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【ネタバレ】映画『ファーザー』の物語的真実

今回は『ファーザー』"The Father" ('20)関連記事第2弾である。認知症に苦しむ老齢の男とその娘たちを描いた作品で、アンソニー・ホプキンズが『羊たちの沈黙』以来実に30年ぶりのオスカーに輝いた。この作品はホプキンズと同じ誕生日・名前の主人公の一人称視点で語られるので、物語的真実は主人公の視点によってマスクされ、最後までよく分からないままとなっている。大分分かりにくいところが多いと思うので、この記事で整理しておきたいと思う。

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※この先では映画の物語的真実を列挙しています※

  

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アンソニーの家族構成

▶妻とは離別している

 アンソニーの妻ポジションの人物は作中1度も登場しない。単に死別している可能性もあるが、舞台がイギリスなので大昔に離婚しているかもしれない。

 

▶実子がふたり

 ひとりはオリヴィア・コールマン演じる長女アン。途中別の女性(演:オリヴィア・ウィリアムズ)に姿がすり替わるシーンがあるが、結局老人ホームの介護人と実の娘をアンソニーが取り違えていただけであることが分かる(ラストシーン+アンが「わたしの顔すら分からなかった」とぼやくシーン)。

 アンの下には次女ルーシーがいた。絵が上手く、アンソニー自身のフラットの暖炉上に「ピルエット」という絵が飾られている*1。ところが、彼女は既に亡くなっていることが繰り返し示唆され、最後にはどうやら事故死したらしいということが匂わされる。アンは唯一の肉親として父親を献身的に介護しているのだ。

 

▶エンジニアだった

 昔はタップダンサーだった、サーカスのマジシャンだった、などとアンソニーは述べているが、アンの話によればエンジニアだったというのが真相。タップダンスもマジックも得意だったかもしれないが、きっと昔の夢で終わったに違いない。認知症の場合昔の記憶の方が鮮明なので、実際に就いていた職業より幼少期の夢の方が記憶に残っているのかもしれない。

 

アンの人生

▶離婚歴がある

 原因は分からないがアンには離婚歴がある。前の夫の名前はジェームズだ。アンソニーは「最初から似合いの夫婦ではないと思っていた」とアンに詰め寄るが、これは本当にそう思っていたのか、それともアンが離婚した時の慰めを誤解してしまったのか*2判別できないと思う。とにもかくにも彼女には離婚歴がある。

 

▶現在の夫

 アンには現在ポールというステディがいる。イギリスだし再婚だし高齢の父に移住の許しを請う段階なので、正式に結婚したかどうかは分からない*3

 アンソニーがアンの夫に詰られ、虐待されるというシーンは、明らかに真実ではないと思う。ポールについていってパリに移住する、というのは事実だが、ロンドンでポールが彼女のフラットに転がり込んで同居をしていたかどうかは定かでない。寧ろポールはたまにアンの元にやってきて、「父の介護をひとりでするのは無理なんじゃないか」と説得していたくらいなのではないかと思う(この辺は最早筆者の所感である)。アンソニーがそんなポールに「虐待された」イメージを繰り返すのは、恐らく自分の認知症がアン自身の人生を蝕んでいることを、心のどこかで自覚しているからだろう。娘を束縛する自分を詰る気持ちと、そんな娘に父を施設へ入れるよう説得するステディの存在が、ああいう妄想になってアンソニーをさめざめと泣かせているのだと思う。出来ないことが増えて娘の手を掛ける自分と、それを献身的に支える姿とが悲しい対比だ。

 

▶パリへ

 物語の最終盤になって、冒頭アンが訪ねてきたシーンは、決意をして父を施設に入れたシーンなのだと分かる。ブラックキャブに乗るのも*4介護施設が裁判所なんかというくらい見事な石造りの建物なのも、ロンドンらしいカットでぞくぞくするが、実際のアンはパリへ旅立とうとしている。作中その理由はステディのポールがパリで生活しているため、と言われている。実際にパリとロンドンはユーロスターで2時間半くらいの距離だ。

 アンが移住を告げるシーンで、アンソニーが「英語も通じない国で!」と言い出すのは本当にありそうなブリティッシュ(ブラック)ジョークである(笑)。ゼレール監督はフランス人のはずだが、ロンドンらしいショットを入れたり、如何にもイギリス人らしい格好と教養とジョークを混ぜ込んだりと、実はイギリス人なんじゃないかという演出を繰り返している。

アンソニーの住まい(の変遷)

 アンソニーが結局どこに住んでいるのかはラストシーンまで秘匿される謎だが、アンソニーが事実に困惑している一方で、事実がどうだったのかというのは注意深く考えれば分かるようになっている。

 

▶1. アンソニー、自己所有フラットで介護人と揉める

 恐らくはアンソニーの物盗られ妄想が原因で(時計の話をひたすらに繰り返していたのできっとそうだろう)、数人の介護人が入っては辞め、入っては辞め、を繰り返す。この生活が終わりを迎えることになったのは、5人目(?)の介護人アンジェラの解雇事件が原因だ。

 娘のアンにも自分の生活、ひいては仕事があり、自分で面倒をみるのは難しい状況だったはずだ。しかしながら、どんなにいい人を見つけても解雇に至ってしまう父に心を痛め、結局は自宅フラットに引き取ることになる。恐らくこの時に、アンソニーは「自分のフラットから去りはしないぞ!」と声高に宣言していたのだと思われる。そういう描写は何回も繰り返されているが、結局はアンが何とか宥めてなのか、それとも無理矢理引っ張ってなのか、自分のフラットへ連れて来た。

 

 イモージェン・プーツ演じるローラはとても魅力的だが、彼女が実在の人物なのかどうかは分からない。オリヴィア・ウィリアムズ演じる老人ホームの女性介護人の名前は、結局「キャサリン」だった。もしかしたらローラは本当にアンジェラの次の人に、と面接に来た介護人なのかもしれない(その場合アンソニーが難癖を付けて結局採用には至らなかったのだろう)。もしかしたらこの物語で意図的に排除されている妻の具象なのかもしれない

 

▶2. アンソニー、長女アンのフラットへ移る

 介護人解雇騒ぎが繰り返されたことで、アンは新しい介護人を見つけることに苦労するが、結局いっときの繋ぎとして自分のフラットへ引き取ることにする。作中、アンソニーのフラットとアンのフラットの違いを表現するために、ドアのカットが挿入されているのがぞくぞくするくらいいい演出だ。

 恐らくこの時に、パリからアンの元へ訪れていたポールとちょくちょく出会っていたのだろう。ポールは献身的なアンのことを思って、君の人生があるのだから根詰め過ぎては駄目だと諭すのだが、アンソニーがうっかりこの話し合いを目撃してしまい、何度も繰り返される「虐待のイメージ」へと繋がっていく

 

▶3. アンソニー、老人ホームへ入居する

 先述の通り、冒頭でアンが訪ねてきたシーンは、彼女が父を老人ホームへ預けた際のものだった。ラストシーンでやや悲しげにブラックキャブに乗るコールマンの表情がとてもよい。

 そして物語的真実はここにある。アンソニーは自分のフラットにいたと勘違いしていたが、実際にはホームに入居して数週間経っていた。アンは既にパリへ移住しており、週末に何度か訪ねにくるくらいである。彼が娘の夫だと思っていた男(マーク・ゲイティス)は施設の職員だったし、娘と勘違いした女(オリヴィア・ウィリアムズ)は、彼を担当する介護人だった。自分で身の回りのことはできていた頃と違い、現在のアンソニーは何をするにも介護人の手助けが必要な状態だ。日にちの感覚はとうに失われ、週末にしか来ない娘と毎日世話をしてくれる介護人の姿が重なってしまう。下の娘の思い出は残っているが、その死はとうに忘却の彼方である。ホームのシーンの直前で出てくる「パジャマのまま夕刻になってしまった」という描写は、施設で毎日パジャマのまま生活していて、昔のようなぱりっとした格好はしていないということだろう。残念ながらこういう生活は、アンソニーの日付感覚を余計に狂わせてしまう。

 

 アンソニーはそんな施設の中で、自らが長年過ごしたフラットでの記憶、去って行った娘の記憶と、現在置かれた状況との見境がつかずただひたすらに戸惑っている。そして、おぼろげな正気の中で、自分に出来ないことが増えていくのを悲しみ続けているのである。

 

おしまい

映画『ファーザー』はショウゲート配給で2021年5月14日公開。お近くの映画館でまだまだやっているはずなので、是非映画館に足を運んでいただきたい。

 

関連:ファーザー / アンソニー・ホプキンズ / オリヴィア・コールマン / マーク・ゲイティス / イモージェン・プーツ / フローリアン・ゼレール

*1:なおこのピルエットとはバレエの回転技を示す単語。ミュージカル『キャッツ』のミストフェリーズのシーンではこの回転技が多用されていて職人芸になっている☞

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*2:イギリス人なので「あんなやつなんて最初からお前には似合わなかったんだ! 離婚してせいせいしただろ」くらい慰めていた可能性はある

*3:イギリスは結構パートナーという形で事実婚しているカップルが多い

*4:ブラックキャブと言えば『SHERLOCK』S1E1ですね!!!!!え? 違う?☞

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