ちいさなねずみが映画を語る

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ガーシュウィンは極上で、中野翔太のピアノは軽妙洒脱

気付いている人もいるかもしれないが、6月以来大分記事が散発的になっている。COVID-19関係の在宅期間が明けて、何だかんだと忙しくなったので、何となくブログは放置していた。単に家にいるより外にいる時間が長くなったというだけのことなのだが。

 

外に出る時間が長くなって、行き帰りの交通機関の中で、音楽を聴くことも増えてきた。高校くらいから、音楽を聴いたり本を読んだりするのは、専ら交通機関の中である。筆者のスマホには、映画音楽とか、ジャズとか、クラシックとか、J-POPとか、昔馴染みの曲が集められたプレイリストがあって、適当に選んでぐるぐると聴いている。

突然なのだが、筆者はガーシュウィンが大好きだ。この世の中の作曲家の中で1番というくらいである。今日紹介するのは、そんなガーシュウィンの曲を集めて、中野翔太というピアニストが出したアルバムだ。これが、何とも言えないくらい素晴らしい。久々に聴いたけれど、やっぱりとても素晴らしくて、気付いたら5回くらいリピートして通しで聴いていた

マンハッタン:中野翔太プレイズ・ガーシュウィン

マンハッタン:中野翔太プレイズ・ガーシュウィン

 

 

 

ガーシュウィンという人

ガーシュウィンは20世紀初頭のアメリカを代表する音楽家で、クラシックとジャズ、そしてミュージカルの橋渡しをした人物として知られている。代表曲の『ラプソディ・イン・ブルー』"Rhapsody in Blue" (1924) は、ガーシュウィンの名をあまりよく知らない人でも、1度は聴いたことがあるに違いない作品だ。長大なクラリネットのソロはあまりに有名で、この旋律に憧れて楽器を始める人も多いに違いない。……何を隠そう、筆者もそのひとりである。

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ガーシュウィンには2歳年上の兄アイラがいて、兄との共作でもいくつか作品を残している。ジャズの名曲としてインストゥルメンタルで演奏されることも多い『アイ・ガット・リズム』"I Got Rhythm" には、元々アイラの書いた詞が付いていて、映画『巴里のアメリカ人』ではジーン・ケリーがこの曲を高らかに歌い上げる。この映画はジョージの代表曲『パリのアメリカ人』"An American in Paris"を題名に引用したもので、使用曲は全てアイラとジョージ兄弟の共作によるものだ。

巴里のアメリカ人 [Blu-ray]

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巴里のアメリカ人 (字幕版)

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ガーシュウィン兄弟の名作としてもうひとつ有名なのが、アメリカ南部の黒人たちの生活を描き出したミュージカル『ポーギーとベス』だ。子守女のもの悲しい子守歌として歌われる『サマータイム』"Summertime"は、あまりの美しさにジャズの名盤として多くのカバーを生んでいる。そう言えば春にMETライブビューイングで取り上げられる予定だったが、コロナのせいで家を出るのも億劫になっていた時期で、大変残念な限りである。許すまじコロナ

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兄との共作、クラシックもジャズも書き分けられる筆致、と前途洋々だったはずのガーシュウィンだが、1937年に脳腫瘍に倒れ、38歳の若さでこの世を去ることになる。夭逝の作曲家ではあったものの、その曲は米国内外を問わず今でも多くの人々に愛され続けている。

 

中野翔太という人

一方の中野翔太だが、15歳から10年間ジュリアードで学び、意気揚々と帰国してきたピアニストである。後述するせんくらのステージでも、ガーシュウィンはとても大好きな作曲家と述べていたが、COVID-19を契機に立ち上げた自らのYouTubeチャンネルでも、『サマータイム』を最初の曲に選ぶくらいだ。ニューヨークでクラシックもジャズも学んで来た彼の指先は、クラシックとジャズの橋渡しをしたガーシュウィンを奏でるのにうってつけと言えよう。

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今回取り上げるガーシュウィン・アルバムを中野がリリースしたのは2012年。ニューヨークでの武者修行を終え、日本でその成果を明らかにしたというわけだが、弱冠28歳でこのアルバムを仕上げたとは舌を巻く出来である。

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このアルバムを聴く前に

皆さんに是非聴いていただきたいのが、ガーシュウィンの自作自演曲を集めた、『ジョージ・ガーシュウィン自作自演』"Gershwin Plays Gershwin" というアルバムである。筆者も大好きなラプソディ、巴里のアメリカ人、そしてフレッド・アステアと共演した作品など、よりどりみどりの20曲だ。作曲家本人が自作自演しているので、どういった風に弾いてほしかったのか、本人の意図が透けて見えるようで面白い。そして、ガーシュウィンが優れたピアニストであったことも分かる名盤である。今回紹介しているアルバムとは、半分くらいの曲が共通している。ガーシュウィン本人の弾き口と、中野の切り取り方がどう違うのか比較するだけでも楽しいひとときだ。

Gershwin, George: Gershwin Plays Gershwin (1919-1931)

Gershwin, George: Gershwin Plays Gershwin (1919-1931)

  • 発売日: 2010/12/01
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というわけでやっと本題

……というわけで大分長かったが、やっと本題のアルバム収録曲についてである。最初を飾るのは、ガーシュウィンの代表作として名高い『ラプソディ・イン・ブルー』。どんなピアニストでも、ガーシュウィンを取り上げたら大体この曲から始まるんじゃないかというくらいオーソドックスな選び方だ。

 

2曲目の "The Man I Love" から、我々は中野ワールドへと誘[いざな]われる。自譜を奏でるガーシュウィン本人に比べて、中野のピアノは、テンポ感もより自由で、緩急がよく付いている。それがよく分かるのは、4曲目に収められた "That Certain Feeling" だ。1分程度の短い曲ながら、中野は緩急をよく効かせ、作曲家本人よりももっともっと耽美的にこの曲を弾き上げる。終盤のギャロップのようなピアノは、音を引く、その瞬間の余韻が上手く使われている。

素敵な気持ち

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  • 発売日: 2015/05/27
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中野の弾くガーシュウィンは、全体に控えめながら、旋律の美しさと音の余韻のバランスを上手く取るように計算されたような印象だ。それでいて、緩急が効いているので、突っ込んでいくところは果敢に取り掛かる。結果として、テンポ感に大きな揺らぎが生まれ、それが聴き手の心地よさに繋がっているような印象がある。

 

それがよく分かるのは、アルバムの後半に収められた、『3つの前奏曲』 "3 Preludes" だ。第1楽章冒頭の左手は、沈み込むように重いベースラインを奏でる。ベースラインに引っ張られ、その跳ね返りであるはずの2音目・3音目は、どこか後ろ髪引かれるような音に聞こえてくる。楽譜を読むと、これらの音はみな単なるアクセント(>)なので、同じ重さで弾いてもよいはずなのだが、中野の解釈がプレリュードに新たな風を吹き込む。一方で、右手のメロディが入ってからは、全体に軽やかな印象でこの曲を弾きこなす。このギャップが大変心地よい。

3つの前奏曲 1 Allegro ben ritmato e deciso

3つの前奏曲 1 Allegro ben ritmato e deciso

  • 発売日: 2015/05/27
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また、第3楽章では、本来の譜面より(それは即ちガーシュウィン本人の演奏より)全体にテンポを速め、早馬のような印象で駆け抜けるピアノを見せる。この曲では、左手で奏でられる力強いベースラインの上で、右手の軽やかなメロディラインが走って行き、これまでの曲で見せてきた力強さと軽やかさが一体となった見事な演奏を見せている。プレリュード3曲の中で白眉といった印象だ。

3つの前奏曲 3 Allegro ben ritomato e deciso

3つの前奏曲 3 Allegro ben ritomato e deciso

  • 発売日: 2015/05/27
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ライナーノーツでも特筆されていたのが、最終曲 "A Foggy Day" の軽妙洒脱なインプロヴィゼーションだ。筆者もこの曲に至ると、つい巻き戻しを押して繰り返し聴いてしまう。ジャズとクラシックの狭間で修行し、確かな腕を持つからこそ出来る美しい調べだと思う。

ア・フォギー・デイ

ア・フォギー・デイ

  • 発売日: 2015/05/27
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この曲を最初に聴いたとき、これは本当にガーシュウィンの筆なのだろうか、というのが第一印象だった。何故だか分からないが、この曲の旋律は、どこか日本語で喋っているジャズのような気がする*1。原曲(とはいえジャズピアノアレンジされたものだが)と聞き比べると、余計そう思う。タイトルこそ "A Foggy Day"(霧っぽい日)だが、筆者の目に浮かぶのは、千鳥ヶ淵に桜の花びらが舞うような瞬間だ。長年を過ごした『マンハッタン』という地名をアルバム名に冠し、凱旋帰国作品として手掛けたにもかかわらず、最後の曲で見せるのは桜の花びらのような軽やかさ……日本とアメリカと両方をよく知る中野だからこそ出来る演奏なのだろうと思う。

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おしまい

今日紹介したのは中野翔太が2012年にリリースしたアルバム、『マンハッタン: 中野翔太プレイズ・ガーシュウィン』。自身も大好きだというガーシュウィンを、彼がどのように切り取ったのか、自分の耳で確かめていただきたい。発売したオクタヴィア・レコードのウェブサイトにて、アルバムにかけた思いがインタビュー記事として公開されていたので、こちらも合わせてご覧いただきたい。

マンハッタン:中野翔太プレイズ・ガーシュウィン

マンハッタン:中野翔太プレイズ・ガーシュウィン

 

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このアルバムを紐解く上では、先述したガーシュウィンの自作自演アルバムと、ドレミ楽譜出版社から出版されているピアノ譜が手助けになるだろう。後者には、『ラプソディ・イン・ブルー』と『3つの前奏曲』の譜面が収められており、ガーシュウィンがジャズとクラシックの狭間で書いた難解なリズムや旋律が確認できる。

 

関連:ジョージ・ガーシュウィン / 中野翔太

*1:とはいえ、中野のピアノがジャズピアノとして酷いものだというわけではないのだ。むしろ、大変質の良い演奏を耳にしているのである。そこが本当に不思議なところ

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