ちいさなねずみが映画を語る

すきなものを好きなだけ、観たものを観ただけ—

石田泰子訳を語らせてくれ - 映画『アリー/スター誕生』のちょっとした不満

こないだの記事に書いた通り『アリー/スター誕生』"A Star Is Born"('18)を観てきた。いい作品だった。クーパーの監督キャリア、ガガの女優キャリアがもっと観たいと思わせる作品でもあった。

mice-cinemanami.hatenablog.com - レビュー記事はこちら

でも筆者にとって少し消化不良になったのが、字幕翻訳の話である。

因みに字幕のお話するんだから当然ネタバレ満載でお送りします。

 

 

 

『アリー/スター誕生』 - 少し不満の残る字幕

観ていて少し不満があったのが本編の字幕だ。反語が訳せてない、仮定法の訳の仕方が変"La Vie En Rose"は字幕が無い、歌詞の繰り返し部分は字幕が省略されている、えとせとら……

 

例えばこの映画の最後を飾る"I'll Never Love Again"(MVは前の節)の歌い出しはこうだ。

"Wish I could / I could have said goodbye "

" I would have said what I wanted to / Maybe even cried for you"

—出典:日本盤サントラライナーノーツ

 

www.youtube.com - レディー・ガガ公式VEVOより。英語字幕がちゃんと付いているので大丈夫

 

勿論この曲は"ジャックの追悼"コンサートで歌われるのだから、「さよならを言えたなら」という後悔の歌い出しであることは自明だと思う。サントラについている対訳は今井スミ氏による別訳なので、「せめてもの/さよならの言葉すら言えなかった」となっている(先述のライナーノーツ35頁)。仮定法なんだから、「さよならを言えたならと思って(/後悔して)いるの(=本当は言えなかった)」という感じでもいいだろう。しかしながらここの訳、仮定法の前提がどこかへ行ったような訳だった気がする。もっとも、偉そうなことを言いながら一夜寝かせたらどんな訳だったか忘れてしまったのだが……

 

また、予告編でも使われている『シャロウ』では、2回目のサビ以降の訳が省略されていた。いやまあ聞き取れるけども、同じ訳を載せるのでもいいから字幕を出す方が親切だろうよ、と思ってしまったほどである。

もっと酷いのはアリーがドラァグバーで歌う『ラ・ヴィ・アン・ローズ』"La Vie En Rose"で、この曲に至っては字幕無しである。確かにフランス語の歌で、アメリカが舞台だから、聴いてる側も歌詞なんか分からないだろうというのは正しい。しかしながらこの曲の正体は、エディット・ピアフの代表曲『ばら色の人生』である*1。どこか探せば有名な訳があるはずで、その訳を流用したっていいのである(許諾を取ってクレジットすればいいだけだ)。

あとひとつ、どこかで反語の訳がおかしい箇所があったように思う。素直に「こんなに◯◯なことなんてあるの?」と訳せば、「そんなことありはしなかったよね」という後半の部分を読み取ってもらえるのに、訳は叙情も何も無い感じだったのだ(ライナーノーツを読んでも見つからないので、本編台詞かもしれない)。これは単にわたしが反語大好き人間という事情もあるかもしれないが……

ライナーノーツを読み返してもう一つ思い出したのが、アリーがジャックの故郷アリゾナを訪れて書いた"Always Remember Us This Way"「2人を忘れない」。文字数的に余裕で入りそうな「カリフォルニアの黄金」(Like California gold)の「カリフォルニア」が落ちているし……カリフォルニアはゴールドラッシュの舞台になった金鉱脈の走る場所でもあるし、ここで地名が出るのにもちゃんと意味があるのである。何で落とすかな〜〜〜〜〜!(ま、この辺は説明がめんどくさいという事情があるのだろうと思うが)

 

181228追記) やっぱ誤訳でしょう

www.youtube.com - 本国版公式トレイラー

アリーが何故自分で書いた曲を歌わないのかジャックに問われるシーンがある。このシーンでの字幕、どう聞いても"comfortable"と言っているのに、記憶が正しければ「自信が全く無いから」というニュアンスになっていた。

この部分が公式トレイラーにたまたま収録されていたのだが、その字幕によれば、正確な台詞は"I just don't feel comfortable." アリーはその後自分の容姿が貶されることについて触れているので、「良い事なんて何にもないから」くらいが丁度いいのではないかと思う。少なくとも「自信」じゃないと思うなあ(自信なら"confidence"だろうしね)。

石田泰子訳を語らせてくれ

エンドロールで字幕担当者が出てぽんと膝を打った。今回の訳、石田泰子訳であったのだ。

石田氏と言えば、『トレインスポッティング』などを担当し、既にベテランの域に入っている字幕翻訳者である。また『マンマ・ミーア!』('08)以来ミュージカル作品の翻訳者としても多数招聘されており、担当作品には『シング・ストリート』('15)、『ラ・ラ・ランド』('16)、『グレイテスト・ショーマン』('17)などが並んでいる。

 

ところがこの石田訳、かなりの割合でトンデモ訳とか謎の訳し落ちが紛れ込んでいるのである。

実例1:『トレインスポッティング』('96)

トレインスポッティング』は、不況に喘ぐスコットランドを舞台に、ヤク中3人+喧嘩狂いというどうしようもない幼馴染み4人組が一旗揚げてやろうと息巻く話である。監督は『スラムドッグ$ミリオネア』やロンドン五輪開会式で知られるダニー・ボイルユアン・マクレガーを押しも押されもせぬ映画俳優に押し上げたのもこの作品だ。

www.youtube.com - ほんとに10秒で分かる

 

www.youtube.com - こっちのオリジナル・トレイラーもなかなかにいい

 

タイトルになった『トレインスポッティング』とは要するに鉄オタの一種で、一点に張り込んで電車を見続けるという行為のことである。この名の通り、本編には主人公4人が山を望む廃線跡を観に行くシーンが含まれているが、ここでユアン・マクレガー演じるレントンはこう息巻く。

 「スコットランドはイギリスのものだしよ!*2

そんなん当然だろ?と思うが、そうではない。先述の通り、この作品は不況に喘ぐスコットランドを舞台にしている。THE RIVERのレビューでも指摘されている通り、イングランド中心のイギリス政治において、スコットランドは「貧乏くじを引きっぱなし」だったのだ。レントンの台詞は、併合後イングランドに押されがちな母国を憂いたものでもある。

theriver.jp - すっかり安心と信頼のTHE RIVERさんになってよく読んでます

 

因みにここの台詞は、RottenTomatoesによればこうなっている。

Mark Renton: "Some people hate the English, I don't. They're just wankers. We, on the other hand, are colonized by wankers." ——Trainspotting - Movie Quotes - Rotten Tomatoes

拙訳:レントン「イングリッシュを嫌うやつもいるが俺は違うね。あいつらはただの馬鹿たれさ。反対見りゃこちとらそんな馬鹿たれどもに占領されてんだよ」

www.youtube.com

 

イギリスという国は、飽くまでイングランドウェールズスコットランド北アイルランドの4国が連合している国だ。本来はそのひとつひとつが独自の文化や言語を持っており、イングランド以外の3国にはきちんと地方議会があってある程度の地方自治が成立している。それでも実際にはイングランドの覇権が強い。面積がブリテン島の2/3を占めるということもあって国会議員の選出数も多いし、首都だってロンドンにあるし——そういう実情に不満を持つ人も多く、だからこそ"#Brexit"は決まった後も延々紛糾するのだ(スコットランドEU脱退に反対なのもそういう理由)。

miyearnzzlabo.com - ここで指摘される通り、スコティッシュ訛りは割と独特の言語だ(西の人に東北弁が聞き取りにくいのと同じ理屈で)。

 

だからここで「スコットランドはイギリスのもの」と訳してしまっては何の意味も無い。名目上は有り得ないイングランドのもの」だから意味があるのだ。確かにこの辺の事情を字数制限のある字幕で説明しきるのは難しいが、だからといって省ける訳でもない。この部分は、物語の背景と大きく結びついている訳なのだから。ま、石田訳に限らずこういうイギリスの細かい事情は字幕で落とされがちだけれども、英国オタクとしてはこういうところまでちゃんと訳してほしくてならない。

実例2:『ラ・ラ・ランド』('16)

言わずと知れたデイミアン・チャゼルの名作ミュージカル。チャゼルを史上最年少のオスカー監督賞に導いたほか、エマ・ストーンライアン・ゴズリング(最近知ったのだけど、英語では彼の名字、「ゴリング」と発音されるらしい)が猛特訓の上、実際に生歌・生演技をこなしたことでも知られる一作である。

ミュージカル作品だったという事情もあり、上映当時は字幕版のみが制作された。担当は先程から書いている通り石田泰子氏である。

 

芽生えかける恋、裏腹に反目するふたり — "A Lovely Night"

マジックアワーを狙って一発撮りされたシーンで*3エマ・ストーンが最も好きなナンバーでもある。エマ嬢の黄色いドレスが印象的で、この部分はポスターにも使われた。

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問題はこの曲の2番。1番で「いい景色なのに(いがみ合った僕らじゃ)勿体ないな」と歌ったセヴに対し、ミアが「わたしはあんたと違うのよ」と息巻くのだが、そこにセヴの掛け合いが絡む歌詞である。原詩はこちら。後ろに拙訳を付けた。

[Mia]
You say there's nothing here? (ここに何も無いって言うの?)
Well, let's make something clear (いいわ、はっきりさせましょう)
I think I'll be the one to make that call (わたしは[註:キャスティングの]電話が掛かってくるような人間なの)

[Sebastian]
But you'll call? (でも[本当は]君の方から掛けるんだろ?)

[Mia]
And though you looked so cute (あなたの見かけがとっても良くても)
In your polyester suit (そのポリエステルのスーツ着こなして)

[Sebastian]
It's wool ([失敬な] ウールさ)

[Mia]
You're right, I'd never fall for you at all (正しいわ、わたしがあなたと恋に落ちるなんて有り得ない)

—引用元:Ryan Gosling – A Lovely Night Lyrics | Genius Lyrics / []内は訳註

 『ラ・ラ・ランド』の前提は、役者志望でうだつの上がらないミアと、ジャズピアニスト・セヴとの物語であるので、ここで言う「電話」とは、ミアをキャスティングしたいという誘いの電話のことである。歌詞で分かる通り、この時のミアは(自分を棚に上げて)セヴを見下しており、彼の言葉なんか全く耳に入っていない。

 

石田訳の問題はふたつあり、

  1. セヴの掛け合いパートが完全に落ちている
  2. 「ポリエステル」が「化繊」と訳されている(こっちはいちゃもん)

 こと。2.に関しては文字数の問題があったのだと思うが、このシーンを初めて映画館で観た時、一瞬「化繊って何……?あっポリエステルって言ってたから化学繊維のこと?」と思ってしまった記憶がある。完全にいちゃもんだが

1.は本当に勿体ない! 現実を見ずに夢見がちなミアに対し、セヴが冷静に突っ込むシーンなので、この掛け合いが落ちているのはとても勿体ないと思う。というか字幕を左右にスプリットさせて2段組にすればよかったのでは?

 

ロスは素晴らしい街 — "City of Stars"

この年のオスカー主題歌賞を獲った1曲。フラットでデュエットするバージョンもあるが、個人的にはハモサビーチでセヴがひとり歌う方が好みである*4

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歌詞が気になるのはフラットでのデュエット版の最終行。

[Outro: Emma Stone]
City of stars (スターの街)
You never shined so brightly (これほど輝いたの初めてでしょう/今までで1番の輝き)

—引用元:Ryan Gosling – City of Stars Lyrics | Genius Lyrics

この曲はパンフにも訳詞が掲載されているのだが、その歌詞は「スターの街よ / 今こんなに輝いている」となっている。「こんなに」って何ですか? 高校英語ならあちこち突っ込まれそうな訳である。

確か『アリー/スター誕生』で引っかかった反語訳もこういうものだった気がする。ちゃんと「1番」って明示してほしかった……

 

ミアが夢を掴む曲 — "Audition (The Fools Who Dream)"

オスカー主題歌賞ノミネートに加え、賞レースでもいくつか賞を勝ち取った曲。ミアが映画女優になるという夢を叶える第一歩であり、筆者にとっては作中最も好きなナンバーでもある。

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[Chorus 1] / 石田訳
Here's to the ones who dream / どうか乾杯を 夢追い人に
Foolish as they may seem / たとえ愚かに見えても
Here's to the hearts that ache / どうか乾杯を 心の痛みに
Here's to the mess we make / どうか乾杯を 厄介な私たちに

—引用元:Emma Stone – Audition (The Fools Who Dream) Lyrics | Genius Lyrics、石田訳の引用は公式パンフから

何が問題って歌の文句なのに語感が悪くて文字も多い。同じ行で表示されるのだから、「夢追い人に 乾杯」という順番でもよいし、むしろその方が脚韻を踏んでいることも上手く訳出できる。(因みに"Here's to 〜〜"というのは、「〜〜に乾杯!」という決まり文句だ)

後ろ2行に関しては主述が逆転している。正確に訳すなら「痛む心に、乾杯 / 私たちの作る喧噪に乾杯」だろうと思う。最終行は直訳すると長くなるので意訳もやむなしだが、3行目はちょっと……と思ってしまう。

おまけに

www.youtube.com - 全然関係無いけどここでミアのことを3度観するセヴ、何度観ても笑ってしまう(そしてエマ嬢のリップシンク芸がまたもや披露されている)

実例3:『シング・ストリート』('15)

『シング・ストリート』と言えばこの曲に触れないわけにはいかないと思う。わたしを映画館に連れて行った曲、"Drive It Like You Stole It" である*5

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何で原題で示したかというと、邦題が死ぬほど気に入らんのである。直訳すれば「(車を)盗んだように運転しろ」という曲なのに、邦題は『思い切りアクセルを踏め』だからだ。いやかっこいいけど、おまいさんは尾崎豊の名曲を知らんのか!!!!!

15の夜

15の夜

  • 尾崎 豊
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 —「盗んだバイクで走り出す〜」

 

邦題はパンフとサントラでしか載っていないのでほっとくとしても、結構この曲の翻訳は意訳が多い*6。歌の字幕なのでスピードも速いし、落とさざるを得ないところがあるのはしょうがないが……

しかしながら、この原題は曲のコーラス部分にも組み込まれている。その部分での訳は、公式パンフによれば「アクセルを踏め/思い切り踏め」である。えええーーーーー?

『シング・ストリート』は、冴えないコナーが一目惚れしたモデルのラフィーナを誘うためバンドを組む厨二病ストーリーである。だからこそこの歌詞だって明らかな背伸びだし、出来もしないことを歌に仕立てている。そういう背景があるのに、ここを落としてしまうのは勿体ない……というわけで拙訳まで作ってしまった。

 

それと、後半のライヴシーンだったと思うが、劇場版ではコーラスが繰り返されるところで歌詞が表示されなかったように記憶している。『アリー/スター誕生』でも『シャロウ』の繰り返し部分が落ちていたが、やっぱり同じ歌詞でも2回表示した方が優しいと思う。

字幕翻訳の難しさだって分かっているのだが

勿論こっちだって、字幕に厳しい字数制限があることは知っている。でも、台詞の方向性を歪めることと、上手く短く訳すことは別物の問題なのだ。

 

音楽映画の字幕は、普通の英語翻訳と少し違う点がある。曲にはメロディラインとリズムがあり、そこにも上手く載せられる訳が求められるのだ(この辺は私感が強いが)。そういった音楽映画を数多く手掛けるということは、ご自身の翻訳についてある程度評価されているということだろう(実際字幕翻訳者の評判を見ていてもそういう印象はある)。

だからこそもう少し言語センスであるとかリズム感を磨いてほしい。原詩のリズム感を活かした翻訳が欲しい。ほんのちょっとの上乗せで、字幕で映画を観る多くの人が、数倍いい体験をして劇場から出て来られるのだ。ほんのちょっとでいいんだよ!

www.fellow-academy.com - それも知ってるんですけど、また別の話だと思うんすよ

terrysaito.com - ご本人も忌憚なき意見が欲しいと仰ってるみたいなのでいいかな

 

—噂のなっち開き直りインタビュー、この件に関しては多分町山氏が全面的に正しい

 

脱線して) 字幕のフォントのお話

そう言えば『アリー/スター誕生』の字幕フォントは『君の名前で僕を呼んで』と同じあのフォントだった。ディスクでもあのフォント使ってもらえないかなと思うくらいお気に入りである。ちょっと流行っているようなのでそこは嬉しい。

fontworks.co.jp - そう言えばわたしのお気に入りのあのフォントは「ニューシネマ」って言うんだね!

 

せっかくだから

 ついでに今回紹介した作品も観ていただきたい。どれも良作揃いなので一見して損は無いと思う。

ラ・ラ・ランド(字幕版)
 

 

190119追記) 作品は誰に捧げられてるの?

『アリー/スター誕生』が誰に捧げられているのか、というクエリでこの記事に辿り着く方がいらっしゃるようなので追記。作品が捧げられているのはエリザベス・ケンプ (Elizabeth Kemp) だ。元々は女優だが(Wikipedia)、演技コーチとしても活動しており、作品を陰で支えたひとりでもある。作品完成前の2017年9月に癌のため死去したが、クーパーは彼女の尽力に大変感謝していたことをインデペンデントのインタビューで明かしている。草葉の陰からこの作品を見守ってくれているに違いない。

www.independent.co.uk

 

関連:アリー/スター誕生 / トレインスポッティング / ラ・ラ・ランド / シング・ストリート / 石田泰子 / 字幕翻訳

*1:この曲が使われたのは、クーパーがガガと会う前日に観に行った彼女のチャリティライヴで、ガガがこの曲を歌っていたからだという(ライナーノーツ7頁)。ここでも実際の役者自身が上手く脚本に織り込まれている。

*2:細かい所は間違っているかもしれないが、字幕に「イギリス」と表示されていたのは紛れもない事実だ

*3:正確には一発撮りではなく、何度もリハを重ねた上で、1度撮ってはまた上に戻ってやり直し、というのを繰り返している。但しシーンそのものは長回しのワンカットである

*4:日本語字幕版も配給公式から見つけたのでどうぞ

www.youtube.com細かいことを言えば、冒頭の「その輝きは俺のため?」も正確には「俺だけのため?」だとは思う(まあ字数が厳しいんだと思いますが)。

*5:この曲、本編でのオチも最高です

*6:個人的には、全体に語感が悪い気がしてしょうがないのだが、この辺は言語センスなので如何ともし難い

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