて自由な時代に生きるための道として、ナチに入って忠実な軍人として働く道を選んだのではないか。多くの若者を戦地へ送り込んだ責任は逃れられない事実だが、彼にとっては、「周囲から異質なものと思われないこと」が最重要だったのである(その割にはフィンケルと大分仲睦まじくしているが)。今から顧みればナチは異質な危険分子だが、当時は政権与党だったのだ。
振り返って『グッバイ、レーニン!』だが、母クリスティアーネの行きすぎた社会主義は、作中でもやり過ぎたものとして明示されている。最初こそ隠れ蓑であったが、母は絶望から啓蒙活動にのめり込み、多くの少年少女たちを指導して社会主義へ導いた人物なのだと。彼女の行動は、息子であるアレックスにも、観客側にも、全ては理解しきれないものとして提示されている。しかしながら、それは彼女が生き抜くための道だったのだ。キャプテンKの場合も同じだろう。クィアとしての描き方に瑕疵があることと、彼がナチで居続けたこととを絡めて論じるべきではないと思う。
ロージーにしろ、キャプテンKにしろ、そして空想上のヒトラーにしろ、この作品の大人たちは皆「生きてこそ」というこの一点に失敗した。対して、ジョジョ、エルサ、ヨーキーという主要な子どもたちは皆生き残るのである。何がために両者の運命が全く違うものになったのか、それを考えるのもこの作品の見どころだろうと思う。
おしまい
作品は映画館で絶賛公開中! アカデミー賞授賞式まであと少し! GIPHYには、今回もサーチライトさんから可愛いGIFが沢山上がってます(Jojo Rabbit GIFs - Find & Share on GIPHY)。ScreenRantから"15 Things About The Making Of Jojo Rabbit You Never Knew"という小ネタ記事も出ているので是非読んでね。
関連:ジョジョ・ラビット / タイカ・ワイティティ / ローマン・グリフィン・デイヴィス / トーマシン・マッケンジー / レベル・ウィルソン / スティーヴン・マーチャント / アルフィー・アレン / サム・ロックウェル / スカーレット・ヨハンソン / クリスティン・ルーネンズ / FOXサーチライト
*1:詳しいことはここでどうぞ☞
mice-cinemanami.hatenablog.com
*2:そう言えばこっちもおバカ大統領って言われてたなあ(大失言)。『バイス』でのブッシュ大統領はクリスチャン・ベイルに勝るとも劣らない化けぶりだったと思うし、役柄によってがらりと印象を変えてしまうのが彼の凄さだ☞
*3:ちらっと調べたけど、何ならそこらでセックスしてても自由みたいな話すらある。実際の様子を映した動画があったので、興味のある方はどうぞ☞
*4:1919年のヴァイマル憲法制定後のドイツを指す。ヴァイマル憲法は第一次世界大戦の敗戦後作られた憲法
*5:ちなみにこの作品はダニエル・ブリュール最大の出世作である。つくづくこの作品をドイツ語の時間に見せてくれた先生には感謝の気持ちしかない