オスカーノミネート発表前にどうしても観たかった『ROMA/ローマ』"Roma"('18)を観た。観終わった直後で、ヤリッツァ・アパリシオ(主演)とマリーナ・デ・タビラ(助演)の女優賞ノミネートも飛び込んできた(ノミネートの全容はOscar.go.com、シネマトゥデイにて)。どうやら今年は完全に『ROMA/ローマ』の年となりそうだ。
思えばこの作品は色々な「枠組み」を越えた一作となった。Netflix配信であったためにカンヌから締め出されたが、その後の映画祭・映画賞で高く評価され、定額配信サイト(ストリーミングサイト)制作作品の是非を問いただすこととなった。また、全編スペイン語とミシュテカ語(メキシコ先住民族の言葉)で作られた「外国語映画」ながら、作品賞・脚本賞・監督賞といったメジャー部門も数多く受賞しており、「英語vsそれ以外」というハリウッドが作ってきた図式に特大の疑問符を突きつけることになっている*1。
indietokyo.com - 作品背景などもまとめた良記事なのでご一読を
- 作品背景
- 白黒なのに、ただただ美しい
- 物語の歩みを進めるのは、生活音
- 穏やかな生活は、静かに大変革した
- 見事なスクリーン上の対比の数々
- メキシコ人監督たちの密かなつながり
- 先住民族との格差
- エンドロールの言葉の意味
- Netflix
作品背景
舞台は1970年から1971年のメキシコ。クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)はオアハカ州出身の先住民族ミシュテカだ*3。彼女はメキシコシティで、医師のアントニオ、元生化学者のソフィア(マリーナ・デ・タビラ)夫婦の家政婦として働いている。夫婦は4人の子どもと老いた母テレサと暮らしており、更にミシュテカの家政婦アデラと運転手を雇っている。ある日クレオは、アデラから紹介されたフェルミンという男と知り合って……
www.netflix.com - 日本語字幕ありなのでご安心を
白黒なのに、ただただ美しい
作品は全編白黒で撮り下ろされているが、ただただ美しい。元の色が見えるのではないだろうかと思わせるくらいの映像だ。メキシコシティに照りつける強い日差しが作る、明確なコントラストがありありと分かる。また、終盤ソフィア一家が訪れるトゥスパンのビーチも、荒れ模様のはずなのに光量が調整されていてとても綺麗に映っている。白黒だろうが、美しい色というものは存在するのだと思わされた映像だった。そう言えばテクニカラーで撮影したようで、白黒映像とはいえ大進化を遂げているのだと感じた。
そんな映像ながら、これをカラーで観たいかというとそういうわけではない。この映像は様々なバランスを保って立っているのだ。今作でキュアロンは、長年の盟友エマニュエル・ルベツキと別れて制作し、自ら撮影監督を買って出たが、このバランス感覚はルベツキとの共同制作の中で養われたものだったのだろうか。キュアロンはBAFTAやオスカーなどで撮影賞にもノミネートされているが、さもありなんという映像だったように思う。
物語の歩みを進めるのは、生活音
この作品には、実は映画音楽らしい映画音楽が存在しない。劇中流れる音楽というのは、クレオやアデラが仕事中に聞いているラジオ、マーチングバンド*4、店でかかるテレビ、そして車中のラジオくらいで、この映画のために作られた音楽というのは皆無に等しい。
そういう隙間を埋めているのは、登場人物たちの生活音だ。鳥のさえずり、犬の鳴き声、車の音、子どものはしゃぎ声、物売りの声……そういったものが、静かにかつ着実に物語を進めていく。このテンポ感は、脚本全体の進み方とそっくりだ。
その力が最も良く分かるのは、オープニングとエンドロールだ。どちらも同じような映像が流れ続けるだけで(前者は床に水を撒く様子、後者は一家の中庭から見上げた空)、エンドロールに至っては雲をよく見るとただの静止画である。しかしながら、そこに生活音が重なるだけで、何故か物事が進行している気にさせられてしまう。そしてこれは、作品のテンポを暗示するシーンにもなっている。
There are periods in history that scar societies and moments in life that transform us as individuals. pic.twitter.com/TOBHcvGb7T
— Alfonso Cuaron (@alfonsocuaron) July 25, 2018
——キュアロンによるティーザー予告。オープニングシーンを編集し直したものだろう
普段は聞き流しているような音ばかり使われているから、ややもすればあちこち聞こえないままで終わってしまうかもしれない。だからこそこの作品では、敢えてとびきりの音響設備を使って、没入するように観てほしいと思う。細かい音すら聞き逃すのは勿体ない。是非耳をそばだてて観てほしい。劇中の「師」のように。
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穏やかな生活は、静かに大変革した
※この節には物語の核心に触れる部分があります※
この作品は、終始穏やかな生活が流れているように見えて、最初と最後ではそれが大きく変化している。確かにクレオはずっとソフィア一家の家政婦として堅実に働いているが、その間に彼女は妊娠・出産という女性の人生における大事件を経験しているし、ソフィアは夫アントニオを家から追い出すことになる。また外では政府に反対したデモの結果多数の死傷者が出るが、直後のクレオの出産で矮小化されてしまう。矮小化というのはこの作品の大きな鍵だろうと思う。
徹底して父親不在の物語
この理由については色々考えられるが、1番大きいのは、きっとこの作品に「父親」という存在が見当たらない事ではないかと思う。
この作品で1番影が薄いのはソフィアの夫アントニオだ。彼には徹底して、自分が中心になるショットというものが与えられない。1番映るのは大きすぎるフォード・ギャラクシーを駐車場に入れるシーンだが、ここでもカット割りが随分計算されていて、アントニオが正面から映るシーンというのはほとんどゼロである。引っかかるサイドミラー、駐車場の壁、そして彼が操作するシフトレバー、彼の吸う煙草と灰皿、そして車のエンブレムといった具合で、まるでシーンの主役が車であるようにすら見える。次に映るのは翌朝の食事シーンだが、画面の真ん中にいて食事を摂っているにもかかわらず、子どもたちの声にかき消されてしまってシーンの主役になることはできない。そしてそのまま「ケベック」へ向かい、画面上から退場してしまうのだ。
1番主体的な姿が描かれるのはクレオが担ぎ込まれた病院でのシーンだが、当然ながら陣痛真っ只中のクレオに観客の集中が注いでしまうので、彼はここでも主役になれないのだ。
もうひとり「父親」になるべき存在のフェルミンにも同じようなことが言える。彼が中心となって映るのは、素っ裸で見せる剣舞のシーンが最初で最後だ。このシーンでの彼が素っ裸というのも何だか滑稽な印象がある。その後、フェルミンの画面上での扱いはどんどんと小さくなり、端っこ端っこへと追いやられるようになる。映画館のシーンで主役なのは当然上映されている映画だし、剣術の鍛錬のシーンでは大勢いる訓練生のひとりとしてしか映されない。クレオに呼び止められて一瞬だけ中心になりかけるが、その後は悪態を吐いて訓練生たちが乗るトラックの荷台へ戻っていってしまうのである。最後に会うシーン(家具屋のところだ)ですら、彼のことをしっかり認識するのはクレオだけであって、その他の人物にとっては「大勢の中のひとり」である。
更に、この作品では「最初からいない父親」も存在する。一家には祖母テレサは存在するが、祖父は既に亡いようで登場しない。また、クレオはアデラから実家の土地が政府に奪われたようだと聞かされるが、そこでは「(クレオの)母親の土地が政府が接収された」と述べられている。クレオもまた父親を持たない人間なのだ。
農園のシーンでは父親らしきものが見え隠れするが、家族が多すぎて画面の中心にまでは登ってこられない。夜にはソフィアへ誘いを掛ける男性が登場するが、ソフィアはそれを明確に拒絶する。
こうやってこの作品は、「不在の父親をそのまま退場させる」というモチーフを繰り返している。アントニオはソフィアと子どもたちの旅行中に持ち物を取りに来て消えてしまう。消えた本棚だけが彼の退場を密かに示している。そしてフェルミンは、暴動から繋がるクレオの出産により、子どもの命と共に「消え去って」しまうのだ。
見事なスクリーン上の対比の数々
※この節には物語の核心に触れる部分があります※
作品中では様々な対比が描かれている。冒頭、掃除のために流される水の音に載せてスタッフロールが流れた後、飛行機の轟音が鳴り響いて物語へと移っていく。エンドロールでも飛行機の音が使われているが、その音は子どもたちがさらわれる高波の音にそっくりだ。そしてよくよく考えると、この波のシーンは掃除の水の音と対比しているように思えてくるのである。
流石にこの考察は個人的なこじつけくさい部分も否めないが、もっと明確な対比だって存在する。クレオが病院に担ぎ込まれたところでは、出産(birth)と死産(stillbirth)が同時に描かれているし、ソフィアがアントニオとの離婚を子どもたちに告げた直後には、結婚式で写真を撮るカップルの姿が現れる。一家が農園から帰ってきた後、クレオはアデラから母親の土地の話を聞かされる。クレオは病院で地震に遭った時も(メキシコは元々地震の多い場所だ)、デモ隊が暴動に発展したのを目撃した時も、ただぼんやりと眺めている……スクリーン上に現れる細かい対比に気を遣ってみても面白いかもしれない。
1番印象深かったのは、剣術集団を教えに来たソベック教授が術を見せるシーン。大したことないじゃないかと笑う集団を前に、精神と身体が統一できていないとこの技はできないのだと伝える。集団の男たちは誰ひとり上手く出来ないが、ただひとり外野で見ているクレオだけがこの技に成功する。これは彼女にある種の覚悟が出来ていることの証拠でもあり、彼女が中心として描かれる理由でもあるのだなと思った。
メキシコ人監督たちの密かなつながり
クレオがフェルミンと映画館に行くシーンで、筆者は何故か同じメキシコ人監督ギレルモ・デル・トロが撮った『シェイプ・オブ・ウォーター』('17)の1シーンを思い出してしまった。そんなデル・トロは、昨日発表されたオスカーノミネートでこの作品がトップに躍り出たことについて、大興奮のこんなツイートを残している。
VIVA ALFONSO!! https://t.co/Lqe1LbrkW1
— Guillermo del Toro (@RealGDT) January 22, 2019
そう言えばデル・トロとキュアロンと言えば、ハリポタシリーズ第3作『アズカバンの囚人』を巡って、何とも「らしい」こんなエピソードもあった。
思えばこの数年、メキシコ人制作者はハリウッドを湧かせ続けている。デル・トロ、キュアロンと盟友かつ仕事上のパートナーでもあるのがアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥだが、彼は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』('14)と『レヴェナント: 蘇えりし者』('15)でオスカー監督賞を連覇した強者だ。また、彼とキュアロンが取りあいを繰り返していた撮影監督のエマニュエル・ルベツキは、この2作に加えて更に前年の『ゼロ・グラビティ』('13/キュアロン監督、邦題問題はさておき)でアカデミー撮影賞を獲得し、史上初の3連覇を成し遂げている。また、昨年のオスカーで作品賞・監督賞を押さえたのは言わずもがなデル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』('17)だし、今年その2賞に最も近いのは恐らくキュアロンの今作だ。今年もメキシカン・パワーが強いのだろうか。オスカーの行方から目が離せない。
先住民族との格差
メキシコと言えば、トランプ大統領による国境の壁建設の是非が引き金となってアメリカ政府機関の一部閉鎖にまで追い込まれているのが話題だが(美術手帖、CNN.jp)、単なる発展途上国というわけではない。その中にはメスティーソと呼ばれるスペイン系との混血民族と、元々この地域に住んでいた先住民族がおり*6、両者が共存している。そしてメスティーソと先住民族にかかわらず、高等教育を受けてアカデミアに足を踏み入れる人もいれば、学の無いまま(フェルミンやクレオの母のように)力仕事で汗を流す人もいるのだ。メキシコという国の民族的背景について考えることはほとんど無かったが、今作では今まで知らなかったような国の背景まで考えさせられて、そういう点でも素晴らしい映画だなと思った。
エンドロールの言葉の意味
エンドロールをぼんやり眺めていると、最後の最後で右上に "shantih shantih shantih" という言葉が映し出される。元はウパニシャッド由来で、「内なる平和」を意味する単語のようだ。
この言葉の通り、クレオは精神と身体の統一が取れた人物であり、だからこそソベック師の術をひとりだけ会得する。他の人物があちこちで騒いでいる一方で、彼女が感情を露わにするのは、ただ1回、ビーチでのシーンのみである。
同時にこの言葉は、静かに大変革を遂げるこの作品のことも体現しているようだ。つくづくオスカーノミネート前に観られて良い作品だったと思う。
Netflix
今回筆者は、Netflixの1ヶ月お試しプランを利用して作品を鑑賞した。この後も利用するかどうかは検討中だが、お試し期間くらいは1番上のプレミアムプランを試してみるのが良いと思う。
実際契約するとなるとスタンダードがおすすめらしい。確かにマルチデバイスでの同時視聴も出来るし、実際観る上ではそんなに遜色ないだろうと思う。どうしたものかもう少し迷ってみたい。
関連:ROMA/ローマ / アルフォンソ・キュアロン / ヤリッツァ・アパリシオ / マリーナ・デ・タビラ / アカデミー賞 / 映画賞 / Netflix
*1:これは同じように今年度の映画祭を賑わせているパヴェウ・パヴリコフスキの "Cold War" も同じなのだが、そう言えばこの作品、日本公開が決まったようだ。同じように白黒の画面がとても美しい作品なので、日本で観られてとても嬉しい☞
*3:クレオを演じるアパリシオも、実際にオアハカ州出身の人物だ
*4:どうでもいい話だが、彼らの音楽が登場人物の手前でドップラー効果により変化するのが結構面白かった
*5:ソフィアは一見厳しそうに見えるが、クレオの妊娠発覚後はきちんと病院に連れて行ってくれたり、家政婦たちに休みをやったりしているので、まあまあ優しい雇用主だとは言えよう
*6:当然なのだがアメリカ大陸にはかなりの数の先住民族がおり、特に南米ではまだまだ実体すら分かっていない民族もいる。先日アマゾン奥地で「発見」されたあるイゾラドに関するドキュメンタリーを観たが、とても良作だったのでちょっとシェアさせていただきたい