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SIDSの原因が分かったかもしれないというあれ

各所を賑わせていたあれを、少しだけ。

SIDS; sudden infant death syndrome(乳幼児突然死症候群)の原因が分かりましたという話がぐるぐる回っていた。シドニーのこども病院から出た報告で、実はちょっと専門分野なのでどきどきわくわくしながら読んだ。

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実際の論文はこれ。BChE; ブチルコリンエステラーゼ(分解酵素のひとつ)がSIDSのバイオマーカになるのではないかという論文だ。ランセットの姉妹誌に掲載されている。

Harrington, CT. et al. "Butyrylcholinesterase is a potential biomarker for Sudden Infant Death Syndrome." eBioMedicine (Part of The Lancet Discovery Science), Volume 80, June 2022, 104041, ISSN 2352-3964, https://doi.org/10.1016/j.ebiom.2022.104041

 

論文の中身の話

簡単に言うとこんな話。

中身は症例対照研究(case-control study)。

SIDS児に年齢(月齢)と性別をマッチさせた上で、10人のcontrol(対照例)をマッチさせた(10倍法はケースマッチではよくある手法)。

新生児マススクリーニング(ガスリー法)に使われる濾紙を使って、BChEを抽出、その活性を見た。

SIDSでない乳児死亡例では症例/対照群でのBChE活性に大きな差はなかった。

SIDS群では有意にBChE活性が低かった:mean±SDで7.7±3.6 vs 5.6±2.1 (p=0.0014)。

 

BChEはAChEとならぶコリンエステラーゼであり、脳内でACh量の維持に関与している。自律神経系のACh量調節に寄与し、プレシナプスでのACh量調整に関与している可能性。脳幹(※SIDSの病因は脳幹でのCO2濃度detectに異常があるとの説が根強い)でも発現している。

 

まとめ:SIDS群ではBChEの活性が有意に低かった。BChE活性低下はACh調整に影響し、SIDSの病因となっている可能性がある。複数の動物実験などで、SIDSの誘因である煙草の副流煙曝露が、BChE発現量に影響を与えるとの報告があり、関連がある可能性がある。

 

前提として、SIDSの話

この話が日本語で回り始めた時、「SIDSは乳児死亡因の第1位なので〜」という言説がやたらに見られた。確かにそうなのだが、法医学屋さんとしてはちょっとやりきれない思いがある。個人的には「SIDS消滅すべき診断名」だと思っているくらいなので。

 

厚生労働省から出ているSIDSの診断ガイドラインには、症例定義として以下のような文面がある。

それまでの健康状態および既往歴からその死亡が予測できず、しかも死亡状況調査および解剖検査によってもその原因が同定されない、原則として1歳未満の児に突然の死をもたらした症候群。——「乳幼児突然死症候群SIDS)診断ガイドライン(第2版)」

こちゃこちゃ書いているが、解剖してもよく分からなかった急死例、というのがその症例定義だ。残念ながら解剖しても全てが明らかになるわけでなく、特に乳幼児ではその傾向が強い。解剖して死因を明らかにできなかったというのは法医学屋さんとしては悔しいし、死因不明は減らせるものなら減らしたいので、やはりやりきれなさが残る。

 

乳児死亡因の第3位だが

ところでSIDSは乳児死亡の原因として大きなものを占めるが、定義上、1歳以上の児ではSIDSと診断し得ない。乳児以外でSIDSと診断されることはない。正直1歳付近の症例ではちょっとファジーに扱っている部分はあるが(たしか)。

 

もうひとつの問題が、日本の乳児死亡率は世界トップレベルに低いということである。令和2年の人口動態統計を見ると、SIDSによる死亡は95人/年(出生数は84万人、乳児死亡は1512人)、前年の統計でも78人/年(出生数は86.5万人、乳児死亡は1654人)である。日本で生まれて1年以内に亡くなる赤ちゃんは0.18%だが、この数字は長年大きく変わっておらず、おまけに世界トップレベルだ。

その上で年齢階級別死亡率を見ると、0歳では次のようなランキングになる(データは平成21年とやや古いが)。

  1. 先天奇形、変形及び染色体異常 35.1%
  2. 周産期に特異的な呼吸障害等 14.1%
  3. 乳幼児突然死症候群 5.7%
  4. 不慮の事故 4.9%

はっきりしたことを言うと、ランキングの上位は、最早現在の医療の限界である。

周産期医療の発展で、今までは救命し得なかった子も救命できるようになった。今までなら周産期に命を落としていたはずの染色体疾患の子も助かるようになった。乳児死亡でも、「昔なら助からなかったのにね」という子もそれなりにいる。

 

また、SIDS自体は1990年代の「うつぶせ寝を防ごう」キャンペーンで如実に数が減っているものの、ベースの乳児死亡自体が日本ではごくごく少ないので、パーセンテージとしては多くを占めてしまう。割合マジックというあれである。

 

ゴミ箱診断

もうひとつはSIDSが未だにゴミ箱診断であるという事実である。原因の分からないものを完全に予防することはできない。

 

先程症例定義を示したが、SIDSは除外診断的に付けられる病名である。除外診断というのは難しい。悪魔の証明をはらむからである。この辺は医療者ならみんな持っている感覚だ。

 

去年の小児科学会だったと思うが、SIDSの症例のコホートで、致死性VTを起こす遺伝子を同定したという内容が報告されていた。国内随一の小児病院で遺伝子検査のコホートが走っているという話だったと思う。でも正直筆者は「これがSIDSの原因」というのはおかしいと思う。それは致死性不整脈と分かったのだから切り分けられるべきだ。(実際今回の論文も同じことに触れている)

 

今回の論文のようなBChEの遺伝子異常も、それが死因に大きく影響を及ぼしているならば、それはBChE関連疾患として切り分けられるべきだ。何故なら「原因はひとつ分かった」わけだから。

 

ごちゃごちゃ書いたが、ゴミ箱診断になっているSIDSにおいて、「現在は死因が突き止められない」症例がいくつも混じっているというのが真実である。例えば全ゲノム解析をしたら何かが見つかるのかもしれない。上手く解剖をして、特殊染色をしたら分かるのかもしれない。分子生物学的分析をすれば分かることもあるかもしれない。でも、解剖ではそれらは表に出て来ないので、全てSIDSとして引っくるめられる。これが今の問題点である。

 

正直この論文は、切り分けられる疾患群の一端を作っただけだと思う。

SIDSの原因としては、以前より中枢神経系のCO2貯留センサーが破綻していて、うつぶせ寝での窒息に気付けないのではないか、という仮説が唱えられていた。その解明の一助になる可能性はあるが、これが原因の全てとは思えない。

また国内でコホートが走っている通り、解剖ではdetectできない致死性不整脈が中に紛れ込んでいる可能性もある。はたまた我々が知らない原因がまだ紛れ込んでいるかもしれない。

 

おしまい

筆者らもちゃんと書いていたが、この論文ひとつでSIDSの原因が全て解明されたわけではない。ひとつ可能性が見つかったという程度である。

 

今回の論文のように、新生児マススクリーニングという誰しもが通る道を使って研究するというのはよいかもしれない。できることならば前向き研究で、全ゲノム解析;WGSなどもできればよいのだが。また新生児期から乳幼児期にかけて、血液などを保存検体とできればよいのかもしれない。SIDSは日本でも年間100人/80〜100万人に満たない死亡数なので、大規模コホートでも、detectできるのはせいぜい1〜2人であろう。healthy cohortでも見つけがたいとすると、残るは全人口前向きコホートなのだろうか?(新生児マススクリーニングはその一助になるわけだが……)

 

 

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